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Die Abschaffung der Leibeigenschaft: Gemälde von Alphonse Mucha, 1914

アルフォンス・ミュシャ:「農奴解放令」

 

 

 

 

 

 

 ⇒【連載前回】マルクス解体(4) へ 

 


 

 

〔14〕 ザスーリチ草稿――「第1草稿」

 

 

 前回の「第2草稿」につづいて、マルクスが2番目に書いた「第1草稿」を見ていきます。章分けは前回と同じですが、(4)が大幅に拡充されているので、(4+)を設けます。

 

(1)『資本論』の考察は「西ヨーロッパに限定されている」

(2)“社会発展法則” とロシアの関係

(3)「ミール共同体」は、共同体の最新の型

(4)「ミール」の型の分析と今後の展望:「内的な二重性」

(4+)「ミール共同体」の将来

(5)現状分析:「ミール」の発展を阻害している諸要因


 まず、(1)は「第2草稿」とほぼ同じですから、付け加えて言うことはありません。


 (2)でも、「第2草稿」の主張は維持されています。つまり “論理の飛躍” はそのままです:

 

 

『私は答える。ロシアでは、〔…〕いまなお全国的規模で厳存している農村共同体が、しだいにその原始的性格から離脱して、全国的規模での集団的生産の要素として、直接に発展しうるからである、と。〔ギトン註――ロシアの〕農村共同体が、資本主義的生産の肯定的な諸成果をすべてわがものと〔…〕することが可能であるのは、まさにそれが資本主義的生産と同時的に存在しているためである。〔…〕それはまた、東インドのように外国の征服者の餌食でもないのである。

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,大月書店,1968,p.387.  

 

 

 ロシアの「ミール共同体」が、西ヨーロッパの近代資本主義世界と併存しているという歴史的環境について、一方的に、「資本主義の肯定的成果を取り入れることができる」という面だけを強調しており、その反面の・世界資本主義の侵入による「共同体」の変質・解体という “負の側面” には、目をつぶっているのです。インドのような植民地ではないから、資本主義の悪影響を免れる、というのは、あまりにも楽観的な見通しでしょう。

 

 のみならず、さらに、「ミール共同体」は「全国的規模での集団的生産の要素として、直接に発展しうる」という部分が付け加えられました。つまり、「第2草稿」以上に「集団化」を強める方向に向かっています。農業のみならず、全国のあらゆる産業を「集団的」に組織するという・社会主義化の方向が前提とされているようです。

 

 もっとも、この「集団化」は、のちの 20世紀の「社会主義」国家のような、国家が国有・国営によって主導するような集権的なものが構想されていたとは、ただちには言えません。おそらく、マルクスの考えは、そうではなかったでしょう。「パリ・コミューン」において歴史的経験を経たような、《アソシエーション》的な「集団的生産」の連合がめざされていたと考える余地があります。

 

 

Rioters and petroleuses firing public buildings in Paris

 during the Paris Commune, 1871 (1906). Collector/Getty Images

パリ・コミューン。公共の建物に放火する暴徒たち。

 

 

 (3)と(4)が大幅に拡充されていることは、この「第1草稿」の白眉といってよいと思います。

 

 

『さまざまな原始共同社会の生命力は、セム人、ギリシャ人、ローマ人などの社会の生命力よりも、まして近代資本主義諸社会のそれよりも、比較にならないほど大きかった。〔…〕これらの原始共同社会が衰退した諸原因は、それらが一定の発展程度を超えて進むのを妨げた経済的諸与件、〔…〕歴史的環境から生じている。〔…〕

 

 この共同体は、何らかのしかたで、たえまない戦争と内乱のなかで死滅した。おそらくは非業の死を遂げたことだろう。

 

 ゲルマン人の諸部族』の場合も、彼らが西ヨーロッパに大移動してきた時には、彼らは『すでに原古的な型の共同体』を失っていた。『しかし、その自然の生命力は、2つの事実によって証明される。〔ギトン註――第一に、共同体的慣行の〕いくつかの事例が、中世のあらゆる有為転変を生きぬいて、今日に至るまであちこちに保存されている。たとえば、私の故郷のトリール地方にもそれがある。

 

 しかし、もっとも重要なことは、この共同体が、それにとって代わった共同体――耕地は私的所有となったが、森林、牧草地、荒蕪地等は共同所有のままであるような共同体――に、特有の本質的特徴を、はっきりと刻印していることである。〔…〕この新しい共同体は、原古的な原型から受け継いだ特有の諸特徴のおかげで、全中世をつうじて民衆の自由と民衆生活の唯一のかまどとなった。〔…〕

 

 それゆえ、農村共同体はゲルマニアでは、より原古的な型から生じてきたのであって、そこでは自然発生的発展の産物であった。

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,pp.388-389.  

