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10代と20代のプレッシャー

昨日までは12月の10代、
今日からは12月の20代、


スケジュールを見ながら、それぞれのDATEのプレッシャーが全然違うものだと思う。
問いかけてくる力が何倍も強い。
そう、切羽詰っているその感じ。


目一杯仕事をして、夜、ビデオに録っておいた1リットルの涙の最終回を見る。


沢尻エリカ、よくがんばったと思う。
フジテレビ、演出をもうちょっと…。
いくら何でも酷過ぎる。。。


とか何とか言いながらも、ベタな展開でも僕は泣けますから、
数ミリリットルくらいの泪は零れた訳です。


ダヴィンチコードは予想以上に好みだったので今夜は上巻を読み切るまでいきそう。

150回目の違和感

記念すべき2005年の150冊目にダヴィンチコードを読み始め。


ようやくここまで扱ぎつけたと、感無量。
いつもの乱読をやめてもう少しだけでも
大切にしながら読みたいと思う。


ここまでのところスピード感と薀蓄は悪くない。


というような所感を述べるまでもなくて、
下巻もよろしくと話をしたときの違和感。


ちょっと凹ng。

日曜日らしい日曜日

何度かベッドでぐずっていると午後になっている。
この感じは久し振りだ。


いつぞやのようにインスタントのクッパのもとに賞味期限切れの調味料や食材(贖罪が先に変換候補になったw)を
混ぜ足し適当な食事を拵える。


ドラマの録り溜めを見ながらあっという間に夕方。


宮沢賢治の詩集とサンテグジュペリの小説を買いに定番のように新宿へ出向く。
しかしブックファーストで目にした数冊の小説の魅力にとりつかれるも、決め手を欠き、結局のところは何も買わず終い。
ゴメンね。


備忘録:

迷っていたのは、

よしもとばななのみずうみ

長嶋有の泣かない女はいない

平安寿子の素晴らしい一日。


夕食はこれまた最近の定番のように、御徒町のラーメン横丁。
(ここでなければヨドバシAkibaか上野)


夜はNHK音楽祭の特番をBGMに、三島由紀夫の天人五衰を読了。
かなりショックな読後感。


是非豊穣の海を全巻読破してみて欲しい。そうすればこの気持ちは分かる。
時期が空いてしまっているので春の雪だけ読み返してみようか。

ホームパーティーとホームシアター

リーダーのお家の集いにお招きされたので遊びに伺う。

お土産は、前から自分が聴きたかった、シューベルトの歌曲集。

他の人たちは蟹とか木箱入りのワインとか、普通に立派だった(笑)


就職活動以来の南武線に乗ってお昼過ぎに待ち合せの駅へ。


奥さんとは初のご対面。一日中ビールを飲みながら、文句なくうまいお手製のお好み焼きを食べ、ごく平和的に人生ゲームをやって、蟹焼きと鳥鍋を食べ、再び人生ゲームをやって、最後にホームシアターの素晴らしさを体験して、帰宅は午前様。


どう言えば良いだろう?家庭的とは少し違う、人の温もりに近い気がする、とにかくひとり暮らしでは得難く目には見えない何かがあった。ご馳走様でした、と、ありがとうございました、と。


しかし、ホームシアター、素敵です。欲しくなったー♪数十万か…。う~ん…。人を呼ぶきっかけになりそうだけれど、恋人ができてから一緒に考えるのもありでもそうすると大抵は反対されるらしい。であれば、機に先じるか。春にはレコーダーを買う予定だし、はあ、悩みができたぞ。。。

暖かい毛布と張艶

週末のカウントダウンで爆発するはずの孤独意識には今とても暖かい毛布がかけられている。盲目と行間のそれはあくまで自意識的である。ただただみっともなくなってゆきながら、欲求は早足で階段を駆け上るのに、それでもほんの些細な出来事をできるだけ味わうように深読みできる。


朝のメールと、
机の上の本と、
夜のメールと。


知り過ぎる程に知っている、きっと何の意味もない出来事を、けれど、精神の張艶として果てなく包み込む。

「お前は幸せか?誰が隣にいるんだ?」そう何重にも畳み掛けて来る、この冬大流行の青色ダイオードのイルミネーションに彩られた12月の街の風を切りながら、セルフィッシュに足掻け!

