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サンクト・ペテルブルク市長を狙撃するテロリスト・ヴェラ・ザスーリチ

 

 

 

 

 

 

 ⇒【連載次回】マルクス解体(5) へ 


 

 

 

〔10〕 ザスーリチ草稿――「第2草稿」

 

 

 現存する「ザスーリチ草稿」は、「第1草稿」から「第4草稿」まで4通ありますが、公刊されているのは「第3草稿」までです。「第4草稿」は、実際に送られた書簡の文面とほぼ同じだとされています。原資料を見ることができない(見ても、マルクスの悪筆を判読できない)私たちとしては、全集の解説を信じるほかないでしょう。

 

 草稿が書かれた順序についても諸説あるようですが、ここでは、斎藤幸平さんにしたがって、日南田静真氏のテクスト・クリティークにより、「第2」「第1」「第3」「第4」の順に書かれたと考えます。

 

 読んでみると、4つの草稿の内容には、かなりの異同があります。マルクスの考えは一枚岩ではなく、あちこちに変遷しているのです。最終的には、短い期間の検討で結論を出すのは無理だと考えて、考察を打ち切っているようにも見えます。ここでもやはり、マルクスは無謬の神ではない。むしろ間違えだらけだ。本人もそのことを自覚していた、ということを――あたりまえの話ですが――確認できます。

 

 以上の前提で、まず「第2草稿」を読んでみます。内容は大きく5つの部分に分かれます:

 

(1)『資本論』の考察は「西ヨーロッパに限定されている」

(2)“社会発展法則” とロシアの関係

(3)「ミール共同体」は、共同体の最新の型

(4)「ミール」の型の分析と今後の展望:「内的な二重性」

(5)現状分析:「ミール」の発展を阻害している諸要因

 

 (1)は、送られた書簡と同様で、『資本論』に書いたことは(そのままでは?)ロシアには適用できないよ、と言っている部分。(2)では、それをより詳しく論じています。(3)(4)は、一転して、ロシアに限らず、ヨーロッパにも限らず、人類の原始共産社会~農業共同体といったものを一般的に論じ、そのなかで、ロシアの「ミール共同体」は、もっとも発展ないし変質した「共同体」の最新の「型」だとしています。そして、その型がもつ「集団的」性格と「私的」性格の「二重性」から、「ミール共同体」の今後について述べています。

 

 (5)はまた一転して、ロシアの現状分析であり、ザスーリチはじめロシアの論者には周知のことがらを書いているものと思われます。

 

 

ヴェラ・イワノヴナ・ザスーリチ

 

 

 

〔11〕 「第2草稿」――西ヨーロッパとロシア

 

 

 そういうわけで、(1)の内容は、前回〔9〕で紹介した・送られた手紙の前半と同じですが、ただそこで気になることがあります。以下は「第2草稿」です。

 


〔…〕私は〔ギトン註――『資本論』の〕341ページで、こう言っている。

 

「集団的所有の反措定としての私的所有は……労働の外的諸条件個々人のものである場合にのみ存立する。しかし、この個々人が勤労者〔小生産者,自営業者――ギトン註〕であるか非勤労者〔資本家,企業主――ギトン註〕であるかによって、私的所有は形態を異にする。

 

 〔…〕こうして、西洋における耕作者の収奪は、〔…〕私的所有の一形態を、私的所有の他の一形態で置きかえることである。これに対して、ロシアで問題となっているのは、次のことではないか、すなわち、土地耕作者たちの共産主義的所有〔「集団的所有」――ギトン註〕に代えて、資本主義的所有〔「私的所有」――ギトン註〕を創設する(setzen)ことである。〔…〕

 

 どんなにおめでたい人間でも、これがまったく相反する2つの場合であることを否定できないだろう。〔…〕

 

 たしかにそうだ! もしも、資本主義的生産がロシアにみずからの支配を確立するとしたら、そのためには、農民の大多数、つまりロシア人民の大多数は、賃労働者に転化されなければならない、ということは、それに先行して彼らの共同所有(Gemeineigentum)〔「集団的所有」――ギトン註〕が除去されることによって、彼らは収奪されなくてはならない。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,大月書店,1968,pp.399-400.  

