今回は演奏会の感想でなく、別の話題を。
好きなピアニスト、高御堂なみ佳の2019年1月の演奏会情報が、自身のブログで発表された。
演奏会の詳細は以下の通り。
高御堂なみ佳*&宮原雄大# ジョイントコンサート
2019年1月31日(木) 18:30開場 19:00開演
ヤマハミュージック大阪なんば店 2Fサロン
【ソロ】
ショパン:子守歌 変ニ長調 op.57 *
ショパン:バラード 第1番 ト短調 op.23 #
リスト:愛の夢 第3番 変イ長調 S541, R211 #
リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調 S/G244, R106 *
【連弾】
ドビュッシー:小組曲 より 「小舟にて」「バレエ」
スメタナ:交響詩「わが祖国」 より 「モルダウ」 (連弾版)
サン=サーンス:死の舞踏 (連弾版)
以上である。
これはとても楽しみ。
彼女については、これまでにも記事をいくつか書いた。
(ショパン国際ピアノコンクール in ASIA 受賞者記念アルバム)
才能あるピアニストだと思うし、演奏をぜひご紹介したいところだけれど、ネット上に演奏動画はなさそうなので、代わりにここでその演奏の特徴について書いてみたい。
彼女のピアノ演奏の特徴は、まずその音の美しさにあると思う。
上記の第16回ショパンコンクール in ASIAのCDでも、他部門の金賞受賞者たちに比べても美音が際立っている。
相当にうまいピアニストでも、弱音はきれいでも強音は硬いとか、逆に強音は充実していても弱音は味気ないとかいったケースは少なくない。
しかし、彼女の場合は、弱音から強音に至るまで、均しく美しい。
美しい音といっても、例えば往年の巨匠ピアニスト、アルフレッド・コルトーのような美しさとはまた違う。
コルトーは美音の代名詞のようなピアニストで、現存する古い録音で聴いてもその美しさが十分に分かるほどだが、生で聴くとさらにすごかったらしい。
20世紀の日本の著名な音楽評論家である野村光一は、コルトーのレコードの解説に、以下のような文を書いている。
“わたしは1921年にイギリスへいった。21~23年とロンドンに滞在している間に、コルトーの実演を何度も聴いた。当時のコルトーは44、5歳の盛りどきだった。中年の脂ののったころで演奏はすさまじいものがあった。わたしは元来ピアノが好きで、イギリス滞在中も、あらゆる機会をつかんでピアニストを聴いた。パデレフスキとザウアーを除いて、有名なピアニストはほとんどもれなく聴いたつもりでいる。だが、なかでもいちばん強烈な印象を受けたのは、コルトーだったのである。
(中略)
演奏はまったく「華やか」の一語に尽きた。外の国ではどうか知らないが、彼はロンドンではフランスのピアノ、プレイエルを弾いていた。プレイエルはショパンが愛したピアノである。ショパン時代はどうか知らぬが、コルトーが使っていた頃は、音色が馬鹿派手に派手だった。しかも、この華麗な楽器を彼が弾くと、まるで真鍮の金盥を叩くような響きをたてたのである。だが、この名手の指先によって、色彩はさまざまに変わっていった。彼は見事なルバートを使っていた。鋭いリズムに支えられながら、はげしいダイナミックの対比のうちに、テンポを巧妙に動かしていた。それが聴者の心を刺したのであろう。
このようにしてコルトーは、ショパンを、シューマンを、リストを、ドビュッシーを弾き、ついでに、あのころはアルベニスまで弾いたのだ。彼の力の籠った、鮮やかな演奏を聴いていると、カクテルに酔ったように、陶然となったものである。こんなに感覚的で、フランス風にいきなピアニストは、おそらくほかに一人もいないと、わたしは思ったくらいだった。コルトーに較べると、ほかのピアニストはまるで色褪せたあだ花だった。当時、コルトーの独奏会の数日前か後かに、ブゾーニが独奏会を催したことがあった。それは彼の最後の会になったものだが、巨匠中の巨匠ブゾーニでさえ、コルトーの燦然たる演奏の前では、糟粕を噛むごときものとなったのである。”
引用が長くなってしまったが、こういう音を現代において聴こうと思ったら、小林愛実あたりが近いのではないかと私は考えている。
最初の一音で人を酔わせてしまうような、華やかで色彩豊かな、甘い音。
しかし、高御堂なみ佳の場合は、少し違う。
もっと控えめな、甘さを抑えた美音である。
喩えるならば、すっきりした風味の白ワイン、とでもいうべきか。
音色だけではない。
音楽全体の作り方においても、小林愛実は上述のコルトー評のように、ルバートを駆使し思いのたけをめいっぱい表現した、感覚的でセンスあふれる粋な演奏をする。
それに対し、高御堂なみ佳はテンポをあまり揺らさず、曲の構成感をしっかり確立したうえで情感を表現していく、ストイックで引き締まった演奏スタイルを採る。
華やかさの代わりに誠実さがあり、聴いた後には充実感が残る。
そんな彼女が、今度はリストのハンガリー狂詩曲を弾くという。
派手さがメインのようなこの曲を彼女が弾くとどうなるのか、興味が尽きない。
こう書くと、いかにも理詰めの頭でっかちな演奏のように思われてしまうかもしれないが、そうではない。
「構成感」「ストイック」と書いたけれど、だからといって現代音楽を本領とするような即物的なスタイルというわけではなくて、むしろロマン的な精神に根差した、情感豊かでみずみずしい演奏をするピアニストである。
先ほどは対比させて書いた小林愛実とも、この点においては全く共通している。
その意味で、今度のソロ曲のショパンやリストにせよ、連弾のドビュッシー、スメタナ、サン=サーンスにせよ、安心して名演を期待することができる。
ぜひ広くお勧めしたいコンサートである。
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