読売日本交響楽団 第103回みなとみらいシリーズ カンブルラン ストラヴィンスキー 春の祭典ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

読売日本交響楽団

第103回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

 

【日時】

2018年4月14日(土) 開演 14:00 (開場 13:30)

 

【会場】

横浜みなとみらいホール

 

【演奏】
指揮:シルヴァン・カンブルラン
クラリネット:ポール・メイエ *

管弦楽:読売日本交響楽団

(コンサートマスター:日下紗矢子)

 

【プログラム】

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」 から

 1. 行進曲

 2. こんぺい糖の踊り

 3. トレパック

 4. 花のワルツ
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 *
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 *
ストラヴィンスキー:春の祭典

 

 

 

 

 

読響のみなとみらいホリデー名曲シリーズを聴きに行った。

好きな指揮者、シルヴァン・カンブルランによる演奏。

もう今年度で彼の読響での常任期間が終わりなので、今のうちにできるだけ聴かなければ。

 

 

最初のチャイコフスキー「くるみ割り人形」抜粋は、雪降るクリスマスの夜を思わせるようなロシア風の解釈ではなく、すっきり爽やかな演奏であり、これはこれで素晴らしい。

 

 

次は、モーツァルトのクラリネット協奏曲。

クラリネット・ソロは、ポール・メイエ。

以前、私はエマニュエル・パユを「フルートの神様」と考えている、という話をしたけれど(そのときの記事はこちら)、クラリネットではどうかというと、私にとってはザビーネ・マイヤーと並んで、このポール・メイエが神様のような存在である。

一般的には往年の名手レオポルト・ヴラッハが「クラリネットの神様」といわれているようだし、もちろん彼も素晴らしいのだけれど、それでもマイヤーとメイエは、私には特別である。

マイヤーとメイエ、この2人の名手は「Meyer」という同じ名字を持つけれど、読み方がドイツ読みとフランス読みとで異なっている。

演奏もそのとおり、マイヤーがドイツ風のまろやかな味を持つのに対し、メイエにはフランス風の繊細さがある。

メイエの音の繊細なことにかけては、並ぶ者がない。

例えば彼はシューマンのヴィオラ曲やチェロ曲、オーボエ曲やホルン曲をクラリネット用に編曲したものを録音しているが(CD)、原曲尊重主義の私でさえ、これを耳にした瞬間その繊細な音に完全にやられてしまい、原曲以上に好きになったものである。

 

 

しかし、モーツァルトのクラリネット協奏曲、この希代の名作には

 

●マイヤー(Cl) アバド指揮ベルリン・フィル 1998年12月4~6日ベルリンライヴ盤(NMLApple MusicCD

 

という、他の追随を許さぬ決定盤がある。

マイヤーがバセット・クラリネット(通常のクラリネットではなく、作曲当時の低音域の広い楽器を復元したもの)を使って醸し出す、天国的な味わい。

そして、アバド&ベルリン・フィルによるモーツァルトがまた素晴らしく、この曲に限らず、各種交響曲や協奏交響曲、フルート協奏曲においても、私にとってモーツァルトにおける一つの理想像となっている。

これに比べてしまうとメイエの演奏は(CD)、もちろん大変素晴らしいのだが、贅沢を言うとやや繊細に過ぎるところがある。

もう少し、天衣無縫の自然な味わいが欲しい。

それにモーツァルトは、何気ない音階やアルペッジョを使って天国を表現してしまった人だが、メイエの奏する音階やアルペッジョはあまりにさらっとしていて、天国が感じられない。

ロマン派以降の作品では、メイエの演奏は常に最高なのだけれど。

 

 

また、私にはそれとは別の心配事項もあった。

以前2015年12月にメイエの奏するモーツァルトのクラリネット協奏曲をコンサートで聴いたとき、ほとんど全ての音がかすれてしまっていたのだった。

神様のようにうまかったメイエは、もはや衰えてしまったのか…期待していた分、落胆も大きかった。

今回も、同じような演奏になることを覚悟して聴かざるを得なかった。

 

 

しかし、嬉しいことに今回は以前のように音がかすれることはほとんどなく、好調な彼の演奏を聴くことができた(前回はたまたま不調だっただけかもしれない)。

上述のCDと同様に、やはりところどころ繊細すぎたり、音階やアルペッジョがさらっとしすぎたりしていたけれど、それでも彼の持ち味は十分に感得できた。

とりわけ、第2楽章の美しい主要主題が再現するとき、聴こえるか聴こえないかというほどの最弱音で奏される、あの繊細さ!

