(シャルル・リシャール=アムラン 2018年冬~夏の来日公演予定) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想でなく、別の話題を。

読者登録させていただいているブロガーの方の記事に、シャルル・リシャール=アムランの来日についてのご紹介があった。

彼の来日予定をまとめてみると、まず2018年1月に

 

①西宮、名古屋

ショパン:ピアノ協奏曲 第1番

 

②岡山、東京

モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
ショパン:即興曲 第1~4番
ババジャニアン:エレジー(アラム・ハチャトゥリャンの想い出)、前奏曲 – ヴァガルシャパト舞曲、即興曲 「エクスプロンプト」、カプリッチョ
シューマン:アラベスク ハ長調 Op.18、ピアノ・ソナタ 第1番 嬰へ短調 Op.11

 

の2種のプログラムで公演を行い、次に2018年5~6月に再来日して

 

1. 大阪、川崎

ショパン:ノクターン 第20番 嬰ハ短調 「遺作」
ショパン:即興曲 第1~4番
ショパン:エチュード ハ短調「革命」op.10-12
ショパン:ポロネーズ 第6番 変イ長調「英雄」 op.53
ショパン:バラード 第1~4番

 

2. 東京

シューマン:アラベスク ハ長調 Op.18

シューマン:幻想曲 ハ長調 Op.17

ショパン:バラード 第1~4番

 

3. さいたま

モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
ショパン:即興曲 第1~4番
ババジャニアン:エレジー(アラム・ハチャトゥリャンの想い出)、前奏曲 – ヴァガルシャパト舞曲、即興曲 「エクスプロンプト」、カプリッチョ

ショパン:バラード 第1~4番

 

の3種のプログラムで公演を行うらしい。

 

 

シャルル・リシャール=アムランは、とてもうまいピアニストだと思う。

2015年のショパンコンクールでも、第2位を獲得している。

ただ、私としては、できればその直後に予定されていた浜コン(浜松国際ピアノコンクール)のほうに出てほしかった(ショパンコンクールで第2位を取ったため、彼は浜コンのほうは出場辞退した)。

なぜ、このようなことを言うか。

実は、彼のショパンは私の好みとは少し違うのである。

とてもうまいのだけれど、どちらかというと純器楽的な印象のある演奏であり、私がショパンに求める歌謡性やロマン性は、強くは感じられない。

「歌謡性」と書いたけれど、決して歌心のないぶっきらぼうな演奏というわけではなく、きちんと抑揚もつけられている。

しかし、心からの憧憬というよりは、どこか醒めたような雰囲気を感じるのである。

ルバート(テンポの揺らし)もあるのだけれど、どこかよそよそしい気がしてしまう。

クレア・フアンチ、チョ・ソンジン、山本貴志、小林愛実、ケイト・リウ―こういったピアニストたちはみな個性的で、それぞれ全く違うショパンを弾くけれども、ショパンらしいロマンは共通して持っている。

しかし、リシャール=アムランのショパンは、彼らと異なり、私にはあまりしっくりと心の中に入ってこない(逆に、ショパンに食傷気味な人にとっては良いのかもしれない)。

2016年1月に聴いた、彼の弾くショパンのソナタ第3番の生演奏も、同様だった。

 

 

しかし、例えば彼の録音した、エネスコの組曲第2番や、カトゥアールのピアノ三重奏曲などの演奏は、文句なく素晴らしい。

彼の硬質で整ったきらきらした美音、純器楽的な特質が、曲にぴったりはまっている気がする。

これは、エリック・ル・サージュに少し似ているところがあると思う。

ル・サージュもまたリシャール=アムラン同様、やや硬質な、ひんやりとした手触りの演奏をする。

私は、ル・サージュのフォーレやプーランクは大好きなのだが、シューマンとなると、曲にもよるのだが何となく違和感を感じることが多い(特にソロ曲)。

ただ、ル・サージュは、彼のフォーレやプーランクだけでも、私にとってお気に入りのピアニストとなるに十分すぎる素晴らしさである(本当は、彼のドビュッシーやラヴェルももっと聴いてみたいのだが)。

リシャール=アムランも、いずれそうなる可能性があるのでは、とは思っている。

今のところ、ショパン以外にはエネスコやカトゥアールといったマニアックな作曲家の曲の録音が多いので、まだ大のお気に入りというまでには至っていないけれど。

 

 

私がリシャール=アムランをショパンコンクールよりも浜コンで聴きたかった理由は、前者ではショパンしか弾かないのに対し、後者では色々な作曲家の曲を弾くからなのだった。

冒頭で紹介した彼のコンサートにしても、オール・ショパン・プログラムよりは、できればヴァラエティ豊かなプログラムを聴きたい。

山本貴志のショパン全曲ツィクルスなんかだと、喜々として行くのだが。

その意味では、上記の2018年1月の東京、岡山でのソロ・リサイタルなど、多彩なプログラムで大変魅力的なのだが、残念ながら両方とも行けそうにない。

またいつか、同様の機会があることを楽しみに待ちたい。

 

 


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