「ウィーンの夜会」
【日時】
2017年6月8日(木) 開演 20:00 (開場 19:30)
【会場】
カフェ・モンタージュ (京都)
【演奏】
ピアノ:佐藤卓史
【プログラム】
シューベルト:12のドイツ舞曲 D420、8つのエコセーズ D529、12のレントラー D681 より 第5~12曲
コルンゴルト:4つの小さな楽しいワルツ
コント:12のワルツとコーダ
リスト:ウィーンの夜会 第5番、同第6番
カフェ・モンタージュで、「ウィーン音楽祭」という連続コンサートシリーズが始まった。
カフェ・モンタージュでは、一時はフランス音楽のコンサートが多かったが、今月はウィーンをテーマにした音楽会が多数開催される。
今回は、その初日である。
名ピアニスト佐藤卓史が、ウィーンにまつわる小品を弾いていくという演奏会。
ウィーンというとモーツァルトやベートーヴェンを一番に思い浮かべるかもしれないが、今回は彼らの曲は出てこない。
彼らよりも後の時代―「音楽の都」と呼ばれた華やかなりしウィーンに、少しずつ陰りが見えてくるけれども、音楽的には多様化し面白くなる19世紀以降の音楽が、今回取り上げられた。
まずは、シューベルト。
彼は数多くのダンス音楽を書いたようだが、今回取り上げられた曲は1815~1817年頃という、シューベルトが20歳になるかならないかくらいの若い頃に書いた作品である。
とてもシンプルで楽しい曲ばかりで、当時のウィーンのパーティの様子が浮かんでくる。
そんな中でも、後年の彼に特徴的な転調の妙もときどき聴かれ、彼が初期ロマン派を切り開いた一人であることを改めて思い起こさせられる。
次に、コルンゴルト。
文字通り小さな4曲のワルツで、1911年、彼が14歳のときに書いたものとのこと。
14歳の手になるとは思えない、成熟した音楽となっている。
1911年というと、R. シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」が同時期に初演され人気を博しているが、その「ばらの騎士」に出てくるワルツにも通じるような、でもまた少し違う、独特の濃厚な和声が聴かれた。
また、カフェ・モンタージュのマスターが言っていたことだが、これまた同時期に作曲されたアルバン・ベルクのピアノ・ソナタにも似た雰囲気が感じられる。
先ほどのシューベルトからおよそ100年後に書かれたこの曲、R. シュトラウスやベルクに劣らずとは言わないまでも、大戦前夜のあの熟れに熟れて苦味さえ混じりだしたようなヨーロッパ文化を彷彿させる、後期ロマン派特有の濃厚な和声を十分に持っていて、たった14歳でいったいどこでどうやってこのような要素を吸収したのだろう、と感心してしまう。
ちなみにこのワルツ、4曲それぞれに、当時好きだった4人の女の子の名前がダイレクトに題名として付されている。
幼いんだかませているんだか、聴きながら不思議な気分になった。
次に、コント。
20世紀に活躍したウィーンの作曲家、教師とのこと。
ここで聴かれるワルツは、1956年頃、戦後に書かれたとのことであり、先ほどのコルンゴルトからさらに40~50年後ということになる。
このワルツには、「黒くて泣けるワルツ」という副題があるという。
ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」をもじっているようで、確かに共通項もありそうに感じられた。
ニヒルな雰囲気というか。
ただ、ラヴェルに聴かれたような華やかな洗練はここにはもうなく、シンプルで、感傷的というよりもやさぐれたような、何とも言えず「戦後」を感じてしまう曲だった。
それでも何となく、涙を見せずフフンと笑う「ウィーン気質」のようなものも感じられる気がして、感慨深かった。
そして最後に、リスト。
より精確には、シューベルトのワルツを基にしたリストによるパラフレーズである。
リストにはウィーンというイメージはあまりないが、子供の頃にはウィーン音楽院でツェルニーの指導を受けたようだし、また後年にはシューマンと同じくシューベルトの音楽に活路を見出したのか、シューベルトの歌曲を数多く編曲し、またシューベルトの伝記作成のため取材をしていたという。
この「ウィーンの夜会」が書かれたのは、リストが円熟し、ピアノ・ソナタなどを書いていた1852~53年頃。
先ほどのコントのワルツから、100年ほどさかのぼることとなる。
ヴァーグナーは「ラインの黄金」を作曲し円熟の真っただ中、また若きブラームスは本格的に作曲活動を開始することになる、中期ロマン派の入口の頃。
リストの他のパラフレーズ曲にも言えることだが、彼のパラフレーズ能力は実に卓越していて、シンプルな原曲にうまく華を添えており、彼の即興演奏を彷彿させるところがある。
今回の「ウィーンの夜会」では、第5番もさることながら、特に第6番のほう。
これは、今回の演奏会で唯一私の知っている曲だが、シューベルトの3種類のワルツを原曲としてパラフレーズしている。
この原曲の3つのワルツがそもそもすでに素晴らしい曲で、特に3つめのワルツなど、シンプルながらエンハーモニックを用いた実に美しい転調が聴かれ、聴き手の心を打つ(例えばこちらの2枚目のトラック8で聴ける)。
このような、ある意味で完成した曲に、即興でいったい何を付け加えればいいのか。
その鮮やかな一例が、この「ウィーンの夜会」第6番で聴かれるのである。
原曲と聴き比べるとよく分かるのだが、リストがここで付け加えたものは、音域の拡大、華やかな装飾音型とともに、新たなパッセージがある。
後奏、と言ってもいいかもしれないこういった部分は、本当に和声の妙に満ちていて、華やかながら行き過ぎにならず、ほどよく洗練されている。
リストは、原曲の様式からさほどかけ離れることなく、ごく自然に美しいパッセージや和声を付加するので、「もともとこういう曲なのではなかったか」と錯覚してしまいそうになるほどである(他のパラフレーズでも、例えば「ドン・ジョヴァンニの回想」「ノルマの回想」などにも全く同じことが言える)。
のちのゴドフスキー、ホロヴィッツ、ヴォロドスらのパラフレーズもそれぞれ素晴らしいけれども、ややアクが強くなっている。
「様式の連続性」が保たれているのは、私にはリスト特有のことのように思われるのである。
時代が近いから当然、と言われればその通りかもしれないが。
佐藤卓史による演奏は、上記のようなことを色々と想起させてくれ、まるで各時代のウィーンにタイムトラベルしたかのような気分にさせてくれる、素晴らしいものだった。
まぁ、シューベルトでは、やや力強すぎるかな、と思うところもないではなかったけれども。
また、リストでは、特に第6番のほうはホロヴィッツの演奏が有名だが、私は何といってもパデレフスキによるピアノ・ロールの録音が好きで(NML/Apple Music)、そのあまりに濃厚な表現に慣れてしまった私にとっては、やや物足りない面もあったのは否めない。
しかし、佐藤卓史特有の、一見あっさりとしているようで実は淡白でないロマンティシズムが湛えられた演奏スタイルは、全体的に今回のウィーンにまつわる各曲に合っているように感じた。
また、シューベルトなどシンプルなようでいて意外と難しそうな曲が満載だったが、佐藤卓史の手にかかると全く安定した演奏となっていたのが見事だった。
そして何よりも、このような面白いコンセプトによるコンサートを開いてくれるのは、大変ありがたい。
ウィーン音楽祭は、まだ始まったばかり。
カフェ・モンタージュの鄙びた音色のするピアノは、ウィーンの音楽にはよく合っているように思われ、今後の演奏会も大変楽しみである。
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