エマニュエル・パユ エリック・ル・サージュ 兵庫公演 プーランク フルート・ソナタ ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

エマニュエル・パユ & エリック・ル・サージュ


【日時】

2017年11月30日(木) 開演 19:00 (開場 18:30)

 

【会場】

兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール


【演奏】

フルート:エマニュエル・パユ

ピアノ:エリック・ル・サージュ

 

【プログラム】

モーツァルト:ソナタ 第17番 ハ長調 K.296 (原曲:ヴァイオリン・ソナタ)
シューベルト:「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲
ドビュッシー(カール・レンスキ編):ビリティス

 1. 夏の風の神、パンに祈るために

 2. 無名の墓のために

 3. 夜が幸いであるために

 4. クロタルを持つ舞姫のために

 5. エジプト女のために

 6. 朝の雨に感謝するために
フォーレ:コンクール用小品/シシリエンヌ/幻想曲
プーランク:フルート・ソナタ

 

※アンコール
マーラー:「子供の不思議な角笛」 より 「ラインの伝説」
マーラー:「亡き子をしのぶ歌」 より 「いつも思う。子供はちょっと出かけただけなのだと」

 

 

 

 

 

ベルリン・フィルの首席フルート奏者、エマニュエル・パユのフルート・リサイタルを聴きに行った。

パユは、現代最高のフルート奏者というのみならず、過去の大家たちと比べても最も稀有な存在ではないだろうか。

「フルートの神様」というと、通常は近代フルート奏法を確立したマルセル・モイーズを指すだろうし、彼ももちろん素晴らしい奏者だけれども、私としてはパユこそが「フルートの神様」と呼ばれるにふさわしい人だと思う。

パユ以外にも、素晴らしいフルート奏者はもちろんいる。

なかでも、馥郁たる「ウィーンの音」をもつ往年のウィーン・フィル首席奏者ハンス・レズニチェク(代表盤はこちら)と、朗々とした美音を聴かせる往年のニューヨーク・フィル首席奏者ジュリアス・ベイカー(代表盤はこちら)の2人は、私にとって特別な存在である。

また最近では、ベルリン・フィルのフルート奏者としてパユの先輩にあたるヴァンサン・リュカや、後輩にあたるマチュー・デュフォー、またベルリン・フィルとは関係ないがこれまた素晴らしいフルート奏者のシャロン・ベザリーなども、皆それぞれ大好きな奏者である。

しかし、好きなフルート奏者を一人だけ選べと言われたら、やはりパユを挙げないわけにはいかない。

 

 

彼の音は本当に特別で、他の誰とも全く違っている。

彼のひと吹きで、突然あたり一面が花畑になってしまうような、そんな音である。

華やかで香り高く、かつ繊細で優しい音。

そんな音が、全く力むことなく、気負いもなく、余裕をもって紡ぎ出される。

まさに「魔笛」である。

彼の音には、動物たちでさえ幸せを感じるのではないか?

 

 

ただ、先日のベルリン・フィル演奏会の記事にも少し書いたけれど(こちら)、パユの全盛期は1990年代から2000年代あたりだったように思う。

最近の録音だってもちろん素晴らしいのだが、以前に比べると音が少しかすれたり、ぼやけ気味になってしまっている気がして、何とも寂しさを感じる。

先日のベルリン・フィルの演奏会でも、すごい存在感ではあったのだけれど、やっぱりそのあたりのことを少し感じてしまった。

そんなわけで、今回のリサイタルは楽しみにしながらも、こわごわ行ったのだった。

 

 

今回の曲目の多くは、パユ自身の録音があって、

 

●シューベルト:「しぼめる花」変奏曲 パユ (Fl)、ル・サージュ (Pf) 1994年セッション盤(NMLApple MusicCD

●フォーレ:シシリエンヌ/幻想曲 パユ (Fl)、ル・サージュ (Pf) 1993年セッション盤(NMLApple MusicCD

●フォーレ:コンクール用小品/シシリエンヌ/幻想曲 パユ (Fl)、ル・サージュ (Pf) 2012年10月25~28日セッション盤(NMLApple MusicCD

●プーランク:フルート・ソナタ パユ (Fl)、ル・サージュ (Pf) 1997年2月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

はいずれも本当に素晴らしい、決定的な名盤となっている。

今回の演奏会は、これらの録音(特に1990年代のもの)に比べると、やはり少し音のかすれはあったし、全く力むことのない余裕綽々の美音もやや後退していた。

また、速いパッセージ(「しぼめる花」変奏曲の急速な変奏や、プーランクのソナタの終楽章など)では、上記録音ほどの完璧さは望めなかった。

しかし、それでもやっぱり、彼の音は素晴らしかった!

あの伸びやかな、ホールいっぱいに広がる音は、他の奏者からは決して聴かれないだろう。

多少のかすれや力みなど、問題にしている場合ではないと思われるほどの、あまりにも豊かな、贅沢な音。

特に、個人的に好きな曲であるフォーレの「コンクール用小品」では、繊細な弱音も、響き渡る強音もあまりにも美しく、この曲の情感の「ひだ」が余すところなく表現され、心に沁みとおるようだった。

あたり一面に拡がっていくような、空気感を伴った音の響き。

こういう美しさは、録音にもなかなか入りきらないのだろう、あとで上記録音で聴き直してみても、完全には再現されていない気がした。

 

 

また、パユの「衰え」について前述したけれども、彼の変化はそれだけではなくて、表現の彫りが深まった面もあるように思われる。

フォーレの「幻想曲」では、ゆったりした序奏が終わると急速な主部に入るのだが、その主部の主要主題が提示される直前に、フルートが幅広く音階を下行して上行する。

この最後の、半音階的に上行する数音は、ちょっとしたルバート(テンポの揺らし)も入れながらきわめて繊細にセンスよく奏され、主要主題への期待感を効果的に高めていた。

彼の若い頃の録音では、よりさらっとした表現になっている。

こういうところは、彼の表現力の「成熟」を示す、良い例ではないだろうか。

ドビュッシーの「ビリティス」も、ともすると単調になりそうな曲想が音楽的に表情付けされ(ため息のような弱音など)、素晴らしい表現になっていた。

 

 

なお、共演のエリック・ル・サージュも、私の好きなピアニストの一人である。

上記のパユとの共演盤はもちろん、フォーレやシューマンの一連の録音も大変素晴らしい。

ル・サージュの生演奏を聴くのは今回が初めてだったが、彼らしい硬質な響きの中にも歌心というか、独特の「華」があった。

ル・サージュのソロ・リサイタルも、いつか聴いてみたいものである。

 

 

終演後も、フォーレの「コンクール用小品」の美しさが頭から離れなかった。

全盛期のパユの演奏をもし聴くことができたなら、いったいどうなってしまうことだろう?

2004年にベルリン・フィル来日公演の「フィデリオ」を聴いたとき、フルートはパユだったのかどうか、またフルートがどんな演奏だったのか、当時私は全く気にして聴いていなかったのだけれど、当時の彼の演奏を、もし今、生で聴くことができたなら…。

そのように考えるのは、もうよそうと思う。

これだけ美しい演奏を聴かせてくれる、現在のパユ。

もう、十分すぎるほど十分である。

言うことなんて何もない。

願わくば、彼の奏するモーツァルトのフルート協奏曲やフルート四重奏曲を、いつか生で聴いてみたいものである。

 

 


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