註※ MEW のドイツ語テクストを参照して、訳文を一部改めた。以下、『マルエン全集』からの引用は、いちいち断らないが、同様。

 

 

 ここで、マルクスの考察は、「集団的所有」対「私的所有」という、かなりカテゴリックな筋道から、‥現実ばなれした概念思考から始まっているのです。勤労者の「個人的所有」である小生産者の所有・と資本家的所有との違いは、「私的所有」内部の「形態」の相違にすぎないとして、背景に押しやられています。

 

 (ただ、この引用の後半は注目に価します。「共同所有」は、斎藤さんの訳語でいえば「〈コモン〉としての所有」です。誰のものでもない〈コモン〉が収奪され、誰かの「私有地」として囲い込まれてしまう。「共同体」の束縛から解放されて誕生した「小生産者」の社会は、このような「私有」という爆弾をかかえて自己崩壊を運命づけられた一面をもっていたのは事実です。)

 

 

 

 

 しかし、じっさいの歴史過程では、西ヨーロッパでも、①共同体の解体によって、独立した「小生産者」が成立する、②「小生産者」が資本主義に収奪されて賃労働者に転落する、という2つのプロセスが、あいついで起きてきたと言えます。ロシアでは、①が今起きている、②はまだこれから、とも見られなくはないのです。

 

 小生産者の所有は、たしかに歴史上においては「私的所有」として成立しましたが、他面においては、勤労者〔der Arbeitende 働く人〕がみずからの労働諸条件をわがものとしている「個人的所有」でもあるのです。マルクスは、西ヨーロッパにかんしては、勤労者の小生産は、個人の自己実現と全面的発展の基礎となるものだとして重視していました。『資本論』で(⇒ゼロからの資本論(3)〔9〕)、理想的な未来社会における《アソシエーション》を、「個人的所有の再建」として定式化したのも、「勤労者所有」のそうした優れた特質に注目したからでしょう。

註※「個人的所有」: 私は、『資本論』の上記箇所(「否定の否定」)を読んだ時に、「個人的所有」の「個人的 individual」という言葉の意味が、どうしてもわかりませんでした。そこを説明している本にも全く出会いません。しかし、初期マルクスで「個人」と言えば「自己実現」が連想されます。そこから推すと、in-dividual とは、細分化されない、つまり全体性を保った本来的な人間存在という意味をこめたコトバなのではないか。最近はそう思っています。

 

 マルクスが、人間の自由な自己実現を可能にする物質的基礎‥といったことを論じているときには、人類全体を考えているはずです。人間の自己実現は西ヨーロッパだけの問題で、ロシアやアジアの低級人種は自己実現などしなくてよい、と考えていたわけはない。

 

 ところが、ロシアに関しては、マルクスは「小生産者」(独立自営農など)という社会的存在の意味を軽視しているかに見えるのです。私は、ここに大きな疑問を感じます。

 

 (2)に進みましょう。


 「ロシアの共同体も、西ヨーロッパと同様に、死滅する運命を免れない。そんなものは早く潰して、資本主義化しよう」と主張する論者は、つぎのような根拠を持ち出します:

 


『共同体的所有は、西ヨーロッパのいたるところに存在したが、社会の進歩とともにどこでも消滅した。どうしてそれは、ロシアでは同じ運命を免れようか?

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.400.  

 

 

 これに対するマルクスの反論:


『第1に、西ヨーロッパでは、共同体的所有の死滅と資本主義的生産の発生とは、〔…〕数世紀をもって数えられる長々しい中間期によって相互にへだてられている。

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.400.  

 

 

Simon Pasieka

 

 

 これは事実でしょう。この「中間期」こそ、「小生産者」が「共同体」の絆を脱ぎ捨てて独立し、健全に成長していくことができた期間だと言えます。しかし、マルクスは続けて、つぎのように述べます:

 


『もしもロシアが世界において孤立していたならば、もしも、西ヨーロッパが〔…〕長い一連の発展を経過してはじめて獲得した経済的諸成果を、ロシアが自力で作り上げなければならなかったならば、ロシアの共同社会が、ロシア社会の進歩的発展とともに宿命的に死滅すべき運命にあることは〔…〕一点の疑いもないだろう。

 

 しかし、ロシアの共同体の状況は、〔…〕まったく異なっている。〔…〕ロシアは、近代の歴史的環境のうちに存在し、〔…〕資本主義的生産の支配する世界市場に結びつけられている。それゆえに、この生産様式〔資本主義――ギトン註〕の肯定的な諸成果をわがものとすることによって、ロシアは、その農村共同体〔…〕を破壊するのではなくて、それを発展させ、〔ギトン註――社会主義に〕転化させることができるのである。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.401.  

