「ウィーンの森から」
※ライブストリーミング配信
【日時】
2023年3月16日(木) 開演 20:00
【会場】
カフェ・モンタージュ (京都)
【演奏】
ピアノ:佐藤卓史
【プログラム】
モーツァルト:きらきら星変奏曲 K.265
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 《幻想的絵画》 op.26
ツェムリンスキー:デーメルの詩による幻想曲集 op.9
ベルク:ピアノ・ソナタ op.1
カフェ・モンタージュ主催のコンサートをオンライン配信で聴いた。
佐藤卓史による、ウィーンにまつわるピアノ曲の演奏会である。
ウィーンで研鑽を積んだ佐藤卓史は、以前にもウィーンを題材にしたコンサートを開いていた(その記事はこちら)。
彼にとってウィーンの音楽は、もはやお国ものと言ってもいいほど慣れ親しんだものなのだろう。
最初のプログラムは、モーツァルトのきらきら星変奏曲。
この曲で私の好きな録音は
●ハスキル(Pf) 1960年5月セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●クリーン(Pf) 1960年頃セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●エッシェンバッハ(Pf) 1964年7月セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●シフ(Pf) 1986年1月セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●辻井伸行(Pf) 2012年3月8-10日セッション盤(Apple Music/CD)
あたりである。
また、実演では2021年の藤田真央のものが印象に残っている(その記事はこちら)。
今回の佐藤卓史の演奏は、上記名盤たちの中ではクリーン盤に近いものだった。
すなわち、あからさまに歌うのではなく、さらりと涼しげに弾いていく中に、ほんのりと味を出していく。
まさに、ウィーンの流儀である。
こういうモーツァルトは現在、彼以外の誰の演奏で聴けるだろうか?
さらに細かいことを言うと、佐藤卓史は、クリーンに近いけれどそれ以上にグルダに近い人であるように私には思える。
クリーンもグルダもオーストリアのピアニストだが、前者はモーツァルト弾き、後者はベートーヴェン弾きとして知られた。
佐藤卓史の演奏もどこかベートーヴェン風で、最終変奏など、のちのベートーヴェンのソナタ第7番終楽章を思わせる力感や推進力がある。
ベートーヴェンから見たモーツァルトは、こういう音楽だったのかもしれない。
ところで、佐藤卓史の弾くきらきら星変奏曲は、彼自身のYouTubeチャンネルにも演奏動画がアップされている。
この動画ではベーゼンドルファーのピアノが使用されており、オーストリアのメーカーだけあって、ウィーン風の音がする。
しかし、今回のカフェ・モンタージュの1905年製ニューヨーク・スタインウェイは、よりいっそう古き佳きウィーンの音が鳴っていた(ニューヨークなのに)。
距離の壁よりも、時間の壁のほうがずっと大きいのかもしれない。
伝統を守ることの難しさと貴重さについて考えさせられる。
後続のプログラムについて。
シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」はミケランジェリ盤やリヒテル盤やバレンボイム盤やル・サージュ盤、ツェムリンスキーのデーメル幻想曲はアーフェンハウス盤、ベルクのピアノ・ソナタはグールド盤やロリオ盤やポリーニ盤や井上直幸盤やチョ・ソンジン盤などを聴いても、それぞれ悪くはないのだが私にはどれもいまいちぴんとこない。
ウィーンらしさがないからだろうか。
そんな中、今回の佐藤卓史の演奏は、活気あふれる19世紀から物憂げな20世紀まで、時代に応じたウィーンの空気感の変遷を感じさせてくれるもの。
完成度も高く(シューマンの終楽章は彼にしては瑕が多かったが)、上記の有名な各盤を凌ぐ演奏と言っていいのではないか。
ベルクのソナタは佐藤卓史自身の11年前のライヴ録音もあるが(こちら)、今回の演奏のほうが“ウィーンのダンディズム”が色濃く感じられて、はるかに良かった。
演奏家について、進化とか深化とかいった言葉を私は安易に使わないようにしているが、今回ばかりはそう言ってもいいのかもしれない。
余談だが、下のポスターのかわいいウサギさんが何となく気になっている。
ウィーンの森に棲むウサギだろうか。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
↑ ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、クリックお願いいたします。