 

 

 つまり、人類の「原始共同社会」に起源するさまざまな「共同体」は、それぞれ固有の発展経路をたどって、現代の農村にまで変化してきた。それは、ローマ人のような支配者が計画して建設したのではなく、「自然発生的な発展」の結果なのである、ということが述べられています。

 

 そこで、その「自然発生的な発展」の諸相が具体的に述べられるわけですが、ここは、「第2草稿」よりも多少詳しくなっています。まず、「ミール」のような「農耕共同体」より以前の共同体はみな、「成員相互の自然的な血縁関係に基礎をおいた」原始的な共同社会だったとしています。これは、前草稿と同じです。

 

 その後の、「ミール」や西ヨーロッパ中世のような「農耕共同体」については、より詳しく述べられています。

 

 まず、「農耕共同体では、家屋とその補完物たる屋敷地が耕作者の私的所有となっている。」

 

 「原古的な共同社会」では、生産は共同で行なわれ、生産物だけが分配されたが、「農耕共同体」では、成員それぞれが自分の畑を「自分の計算で用益し」収穫物を領有する。ただし、耕地の所有権は「共同体の所有(Gemeineigentum)」で、土地の肥瘠による不公平が起きないように、定期的に成員のあいだで、くじ引きなどによる「割り替え」が行なわれている。

 

 このようにして、耕地の「私有(独占)」を認めないことによって、成員のあいだに貧富の差が生じるのを防ぐしくみが、「農耕共同体」にはあるのです。

 

 

ミレー:「馬鈴薯を植える人」

 

 

 そこで(4)では、「農耕共同体」における「私有」と「共同」の「二重性」について論じることになります。

 

 

『「農耕共同体」に固有なこの二重性が、この共同体に強靭な生命力を与えうる〔…〕一方では、共同所有とそれから生じるすべての社会諸関係とが、「農耕共同体」の基盤を強固にするからである。

 

 同時に〔ギトン註――他方では〕私的な家屋、耕地の分割耕作、およびその果実の私的領有が、より原始的な諸共同社会の諸条件とは両立しない個人性の発展を可能にするからである。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.390.  

 

 

 とはいえ、後者の発展は、長いあいだには、「共同体」そのものを崩壊させる作用をおよぼしていきます。「第2草稿」で指摘されていたように、家畜などの「動産的富」の蓄積は、耕地の共有・割り替えにもかかわらず、貧富の差を生じさせます。加えて、「他の多くの事情」が「経済的・社会的平等の解体者として作用し、共同体の内部に利害の衝突を引き起こす」。たとえば、自分も農奴である農民が、貧困化した他の農民を、農奴や奴隷として抱え込み、自分の経営を広げる、といったことも起こります。

 

 そうして富農化した農民の圧力によって、「共同体」の割り替え慣行は行なわれなくなり、成員の各分与地は私有地化していきます。貧農は自分の「私有」になった耕地を切り売りして失い、富農は耕地を集積して地主化していきます。その次の段階では、かつては〈コモン〉であった森林や牧草地の用益権が、分割耕地の付属物となって売買され、さらには地盤そのものが私有となって、有力者のものとなってしまいます。

 

 

古代および近代の西ヨーロッパの歴史的運動においては、農耕共同体の時期は、共同所有から私的所有への過渡期として、第1次構成から第2次構成への過渡期として現れる。

 

 けれどもこのことは、どんな事情のもとでも「農耕共同体」の発展はこの道を辿らなければならないことを意味するだろうか? けっしてそうではない。「農耕共同体」の土地形態〔屋敷地の私有⇔耕地等の共有――ギトン註〕は、次の二者択一(Alternative)を許している。それに含まれた私的所有の要素が集団的要素に打ち勝つか、それとも、後者が前者に打ち勝つか。すべては、その共同体が置かれた歴史的環境しだいなのである。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,p.391.  

