カヌー
先月の22日(土)は、
雲間から覗く太陽、そして清々しい空気、高い空が印象的な
一日でした。
予てよりチャレンジしてみたかったカヌー。
私の急な誘いに友達は遠方にも関わらず応じてくれました。
東京で合流し、千葉へ向かいました。
プログラムは日本語なので若干心配していましたが、
その友達はカナダでカナディアンカヌーをしたことがあるそうで、
安心しました。
カナディアンカヌーは、カヌー自体が巨大で、
ダブルブレードのように右左交互に漕ぐのではなく、
シングルブレードで漕ぐそうです。
一人が右、もう一人が左といったように、決まった方向へ漕ぐため、
息が合わないと進みたい方向から逸れてしまうとか・・・。
今回訪れたのは亀山湖。
分かってはいましたが、まだ紅葉が始まったばかりでした。
防水のスーツを貸してくれます。
こんな感じで出発していきます。
「やっぱり、漕いだの初めてじゃないよ~~。」
なんて友達に乗せられながら私は調子良く漕ぎます。
スーツの下は薄いカットソーしか着ていませんでしたが、非常に暑かったです。
午前中のプログラムが終了し、昼食後、洞窟(?)のある方面へ進みます。
湖面は、藻だらけでお世辞でも綺麗だとは言えませんが、
撮っていただいた4枚のうち、誰だか良くわからない写真を載せます。
友達には許可を取ってないので顔を隠しておきます。
私の顔は手で隠れてますね。
山や森林を駆け抜けてきた秋の清らかな風が私の身体に入り込み、
私の身体は自然に満ち、自然の一部になったような気がしました。
日々のちっぽけなストレスが吐き出され、まっさらに解けて消えていきます。
喜びは私の中に存在し、自他に対する全ての感情は私自身に帰する。
自然が愛おしくなる瞬間。
自分が好きになる瞬間。
私よりも歳月を重ねた緑と自分とは異質に感じていても、
不図重なったかのように思うのです。
永遠は一過性の積み重ね。
私が嬉しかろうが悲しかろうが、私を無視するかのように進行し続け、
刻まれた事実は失われることはない。
全ては人間の理解を超えた不可思議な現象で繋がり続け、
私が与えられた時間の中で、
どこまでそれらを知りえることができるのでしょうか。
どこまで美しさを引き出すことができるのでしょうか。
話が大分逸れてきました。。。
最後に撮った一枚は笑いすぎなので、載せるのを躊躇いましたが、
影が伸びてきました。
このプログラムにご興味ございましたら「zac カヌー」で検索してみてくださいね。
そして、このあと、六義園へ紅葉のライトアップを観にいきました。
続く・・・
イルミネーション
ご無沙汰しています。
忙しさに感けて・・・というのは言い訳で、
相変わらず緑を体感しに出掛けたり、美術館へ足を運んだりしています。
色々と書きたいのは山々ですが、制作もしているのでなかなか・・・。
と、結局言い訳ですが、
この前のカヌーの記事は次回書きます。
今日は、手抜きになりますが、
先程恵比寿でイルミネーションを見かけたので、撮ってきました。
先日銀座でも朝から木々に電球を括り付けていて、少し心を痛めましたが、
人工的な眩い光は、ここ恵比寿でも暗い夜空に映え、やはり美しかったです。
エコとは逆行していますが、人々の心を温め、沢山の笑顔を
見ることができました。
母親が子供を抱えて、くるくる回転していました。
クルクル~~
今日で11月も終わりですね。
ミニチュアの花の制作を始めて、先週で一年経ちました。
自分の成長を感じています。
初めて作った作品とちょうど一年後作った作品の比較をしてみようかとも考えています。
出品しました。
南柯の夢のような話が続いてしまいましたね。
最近は仕事が忙しく、皆さんのブログへもなかなかお邪魔できずに
いました。
そして、待ってましたの3連休
少しずつお邪魔しま~す。