 

 

 マルクスが言うのは、こういうことでしょう: 前近代の社会――つまり共同体的な社会――の胎内から、資本主義が自生的に誕生してくる場合には、資本主義の発展とともに「共同体」は解体に向かうことを免れない。しかし、いまロシアで起きている事態は、それとは違う。西欧の資本主義が侵入してきて「共同体」を掘り崩そうとしているのだ。

 

 ところが、ここでマルクスの論理は飛躍してしまいます。↑引用文後半の「それゆえに」以下は、それ以前の部分に、まっすぐにはつながらないのです。「それゆえに」では、何を言ってるのか、わからなくなってしまう。

 

 「それゆえに」を、「それにもかかわらず」と読み替えてみましょう。そうすると、だいぶ読みやすくなります: ロシアは、「資本主義的生産の支配する世界市場に結びつけられている」ので、そこから資本主義が侵入してきて「共同体」を掘り崩そうとしている。しかし、それにもかかわらず、ロシアは、「資本主義生産様式の肯定的な成果をわがものとすること」ができれば、「農村共同体を破壊するのではなくて、それを発展させ、(社会主義に)転化させることができる」。

 

 では、どうやったらできるのか? 資本主義は、共同体を壊そうとしているのに、それを逆手にとって利用して、共同体を復興するようなことが、いったいどうしてできるのか?‥‥ただちに、そういう疑問が湧きます。つまり、ここでのマルクスの論理に無理があることは、どうしても否定できない。大きな飛躍があります。

 

 この謎は、斎藤さんの解説を読んでようやく解決しました。当時マルクスは、ロシア・ナロードニキの政治思想から強い影響を受けていました。とくに、チェルニシェフスキーの影響が大きかったとされます。

 

 

『1870年代にマルクスは、〔…〕ナロードニキの創設者の一人とされるチェルヌイシェフスキーから強い影響を受けていた〔…〕チェルヌイシェフスキーは、〔…〕ロシアの伝統的な共同体は西欧資本主義の果実を取り入れつつ、他方で、西欧の社会主義運動は〔ギトン註――ロシアの〕共同体的生産から学ぶことで、新しい未来を切り拓けると訴えたのだ。』

斎藤幸平『マルクス解体』,p.314.  
 

 

 マルクスは、「ロシアの伝統的な共同体は、西欧資本主義の果実を取り入れ」て「新しい未来を切り拓」くべし、というチェルニシェフスキーのこのテーゼを受け入れて、ナロードニキの革命家ザスーリチのために、その実現可能性について、自分の理論を駆使して検討したのではないでしょうか?

 

 

Nikolai Gawrilowitsch Tschernyschewski

 

 

 そのように考えてみると、マルクスの・論理矛盾にさえ思われるような飛躍も、議論の出発点としては理解できるものになります。

 

 飛躍が悪いわけではない。問題は、「草稿」における検討の結果として、理論的に、この飛躍を埋めることができたかどうかだ。私たちの評価の方針は、そういうことになるでしょう。

 

 そこで、もういちど↑引用文の最初の段落に戻って見ると、‥‥もしも、ロシアが孤立していれば、ロシアの共同体は死滅する。ロシア社会そのものの自生的発展によって、解体・死滅する。つまり、ここでマルクスは、「共同体は、社会の進歩とともに解体する」という “歴史法則” を、西欧にもロシアにも通用するものとして受け入れていることになります。それが正しいかどうかは疑問がありますが、ともかくここでは受け入れているのです。


 そこで、それを前提に、いったん「草稿」から離れて、独自に推論を進めてみることにします:

 

 西欧では、①共同体の解体・小生産者の独立と、②小生産者の収奪・賃労働者への転落 の間に長い期間がありました。その期間こそ、「小生産者」が健全に成長していくことのできた時期だったと言えます。ところが、今ロシアでは、世界資本主義の侵入のせいで、この期間は短縮されようとしているわけです。農民たちが「ミール共同体」の絆を脱して「小生産者」に成長しようとしても、ツァーリ政府と、ツァーリに支援された資本主義は、彼らに襲いかかって潰そうとする。農民たちは、潰されまいとして、どうするでしょうか? …いったん手放そうとした「ミール」の絆に、必死でしがみつくのではないでしょうか? それが、ロシアの現状だと言えないでしょうか?

 

 もちろん、「ミール」には、農民を保護してくれる特性があるからこそ、そういうこともできるのです。しかし、現状で「ミール」が強靭な生命力を保っているように見えるのは、本来の特性というよりは、農民たちの抵抗の拠点になっているからではないか?