 

 

 ここでマルクスが主張しているのは、共同体の中で「私的要素」が発展して、共同体そのものが崩れていくのは、ひとつの可能性にすぎない。歴史環境しだいでは、逆に、共同的ないし「集団的要素」のほうが優越して、「私的要素」を抑えてしまう場合もある、というのです。

 

 たしかに、前近代の為政者や王朝の指導者がしばしば苦心したのは、後者の「集団的要素」の発展を、何とかして促したいということでした。

 

 ただ、ここでマルクスが、「私的」と「集団的」の「二者択一」で問題を立ててしまっていることは、はたしてそれでよいのか、という疑問も感じさせます。この枠組みでは、たとえば、自由な自立した個人による「個人的所有」・「協同生産」の《アソシエーション》といったものは、持続的に存立する余地がなくなってしまうようにも思えるからです。

 

 

 

 

 

 

〔15〕 「第1草稿」――「ミール共同体」の運命

 

 

 (4+)は、(4)のあとに、新たに書き加えられた部分です。

 

(3)「ミール共同体」は、共同体の最新の型

(4)「ミール」の型の分析と今後の展望:「内的な二重性」

(4+)「ミール共同体」の将来

 

 「農耕共同体」の「二重性」が許容する「二者択一」において、前節とは逆に、「集団的要素」の優越へと進んだ場合には、どうなるか? ロシアの「ミール」がおかれた「歴史的環境」は、そちらの選択を可能にしているとして、将来の展望が述べられます。

 

 「ミール」が現在置かれている歴史的条件のうちで、その存続と「集団的要素」の発展という方向に有利な事情としては、㋑農耕共同体が、圧倒的な数と規模をもった支配的形態として、なお維持されていること、㋺土地の共同所有、採草地での共同労働、アルテリ契約の慣行、等の「集団的要素」を保持していること、㋩西欧の資本主義的生産と併存しており、その市場と結びついていること、㋥広大な平原というロシアの地勢が、機械制大規模耕作に適していること、が挙げられています。

 

 ㋩については、インドのような植民地とは違って、資本主義世界市場から一方的に破壊的影響を受けるようなことはないとしています。むしろ、農業機械と肥料の導入、「農学上の諸方法」と技術知識の摂取、「汽船、鉄道」などの運輸手段、「銀行や株式会社」などの「交換機構」、などの「肯定的な諸成果を組み入れることができる」。「ミール」みずからは「資本主義的生産の活動様式に縛られることなしに、その諸成果をわがものとすることができる」というのです。前回も指摘したように、一面的に楽観的な見通しであることは否定できません。

 

 ただ、そこで注目されるのは、「西洋の資本主義と物質的および知的な諸関係を結んでいること」を利点として挙げていることです。「知的な諸関係」とは、農学・機械等の技術知識の流入にとどまらないでしょう。むしろ、マルクスが重視しているのは、啓蒙、自由、民主主義、合理的思考、社会主義思想、などの西欧の「知的成果」を、ロシアの農民たちが摂取する影響ではないかと思われます。というのは、「現在、資本主義制度は、西欧でも合州国でも〔…〕危機のうちにあるのを、〔ロシアの〕農耕共同体が目の当たりにいること」が、「集団的要素」の優越を促すと、しきりに強調しているからです。西欧の資本主義は今や、「労働者大衆とも、科学とも、自ら生み出した生産諸力とも、闘争状態にある」。そのことを「ミール」(の農民たち)が知っていることが、ロシアが資本主義化の方向へ行ってしまわない歯止めになる、というのです。

 

 もっとも、マルクスは、「知的な諸関係」の具体的内容にはほとんど触れていません。

 

 また、㋥が言及されていることからも、マルクスの主要な関心が、農民たちの啓蒙的な「自立」よりも、機械制大規模耕作による農業の「協業化」にあることは否定できません:



『土地の共同所有のうちに・集団的領有の《自然的》基礎を持っている「農村共同体」〔…〕が、資本主義的生産と同時的に存在するという事情は、広大な規模での共同労働の物質的諸条件を、すっかりできあがった形でそれに提供するであろう。

 

 〔…〕集団労働が〔…〕農業において〔…〕分割労働〔農家ごとの個別生産――ギトン註〕にとってかわりうるためには、2つのことが必要である。そのような転化に向かう経済的必要性と、それを遂行する物質的諸条件である。