ほろ苦く甘酸っぱいキャンディー

学生時代に覚えた煙草のルールを今もまだひきずっている。お昼休みから90分、講義をひとつ聴き終えた時より心持ちが退屈ではないが、それだけ頭が目が体が、重い。これは脳の認識でありながら、しかし、脳の疲労ではない。頭がぼーっとしている中の曖昧な意識下では、実態は眼精疲労であったり肩凝りであったり腰痛であったりするものがあたかも脳の疲労と考え勝ちかも知れないが、きっと明確に区別する事象だ。


ふたつの衝立の間にある島を挟んでひとつの入口のもとに合流する扉の前。彼女の姿を僕の目を通して脳が認識に至り、鏡などなくても対称的に、僕と同じ一連の動作を彼女が為す。口に出す言葉も無意識的に同じだ。ただ残念なのはそれがあくまでも僕と彼女の個人的な文脈に依存するのではなく普遍的だということ。


普遍的だというこのコンポーネントは恋愛の初期段階、それが生成される時間にはほぼ意味を持たないと同義である。この普遍性とは共通項を内包する一方でありながら必要要素とも言えない。まして特異性とは正反対である。少なくとも興味という嗜好性を刺激しその内奥を唆すジョーカーにはなれない。


しかし必ずそこにあるのは反応である。仮令、そそられることなく平均的に過ぎなくとも反応だけは期待できる。どんなに悲劇だとしても無反応ならある。


「お疲れ様です。」
「お疲れ様です。」
「そう言えば今、」


それに端を発した一連の他愛無い遣り取りは飽くまで他愛無い。それすら嫌疑の目を向けてしまう。とは言え喫煙室に誰もいなくて良かった。破顔の瞬間など衆目に晒すものではないのだから。その後、夕方に届いた一通のメール。ああ、この感覚は忘れられない。怖いもの見たさとはまた違う、通知書を開くときのこの感覚。知りたいけれど触れたくないある種の領域。


ほろ苦く甘酸っぱいキャンディーを頭の片隅に思い浮かべながら、
絶望と諦めの大地から今再び萌芽の予兆を感じている。

恋の説教部屋

19時、もうそんな時間でチームメンバーは誰もいない。
よし、やるか!!


と思った矢先の入電、そして、召集。


明日からが思いやられるなとため息をひとつ、
コートを羽織る。


行ったその先で聞いた話は、大体が予想通りで
後半はどこか恋の説教部屋状態になっていた。


しかしこんなに駄目出しされるのは初めてかも知れない。
そしてその指摘されたひとつひとつが当たっているのは、
悔しい。


結果をすぐに求めてはいけないのだろうか。
できるなら思いの丈を一気呵成に打ち明け、
楽になりたい。

追い込みの時期です

仕事がそれなりになかなか忙しい。
それは年の瀬といった感じがある。


まあこんなもんだなと思ったタイミングで帰って
自分で夕食を拵える。
今月も頭に大きな買い物をしたから節約しないと
いけないのに寒いとそれはとても億劫だと思う。


ご飯を食べながらドラマを観て
続いてベッドに潜り込み読書。

こうなったらもはや動けない。

前作がおもしろかっただけに期待して読んだら今作は外れっぽい。
さて、次は三島だ。豊穣の海を完結させようか。


仕事も小説も追い込みの時期です。

砂漠

予め断っておこう。

これはミステリーではない。

僕に言わせれば、まさに、

これはまさしく文学だぞ。


魔王でも思ったけれど、

伊坂幸太郎の小説とは実に扇情的なものだと思う。

単純に、台詞の言い回しや視座だけがそうだというのではない。

伊坂幸太郎の小説にも、もちろん、その要素はある。


しかし、それだけではない。


もっともっと小説というものを知りたくさせる。

踏襲した古典の世界を軽んじることはなく、

しかし、実験的な企てをも含む。


西嶋の言葉がとても秀逸な、青春群像小説。

順位をつけるならトップ通過はしないけれど

ああ、良い本に巡り会えたその感覚が確かにある。


それに比べれば今日あったことは所詮瑣末だなんて言ってしまえば

僕はとても砂漠では生きていけないかな。

砂漠の途中

日中はただひたすら伊坂幸太郎の砂漠を読み耽る。
まだ読み切っていないし感想は別の機会に譲ろう。


夕方、宅急便が届く。
何を買ったかは秘密。
Amazonでオーダーしていたとあるもの。
かなり嬉しい、というか、癒されるわー(笑)


夕食は上野(御徒町?)の武骨でラーメンを食べる。
12月の風の中、ひとりでラーメン屋に並んでいると、かすか孤独意識が駆り立てられる。

ともあれ最近、武蔵や二天や武骨でラーメンを食べる機会が増えている気がする。

前よりもおいしくなったと思う。


寒さゆえベッドにもぐりこんでいると、

義経の最終回を目前に素敵な瞬間を狙って睡魔が僕に囁きかけるから、

あえなく僕は堕ちる。

目覚めるとN響の時間まで終わっている…。
僕は再び不眠症の渦へ巻き込まれるのだ…。