 そうだとすると、外国の掠奪的資本主義とツァーリ専制の抑圧――という阻害要因を除去した時には、どうなるのか?「ミール」は、“自然と” 再生に向かっていくだろうか!? むしろ、そうならないのではないか? 抑圧がなくなれば、農民たちは「ミール」にしがみつく必要がなくなり、利己的な方向に向かうかもしれない。少なくとも、自由と自立を求めて共同体のしがらみを厭うのではないか。その結果、
「ミール」は、「小生産者」を析出して解体に向かうかもしれない。

 

 もっとも、農民たちが「小生産者」として成長し、たがいに衝突するようになったとしても、「ミール」の助け合いや、直接民主制的な意志決定になじんだ農民たちは、矛盾を克服して《アソシエーション》に向かうかもしれない。何らかのきっかけで、そういう圧倒的な気運が浸透すれば、みながそっちへ向かうかもしれない。ただ、そうなるか、それとも仁義なき衝突のほうが圧倒して資本家と賃労働者に分解してしまうかは、経済法則だけでは何とも言えないことではないか、と。(おそらく、資本主義の圧迫による困難を経験すればするほど、農民たちは「ミール」の良さを見直して、その発展に努めるのではないか? 逆に、「ミール」のまとめ役の地位に立つ農民の一部でも、資本主義の〔あるいはソ連流・官僚国家資本主義の〕甘い汁を吸うのに慣れてしまうと、「ミール」は結局は解体してゆくのではないか。理論以上に、こうした・じっさいの歴史的経験が重要ではないかと思うのです。)

 

 

枯れ枝をひろう入会地農民。映画『マルクス・エンゲルス』より。

 

 

 

〔12〕 「第2草稿」――

原始共産制から「農耕共同体」まで

 


 (3)に移ります。太古の原始共産制社会から、最近の農村の「むら共同体」まで、人類はさまざまな「共同体」を経過してきました。さまざまな「共同体」の「型」があるなかで、ロシアの「ミール共同体」は、「この連鎖の最も新しい型に属している」というのです。

 


『そこでは、すでに耕作者は、彼が住んでいる家屋とその補完物をなす園地との私的所有を獲得している。これこそ、原古的形態〔「共同体」に同じ。――ギトン註〕を解体させる最初の要素であって、より古い型には見られなかったものである。〔…〕


 この・より古い型は〔…〕自然的血縁関係に基礎をおいているのであるが、ロシアの共同体が所属している型は、この狭隘な靱帯から解放されていて、まさにこのことによって、より広範な発展を遂げることができるのである。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.402.  

 


 この記述によると、「ミール共同体」は、屋敷地と菜園が個人の所有で、耕地・採草放牧地・森林・未墾地などはみな共同所有、つまり「ミール」の所有でした。もっとも、じっさいの耕作と生産は共同ではなく、各農民に割り振られた耕地で行なっている、としています。

 

 ところが、その次の段落は、ずいぶん大まかな話になってしまっています。「ミール」より古い型の共同体はみな「自然的血縁関係に基礎をおいている」というのです。これは、今日の古代史の水準ではとうてい認められない見解です。

 

 このあと↓の記述も、たいへん疑問です:

 

 

『農村共同体の孤立、ある農村共同体の生活と他の諸農村共同体の生活との結びつきの欠如、このような局地的小宇宙性そのことによって中央集権的な専制政治の自然的基礎をなすところのは、〔…〕それが見いだされるところはどこでも、つねにもろもろの共同体の上に中央集権的な専制政治を出現させたのである。

 

 ロシアでは、政府による束縛が排除されるやいなや、農村共同体の孤立的生活は消滅するであろうし〔…〕この孤立は容易にとりのぞかれうると、私には思われる。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.402.  

 

 

 マルクスは、「ミール共同体」の欠点として、この「局地的小宇宙性」をしきりに指摘するのですが、ここでは、それはツァーリ専制とセットになったもので、ツァーリ専制の束縛がなくなれば、「局地的小宇宙性」も自動的に消えるとしています。疑問の多い推論と言えます。

 

 このように、マルクスの「ミール共同体」に関する認識は、この「第2草稿」に関するかぎり、ちょっとどうかと思うようなものです。表面的で浅薄な推断が目立ちます。

 

 

Lecture de la déclaration d'abolition du servage de 1861 par Grigori Miassoïedov, tableau de 1881.

1861年農奴解放布告文を読む農奴たち/グリゴリー・ミャソエドフ

 

 

 しかし、(4)では、さきほどの「屋敷地と菜園だけが私的所有」という「ミール共同体」の特徴を、この型の共同体に固有の「内的な二重性」としてとらえ、そのダイナミズムを論じています。ここは注目に価します。

 

 

『おのおのの農民は、西洋の小農民と同じように自分自身の計算で自分の分割地畑を耕作し、用益するその分割地の果実をわがものとして領有する。土地の共同所有と土地の分割用益という、耕作の進歩の一要素であった〔…〕この組合せは、現代では危険なものになっている。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.402.  