 経済的必要性についていえば、それは、「農村共同体」が正常な諸条件のもとにおかれるやいないや、すなわち〔…〕〔ギトン註――税と地代の〕重い負担がとりのぞかれ、耕作できる土地が正常な広さを獲得するやいなや、「農村共同体」自身において感じとられるであろう。〔…〕多かれ少なかれ原始的な農具を具えた分割耕作者〔…〕耕作者に対する抑圧が彼らの畑を荒廃させ、不毛にすればするほど、〔…〕彼らに必要なものは、大規模に組織された集団労働である。2,3デシャチーナの土地の耕作に必要なものにも事欠く農民が、10倍の広さの土地を与えられたら、状態がよくなるだろうか?』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,pp.393-394.  

 

 

 このようなマルクスの見通しには、疑問を抱かざるをえません。重い貢税負担から解放された農民は、あくせく働くのをやめて余暇を楽しんだり、知識・教養を高めることに余力を振り向けるのではないでしょうか? なかでも目先の利く者は、隣人にも共同体の慣行にも邪魔されずに、自分の畑で篤農に努めたり、経営を広げて致富することを望むのではないでしょうか? “自然と” 協同労働と集団的経営を求めるようになる、というマルクスの想定に、どれだけ現実味があるのかわかりません。少なくとも、自立した自由な個人の自己実現の「物質的基礎」となる・とマルクス自身が主張する勤労者の小生産経営に打ち勝って、集団的経営が農民たちを惹きつけるためには、単なる「自然発生的発展」ではない何かが必要になると思うのです。

 

 

レオニート・パステルナーク:「書斎のトルストイ」

 

 

ロシアは、「農耕共同体」が今日まで全国的な規模で維持されている、ヨーロッパで唯一の国である。〔…〕

 ロシアの「農村共同体」の歴史的状況は類例のないものである!〔…〕民衆生活の支配的な形態として、しかも広大な帝国に広くゆきわたった形態として維持されている。〔…〕


 土地の共同所有は、それが西洋の資本主義的生産と同時的に存在し、それと物質的ならびに知的な諸関係を結んでいることとあいまってロシアが個人主義的な分割地農業を〔…〕集団的農業に転化していくことを可能にしている。〔…〕

 「農耕共同体」を維持するうえできわめて有利な事情は、たんにそれが、西洋の資本主義的生産と同時的に存在し、したがって、資本主義的生産の活動様式に縛られることなしに、資本主義的生産の諸成果をわがものにすることができるというだけでなく、〔…〕現在、資本主義制度〔…〕が危機のうちにあるのを、「農耕共同体」が目の当たりにしていることである。〔…〕

  ロシアは東インドのように外国の征服者の餌食ではないし、近代世界から孤立して生存しているのでもない。〔…〕

 ロシアの農民は、すでに集団的農業を・共有の草地で実行している。ロシアの土地の地勢が大規模な機械制耕作をうながしており、農民がアルテリ契約に慣れていることは、分割労働から共同労働に移行するのを容易にしている。


 そして最後に、こんなにも長いあいだ農民の負担で生存してきたロシアの社会は、このような移行に必要な前払い資金を彼らに支払うだけの借りを負っている。

 もちろん、共同体の発展は徐々に行われるであろう。そしてその第一歩は、共同体を、その現在の基礎の上で正常な諸条件のもとに置くことであろう。

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,pp.391-393.  



 (5)についても、「第2草稿」よりも記述は拡張されていますが、内容的にはやはりロシアの現状分析ですので、ここでは検討を省略します。じつは、(5)では、漸進的改良に考察の射程を絞っていた「第2草稿」とは違って、将来の「ロシア革命」の展望を述べています。しかし、それについては、斎藤さんの解説に依拠して、このレヴューの最後に扱うことにしたいと思います。

 

 以上から、前回の「第2草稿」で指摘した問題点は、この「第1草稿」でも解決していないと私は考えます。とりわけ、(2)に現れていた “論理の飛躍” を埋めるような記述は、見出すことができませんでした。

 

 ただ、(3)(4)の「共同体の歴史」に関する記述が詳しくなったことは評価できます。前近代社会に関するマルクスの研究が進んだということでしょう。

 

 

レオニート・パステルナーク:「りんご狩り」

 

 

 

〔16〕 ザスーリチ草稿――「第3草稿」

 


 「第3草稿」では、「第1草稿」で大幅に膨れ上がった記述が、ふたたび大きく刈り込まれています。「第2草稿」より少し多めの分量におさまっています。

 

 (1)は、前2稿と変わりません:

 

 

『こういう次第で、この西ヨーロッパの運動においては、私的所有の一つの形態から私的所有の他の一つの形態への転化が問題になっているのです。これに反して、ロシアの農民にあっては、彼らの共同所有を私的所有に転化させるということが問題なのであろう。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,pp.404.  