彼以外の何人も持ちえない音だと思う。

 

 

そして、次の曲、ドビュッシーの第1狂詩曲。

これこそは、私にとって

 

●メイエ(Cl) ル・サージュ(Pf) 1991年4月23~25日セッション盤(Apple MusicCD

 

が決定的な名盤となっている。

ただし、これはピアノ伴奏版であり、今回演奏されたオーケストラ伴奏版ではない。

オーケストラ版にはマイヤーの録音があるが(上記モーツァルトと同盤)、これも大変素晴らしいながら、やや肉厚な音になっており、ドビュッシーならではの繊細さを味わうにはメイエ盤が上回っていると私は思う。

そして今回の演奏会で、メイエは期待通りの素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

フランス風の極上のエスプリの感じられる、優雅で繊細なクラリネットの響き。

この曲に関しては、彼の右に出る者はいないのではないだろうか。

上記の彼自身の録音に匹敵する名演だった(厳密には上記の盤のほうがさらに美しいけれど、それでも文句なく素晴らしかった)。

そして、付け加えておきたいのは、カンブルランの指揮の見事さである。

冒頭からして、フルートによる開始にヴァイオリンとヴィオラのソロがユニゾンで加わり、そこにクラリネット・ソロが溶け合っていく一連の流れにおいて、はっとするほど透明でクリアな響きが聴かれる。

各楽器間の音の調和、その美しさにかけては、アバド&ベルリン・フィルでさえ敵わないほど。

メイエのクラリネットのみが素晴らしいのでなく、思わず全体の響きに耳を傾けてしまうような、稀有な完成度を誇る名演であった。

 

 

そして、最後にストラヴィンスキーの「春の祭典」。

この曲で私の好きな録音は

 

●ナガノ指揮ロンドン・フィル 1990年12月セッション盤(NMLApple MusicCD

●カンブルラン指揮SWR響 2006年11月セッション盤(Apple MusicCD

●ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管 2013年3月セッション盤(Apple MusicCD

●クルレンツィス指揮ムジカエテルナ 2013年10月7~9日セッション盤(Apple MusicCD

 

あたりである。

クリアな響きを重視した前2者と、キレのある推進力を重視した後2者、いずれも素晴らしい。

ブーレーズの名盤はどうしたのか、と問われるかもしれない。

確かに、この曲の演奏について語る際、ブーレーズを外すことはできない。

私にとってアバド&ベルリン・フィルがモーツァルト演奏の一つの理想形であることを上述したけれども、同様に、ブーレーズ&ニューヨーク・フィルがストラヴィンスキー演奏の一つの理想形となっている。

彼らによる「火の鳥」「ペトルーシュカ」「ナイチンゲールの歌」「プルチネッラ」などは、他を寄せ付けない決定的名盤だと思う。

ただ、「春の祭典」においては、ニューヨーク・フィルではなくクリーヴランド管との録音となっている。

クリーヴランド管にはニューヨーク・フィルのような強烈な色彩感がなく、代わりに繊細な響きがあるので、ストラヴィンスキーよりもラヴェルにふさわしいように感じる(クリーヴランド管との「ダフニスとクロエ」第2組曲は、ニューヨーク・フィルとの全曲盤より名演だと思う)。

ブーレーズ&ニューヨーク・フィルによる「春の祭典」が残っていたら、きっと圧倒的な名盤になっていたのではないだろうか…と私はつい妄想してしまうのだった。

 

 

話がそれてしまった。

今回のカンブルラン&読響による「春の祭典」は、上記のSWR響との録音同様、この5管編成というきわめて大規模な、かつ各パートが複雑怪奇に絡み合ったストラヴィンスキーならではの奇妙な音楽を、丹念にほどいてきれいに整理整頓し、クリアに美しく聴かせてくれる名演だった。

このような複雑な音楽は、まさにカンブルランの得意とするところである。

奇妙な森に迷い込んだかのような第1部序奏からして、その森の草木の枝葉の一つ一つまで克明に見せるかのような、くっきりとした明瞭度の高い演奏である。

「春のきざし」では複調による荒々しい不協和音がダッダッダッダッと奏されるが、カンブルランの手になるとこの不協和音が決して汚くならず、むしろ品があるといってもいいような響きになる。

とはいっても、おとなしすぎるということは決してなくて、全体的にテンポは落ち着いているけれども、この曲らしいバーバリズムは損なわれておらず、金管楽器や打楽器のアタックの強烈さはかなりのもの(特に最後の「生贄の踊り」が印象的)。

強烈であっても、決して汚くならないのがカンブルランの特徴である。

木管の扱いも、いつもながら素晴らしい。

クラリネットその他によるトリル音型や、第2部序奏での不気味で神秘的な木管アンサンブルが、何とも透明に、透かし絵か何かのように聴こえてくる。

もちろん、弦の素晴らしさについても言わずもがなである。

あらゆる箇所で、各楽器の様々な音型がひっきりなしに耳に入ってくる。

まさに微に入り細にわたってストラヴィンスキーの書法の妙を堪能させてくれる名演だった。

 

 

今回も素晴らしい演奏を聴かせてくれたカンブルラン。

特にドビュッシーの第1狂詩曲については、おそらく彼の録音はまだないと思われるし、何よりも名手メイエとの共演である。

この貴重な演奏のライヴ録音を、どうか発売してもらえないものだろうか。

 

 


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