 


 なぜ危険かというと、各農民のおかれた条件の違いによって、貧富の格差が生じるからです。余裕のできた農民は、動産(家畜、農具、種もみ、‥)を備蓄して、ますます生産を上げます。いったんできた格差はどんどん拡大する。「とりわけ国家の租税の圧迫によって、共同体のなかに利害の衝突をおこさせている。」こうして、共同体的な結びつきは崩れていきます。

 

 もっとも、その一方で、共同的・集団的な方向への要素も、なくはありません:㋑「共有の草地の用益」が集団的に実施されていること、㋺農民たちは「アルテリ契約」という協同慣行になじんでいるので、集団耕作の導入は容易と思われること、㋩ロシアの平坦な大平原の地勢が「大規模に組織された機械制耕作」に適合していること、㋥ロシア社会が農村共同体に負担させてきた莫大な租税を返す意味で、社会の余剰を農村に投入する政策が正当化されること。

 

 ㋥は、ナロードニキや社会主義者の影響のもとで政府が行なうべき政策ということでしょう。ただし、以上はあくまでも、「共同体をその現在の基礎の上で正常な状態に置くことから始まる漸進的な改革」だけを述べたのである、と。(pp.402-403)

 

 つまり、ツァーリ政府や資本主義をくつがえすような「革命」については、「第2草稿」では射程に入れていないのです。それでも、㋺㋩㋥から、西ヨーロッパ製の農業機械を導入して、協業による大規模農業を行なう方向は示されています。それが、西ヨーロッパにおける「資本主義生産様式の肯定的な成果をわがものとすることによって、ロシアの農村共同体を発展させる」ということなのでしょう。

 

 ただ、問題は、どのような「集団化」か?‥ということでしょう。英国や北仏のような借地農経営による大規模農業もありえます。その場合、「ミール」の存在は邪魔になるでしょう。「ミール」を基礎とするにしても、官僚国家が指導して、農民たちは受動的にそれに従うような「集団化」もありえます。そうではなく、農民たち自身のイニシアチブで《アソシエーション》として集団化を進めていくことは可能なのか? そういう方向が、マルクスの構想のなかにどの程度示されるか? それが、これからの見どころです。

 

 

モスクワ・ポクロフカ通りのチェルヌイシェフスキー像

 

 

 

〔13〕 「第2草稿」――まとめ

 


 以上見てきた各部分の特徴をまとめてみますと、つぎのようになります:

 

 (1)では、かなりカテゴリックに、「私的所有 vs 集団的所有」という対立軸で考察していました。資本主義の「私的所有」に対して、「集団的所有」を、ポスト資本主義の大原則として打ち出す視点です。しかし、この方向が行き過ぎると、個人の自己実現・人間的発展の基礎である・自由な「個人的所有の再建」が忘れられてしまいます。そして、もっぱら「共同体の再建」がめざされて、スターリン以後のソ連のような・個人を抑圧する専制的権力を生み出してしまう恐れがあると言えます。

 つづく(2)でも、西欧資本主義の併存を、「肯定的成果」の摂取→共同体の維持に有益、という面だけを見る強引な視点がめだっています。反面、世界資本主義の侵入が共同体を崩壊させるという側面が考察外になっています。先にチェルニシェフスキーのテーゼを掲げて、その実現可能性を探っていくという構成をとる以上、それはやむをえないことでしょう。

 

 しかし、ややもすれば、「肯定的成果の摂取」に急になるあまり、工場のような機械制集団農場の建設のみを成果と見なして、実際上は資本主義農業と・そう変わらないものになってしまうおそれはあります。

 とはいえ、(3)(4)では、「ミール」にも、西欧小農民と同様の「小生産者」の成長を見る視点が現れていました。そこから、一方では、共同体崩壊の危機が指摘されたわけですが、他方では、共同性の増進による《アソシエーション》への移行、という方向性も、かいま見ることができました。ここには、「個人的所有の再建」という『資本論』以来の構想が、「パリ・コミューン」の経験から具体性を得て深化しつつ、生きているのを確認することができます。

 なお、(5)の現状分析は、(2)の欠陥に対応して、「ミール」がこうむっている困難を、もっぱら、ツァーリ政府と資本主義志向の地主と利権屋による特殊な弊害と見る視点でつらぬかれています。それらさえ除去すればよい、そうすれば、「ミール」は自然に集団化の方向へ発展する、ということになってしまいます。総じて、この草稿のマルクスは、世界資本主義の侵入の破壊力――ツァーリや利権屋がいなくとも、資本主義自体が持つ破壊力――に対して、見通しが甘いと言えます。

 

 

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