 

 

 この定式が、一字一句このまま、実際に送られた清書に引き継がれます。「共同所有(集団的所有)⇔ 私的所有」というカテゴリックな対立軸を、「勤労者(労働する者 der Arbeitende)の個人的所有 ⇔ 他人の労働を支配する所有」という・より現実的な対立よりも優先する概念的思考が踏襲されています。

 

 ところが、(2)は大部分が除去されています。そして、残された部分でも、論調は一歩後退しているのです:

 


『西洋の諸社会(die westlichen Gesellschaften)の起源に遡れば、いたるところに土地の共同所有を見出すであろう。それは、社会の進歩とともにどこでも私的所有に席を譲った。したがって、ロシアでも同じ運命を免れまい、と。

 

 私はこの議論にたいしては、それがヨーロッパにおける経験に依拠する限りでのみ考慮に入れたいと思う。東インドを例にしていうと、〔…〕そこでは、土地の共同所有の廃止は〔…〕イギリスの文化破壊行為でしかなかった。このことを、誰ひとり知らぬ者はない。』

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,pp.404-405.  

 

 

 前2稿では、共同体の解体は、西ヨーロッパにだけ見られる現象で、ロシアでは、今でも「共同体的所有が広大な・全国的な規模で維持されている」(第2草稿)と、強硬に主張していました。事実は、ロシアでも共同体が、専制国家と資本主義の抑圧のもとで存続の危機を迎えていることを、各(5)では認めているにもかかわらずです。

 

 が、その論調を崩したようです。ここでいう「ヨーロッパ」は、ロシアも含むと見なければならないでしょう。つまり、ロシアでも「共同体」の解体はありうるという見解に改説した。ないし、改説を「考慮に入れ」はじめたのです。

 

 (2)は、前回に「第2稿」について指摘したように、どう見ても論理矛盾ないし飛躍を含む記述でしたから、さすがに、無理な強弁と認めて除去したのでしょう。

 

 その結果として、ロシアにおいても、「私的所有」要素の拡大による「農耕共同体」の解体過程が進行する余地はある――ということを認めたことになります。考えてみれば、これは当然のことで、(3)で述べる「農耕共同体の内的二重性」の理論と整合性をもつためには、共同体は「私的」要素と「集団的」要素の複合体で、「私的」要素が強まっていけば共同体の解体を免れない、ということは、理論上否定できません。

 

 (3)に移ります。人類のさまざまな「共同体」と、その交替・発展について述べられています。ここで、マルクスの草稿ごとの記述からはいったん離れて、彼が何を言わんとしているかをまとめて考えてみたいと思います。

 

 マルクスの念頭にある主たる論題は、ロシアの「ミール共同体」です。ここで広く、原始共同社会から現代西ヨーロッパの農村までを見渡して考察しているのも、そうしたさまざまな「型」のなかに、ロシアの共同体の現時点の「型」を位置づけようとしているからです。

 

 ミール共同体には(マルクスの認識では)、インドの農村とも西ヨーロッパの中世とも違う、大きな特質がありました。耕地が、個々の農民の私有ではなく、「共同所有」だということです。

 

 たしかに、耕作じたいは、個々の農家が自分の計算で行なっていました。ある農家がサボって手を抜いたか、たまたま畑の地味が悪かったかで、収穫が減ったとしても、ほかの農家の収穫高には影響しません。もちろん、共同体としての助け合いはありますが、それですべてを埋められるわけではない。そのかぎりで、経営は自己責任なのです。

 

 にもかかわらず、なぜ「土地所有は共同」だと言えるのかというと、耕作地の割り替えがあるからです。土地は場所によって地味が異なりますから、同じ面積でも肥沃地を耕作している農家は収穫が多く、やせた土地を耕していれば収穫は少なく、だんだん貧困になっていきます。それでは不公平なので、何年かに一度、村の農民のあいだで、くじ引きや順番によって耕作地を取り換えるのです。