3連休は奈良へ行く予定でしたが、おじゃんになってしまい、
一日だけ遠出をすることになりました。
また千葉へ行ってきます。
前回の千葉の記事が途中なのが少し心残りです。
神代植物園も途中ですね
ボチボチ書いていこうと思ってます
ヤフオクに出品しました。
出展があるので、1年近く出品しないと思います。
ヤフオクの方が写真サイズは大きいです。
一円玉
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/113190844
生き続ける蝶
水蒸気量が減り、キリリと冷たく澄んだ空気。
月や星が輝きます。
冬が足元まで来ていますね。
緑色の草木が枯れて人々に寂しさを感じさせる秋、冬。
濃紺に帯状の瑠璃色が美しい蝶、ルリタテハは
可憐に色を振り撒きながらヒラヒラと飛び回ります。
二度と再生しない羽を痛めながらも越冬するルリタテハ。
そんな貴重なルリタテハを見ることができたのなら、それはあなたの潤いになりそう。
先日、うちの猫、プリンの腹違いの弟ロビンが、「キューキュー」と鳴いていました。
もっと早く見にいくべきだったのです。
ロビンの手元には、ルリタテハがいました。
家の中に、貴重なルリタテハが迷い込んでいたのです。
枯葉の保護色のような側面の翅に、私は一瞬蛾かと思いましたが、
翅を閉じているので、蝶と認識しました。
そして、翅の右側は、ロビンに傷つけられ1/3がなくなっていました。
それでも尚、一生懸命に力強く飛び立とうとします。
ロビンから逃れるためにばたつかせた翅。
舞い上がった瞬間、表の翅の鮮やかな瑠璃色が目に飛び込み、
蛍光灯の明るい照明の下で翼がパラパラと床に舞い落ちました。
その場面、その瞬間。
変えられない儚い事実。
生命を左右する重みのある事実は、美しい瑠璃色を一層美しい色にさせ、
残像として私の脳裏に焼きつきました。
あまりにも衝撃的でその事実を受け入れたくありませんでした。
私の頭は真っ白になり、事の重大さに気がついたときには、
胸が苦しくなっていました。
バラバラになった翅が散乱し、そのカサカサとした翅の色合いは、
道端で踏みつけられた枯葉のようでした。
翅を更に失ったルリタテハを外へ逃がしました。
枯葉のような翅は、まだふんわりしっとりとしていて、
ルリタテハが愛おしくなりました。
そして、ロビンを外へ出さぬよう、ドアを閉めました。
安心したのも束の間。
家族の者がそうとは知らず、「キューキュー」とルリタテハを探す
ロビンを外へ出してしまっていたのです。
私が数分前に触れた生命・・・
フワフワと柔らかい翅のルリタテハはカサカサの生命の抜け殻になり、
枯葉のように地面にバラバラになっていました。
引き裂かれた翅は、秋の風に撒き散らされました。
「ゴキブリだったら良かったのに」と放った一言の数分後、
今年初めてのゴキブリが目の前を走りました。
生命に優越つけるつもりはありませんが、
悲しくて、涙が出て、落ち込んでしまいました。
私はルリタテハの名前を知りませんでした。
こうやって知ったのも部屋に来てくれたからです。
あのときのルリタテハという一体の生命は、
私の記憶の栄養となり、あらゆるルリタテハを見ても
あの一体の存在が喚起されることでしょう。
それは私の中であのルリタテハが生き続けていることなのです。
即ち、ルリタテハが私の存在と結びついたこと。
私が生き続ける限り、普遍の事実。
あのとき知覚・認識した内容は、私の構築された記憶と認識の
世界の中に新たな潤いを与え、“蝶”を見たときに、
無意識にもその情報が喚起されることでしょう。
黒味の強い濃紺に映える鮮やかな帯模様の水色・・・
一生忘れません。
来てくれてありがとう。
画像はお借りしました。
こちらで側面の翅を見ることができます。