京都市交響楽団 第640回定期演奏会 カンブルラン ストラヴィンスキー 「春の祭典」 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

京都市交響楽団

第640回定期演奏会

 

【日時】

2019年11月16日(土) 開演 14:30

 

【会場】

京都コンサートホール 大ホール

 

【演奏】

指揮:シルヴァン・カンブルラン

管弦楽:京都市交響楽団

(コンサートマスター:豊嶋泰嗣)

 

【プログラム】

武満徹:夢の時 ~ オーケストラのための

ハイドン:交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I:104 「ロンドン」

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

 

 

 

 

 

書くのが少し遅くなったが、久しぶりに京響の定期演奏会を聴きに行った。

というのも、好きな指揮者シルヴァン・カンブルランが、京響に初出演したためである。

彼が関西のオーケストラを振るのは、おそらく今回が初めて。

名指揮者ブーレーズの後継者ともいうべき彼の指揮をこんなに身近で聴けるなんて、贅沢きわまりない機会である。

 

 

最初の曲は、武満徹の「夢の時」。

この曲で私の好きな録音は、

 

●オールソップ指揮 ボーンマス響 2005年1月14-16日セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

今回のカンブルラン&京響も、これに匹敵する演奏。

どことなく艶のあるオールソップ盤よりもやや禁欲的な印象を受けたが、音の響きの柔らかさは共通していた。

 

 

次の曲は、ハイドン最後の交響曲、第104番「ロンドン」。

この曲で私の好きな録音は、

 

●フルトヴェングラー指揮 テアトロ・コロン管 1950年4月14日ブエノスアイレスライヴ盤(CD

●カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1959年3月27、28日セッション盤(NMLApple MusicCD

●カラヤン指揮 ベルリン・フィル 1982年1月4日、2月16日セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

これらはいずれも巨匠的というか、まるでベートーヴェンの「エロイカ」のように重厚なアプローチである。

もっと現代的なすっきりした演奏では、アーノンクール盤やミンコフスキ盤など良い線行っているものの、これぞというものはまだ見つけていなかった。

しかし、今回のカンブルラン&京響の演奏はそれを埋め合わせてくれる、実に素晴らしいものだった。

京響の弦や管の、いつにも増して透明感あふれる響き。

主要主題の、掛留音を利用した美しい和声感の表現。

弦のメロディにそっと重ねるフルートの柔らかさ。

小気味よく利いたティンパニの打撃音。

いたるところで自然に強調される、弦の内声や管のオブリガート。

そして、爽快でありながらも最後の交響曲たる風格を失わない、絶妙なテンポ感。

ハイドンの最高傑作ともいわれるこの曲の解釈における、一つの理想形であるように感じた。

以前聴いた第103番「太鼓連打」といい(その記事はこちら)、今回の第104番「ロンドン」といい、カンブルランはハイドンの解釈の第一人者といえるだろう。

 

 

休憩をはさんで、後半はストラヴィンスキーの「春の祭典」。

この曲で私の好きな録音は、

 

●ナガノ指揮 ロンドン・フィル 1990年12月セッション盤(NMLApple MusicCD

●カンブルラン指揮 SWR響 2006年11月セッション盤(Apple MusicCD

●ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管 2013年3月セッション盤(Apple MusicCD

●クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ 2013年10月7~9日セッション盤(Apple MusicCD

 

あたりである。

和声感を重視した前2者に、リズム感を重視した後2者。

昨年横浜で聴いたカンブルラン&読響の演奏も、前者のアプローチだった(その記事はこちら)。

今回のカンブルラン&京響の演奏は、前者をベースとしながらも少し後者寄りであるような、やや折衷的な印象を受けた。

カンブルランとしては、京響とは初めての共演ということもあり、読響のときのようにはやりたい放題やらなかったのかもしれない。

物足りなく感じた向きもあるかもしれないが、私としてはこの折衷的な演奏、大変気に入った。

読響のときは、美しい響きを堪能した反面、リズムとしてはややぼてっとした印象を受けなくもなかったが、今回の京響では自然な推進力が感じられた。

そして、いつものカンブルランの、響きのコントロール力も健在。

第1部の序奏からして、複雑に絡み合う各楽器の旋律線が、ぐしゃっと塊になることなくしっかり分離し、きわめて立体的に聴こえる。

「春の兆し」も、強烈な不協和音が全く耳に障らず、ひたすら美しい。

第2部の序奏、ここはカンブルランの真骨頂で、この物静かで目立たない音楽が、彼の手になるといかに自然に調和した、外連味のないまっすぐな、この上ない響きとなることか。

そして、「選ばれし生贄への賛美」以下最後の4曲の、激烈でありながら全く粗野にならない、美しい高まり。

最高の名演であった。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 


音楽(クラシック) ブログランキングへ

↑ ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、クリックお願いいたします。