 

 もっと厳密にやる場合には、村の耕地を、地味の良い場所、悪い場所で「耕区」に分け、各「耕区」をまた小地片(西ヨーロッパ中世の場合は、細長い地条)に細分して、「耕区」ごと、各家に小地片を分配します。各農家は、村のすべての「耕区」に、小地片(地条)を1つずつ割り当てられている形になります。これですと、あちこちの「耕区」に出かけて耕作しなければならないので、たいへんめんどうですが、村びとのあいだの公平性は保たれるわけです。

 

 しかも、もっと重要な帰結があります。このようにすると「共同作業」がやりやすいのです。西ヨーロッパの「地条」制の場合ですと、地条の幅は、犂が動いていく幅になっています。Aさんの地条を耕した後で、となりのBさんの地条を耕せば効率がよい。じっさいには、村総出で1つの「耕区」を共同作業で耕すことになります。これを「開放地条制(open-field system)」といいます。

 

 

オープン・フィールド・システム  土地の起伏を超えて延々と伸びる地条

 

 

 そういうわけで、「ミール共同体」では、「耕地が共同所有」だということが、大きなインパクトをもっているのです。結果として収穫が公平になるだけでなく、共同作業が行なわれやすい。マルクスは、共有牧地(入会地)の採草作業や干拓工事、「アルテリ」契約によるその他の作業が共同で行なわれていることを述べていますが、こうしたことも、耕地の共同とセットで行なわれていると言えます。

 

 反面、このような「耕地の共同所有」のもとでは、農民個人の創意工夫や努力で収穫を上げたり致富したり、といったことは難しくなります。自分の割り当て地にせっせと堆肥を入れて肥やしても、数年後には割りかえられて他人のものになってしまいますから、くたびれ儲けです。目端の利く農民や、農業に熱心な篤農家は、割り替えなどは廃止して、小農として独立したいと望みます。しかし、それも、貢税負担が重すぎたり、高利貸しや流通業者が暗躍して余剰を吸い取ってしまう状況では、篤農も致富も望めません。いきおい、「ミール」の共同慣行は維持されることになります。

 

 さて、3つの草稿を総合しますと、マルクスが考えている「共同体」の “継起的発展” は、つぎのようになっています:

 

 

① 原始共同社会=血縁的共同社会 人びとは共同の住居に住み、生産労働はすべて協働で、収穫物(あるいは狩猟の獲物)だけが分配されて個人の私的所有になる。

 

② カエサル『ガリア戦記』に描かれた紀元前1世紀のゲルマン人 耕地は、各氏族・部族に毎年分配されていた。しかし、個人には分配されず、耕作は共同で行なわれていた。生産が共同である点からいえば、①の一種と言ってよい。

 

③ 「農耕共同体」 ロシアの「ミール」が、この段階の例。ゲルマン人の場合には、②と④のあいだでこの段階を過ぎてしまったので、記録がない〔とマルクスは言う〕。 屋敷地と付属菜園が「私的所有」で、耕地、牧草地、森林、未墾地は「共同所有」。ただし、耕地は成員に分配され、「割り替え」や「開放地条制」があり、耕作は各個人が自己の計算で行なう。〔じつは、マルクス以後の研究によって、西ヨーロッパ中世農村はこの型であったことが明らかにされている〕

 

④ タキトゥス『ゲルマニア』に描かれた紀元後2世紀のゲルマン人 屋敷地と付属菜園のみならず、耕地も成員に分割されて「私的所有」となっている。牧草地、森林、未墾地だけが「共同所有」。〔ということは、西ヨーロッパでは中世初期→中・後期に、④→③という「集団化」方向の発展があったことになる。この「退行的発展」の原因として、領主階級の統率的役割を強調する学説が、最近では多い。もちろん、マルクス/エンゲルス当時には知られていなかった現象〕

 

⑤ 19世紀西ヨーロッパに残る「共同体」の名残り 森林、未墾地まですべて「私的所有」だが、森林の落ち枝は村人が自由に拾ってよい、などの慣行として「共同所有」の痕跡が残っている。

 

 

 ただ、マルクスの「草稿」の記述はかなり混乱していまして、③は、共同体の発展の最後の型だ、などと言っています。また、西ヨーロッパ中世の荘園は、↑上で書いたように③なのですが、マルクスは④だと思っていたふしがあります。そうかと思うと、「第3草稿」では「開放地条制」に似た記述をしています。

 

 「農耕共同体」という用語も、③を指したり、④を指したり、はっきりしません。

 

 (4)では、前2稿と同様に、「農耕共同体に特有の二重性」、それにもとづく「私的所有」の拡大と、共同体の分解について述べられます。そのなかで、次の記述は注目に価します:

 

 

『社会の原古的ないし原始的構成の最近の、そして最後の層としての農耕共同体は、同時に、原始的構成から第二次構成への過渡段階であり、したがって、共同所有にもとづく社会から、私的所有にもとづく社会への過渡段階でもある。この第二次構成は、もちろん、奴隷制と農奴制とに基礎をおく諸社会の一系列をふくんでいる。

 

 だが、このことは、農村共同体の歴史的生涯がそういう結果になるように運命づけられていることを意味するだろうか? そんなことはない。その生得の二重性は、次の二者択一を許している。私的所有の要素が集団的要素に打ち勝つか、それとも、後者が前者に打ち勝つか。すべては、その共同体が置かれた歴史的環境しだいなのである。

『マルクス・エンゲルス全集』,第19巻,pp.407-408.  

 

 

 「原始的構成」とは、「共同所有にもとづく社会」、つまり国家成立以前の社会であり、「第二次構成」とは「私的所有にもとづく社会」、すなわち「奴隷制と農奴制とに基礎をおく諸社会」および資本主義社会のことと思われます。たしかに、すべてが「共同所有」であれば、王様も皇帝も存在できないでしょう。神殿やピラミッドが王の「私的所有」かというと、首をかしげる点もありますが、そう言って言えないことはない。少なくとも、他人の労働を支配して、搾り取った剰余労働で造ったものです。奴隷制、農奴制、資本制、いずれもその意味で「第二次構成」に属するのは言うまでもありません。

 

 そうだとすると、(レーニンではなくマルクスの考えた)社会主義は、どちらなのか? 他人労働の支配に基づかないのだから「原始的構成」に戻るのでなければなりません。したがって、社会主義では「国家」は存在しない! 死滅するどころか、そもそも存在しえない。国家が残っていたら社会主義ではない。マルクスは、そう考えていたように思われます。

 

 

トルストイ『戦争と平和』挿絵

 

 

 このクダリ、思いつきとしてはなかなか魅力的なのですが、やはり、首をかしげる点はあります。マルクスは、農耕共同体は、「原始的構成から第二次的構成への過渡段階」だと言っていますが、「ミール共同体」の上には、ツァーリ・ロシアという厳然たる国家が聳え立っています。そもそも「ミール」の成員は農奴で、貴族地主の支配を受けています。「過渡段階」どころではありません。「第二次構成そのものだ」と言わなければ、論理的に一貫しません。

 

 どうもマルクスは、ツァーリ政府と資本主義に対して舌鋒が鋭いわりに、旧来の貴族地主の支配に対しては見過ごしている憾みがあります。「第1・2草稿」で、「ミール」の「局地的小宇宙性」は専制の基盤だ、と述べていたのもその一つです。「局地的小宇宙性」どころか、「ミール」そのものが「専制の基盤」ではないか!

 

 マルクスはなぜ、共同体そのものが専制の基盤だと言わないのでしょうか? ハッキリとそう言えば、西ヨーロッパ以外の人類(たとえば日本人)の直観には、彼の言は強い説得力をもって響いたと思うのですが。

 

 さて、このあとの「第3草稿」の記述は、「第1・2草稿」の短い要約というに尽きます。とくに、主張の変更もありません。そして、(4+)に移る前で、草稿は(散逸のため?)中断しています。

 

 したがって、「第2草稿」で述べられていた「漸進的改良」も、「第1草稿」で述べられていた「革命」も、この「第3草稿」には記述がないのですが、マルクスの関心がそれらの現実問題から、(3)(4)のような歴史理論に移ってしまったということではないと思います。むしろ、ロシアの現実問題へのマルクスの関心は続いている。

 

 次回は、以上の各草稿と、ザスーリチに送られた清書稿の考察をまとめ、この問題に対する斎藤さんの評価、そして私の評価を明らかにしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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