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 笠原十九司『日中戦争全史・下』 高文研, 2017. 

 

 

 

 これまでのシリーズ記事:

 

 日中戦争全史・上① 知られざる帝国海軍の謀略

 

 日中戦争全史・上② 侵略戦争の元凶は、海軍と。。。 だれ?

 

 日中戦争全史・下① 「陸軍は粗暴犯、海軍は知能犯」

 

 日中戦争全史・下② 「大東亜共栄圏」の真実

 

 日中戦争全史・下③ “敵基地攻撃”で消耗した日本軍

 

 

 

 シリーズ最終回は、最近朝日に載った加藤陽子・東京大学教授(日本近現代史)のインタビュー記事をリブログして、今始まっている新しい「日中戦争」戦前期について考えてみたいと思います。

 

 

 

『安全保障政策の大転換をうたい、防衛力の大幅増強を目指す岸田政権。その方針は今回改定された安保3文書に明記された。国民的議論がない中での大転換、大丈夫なのか。

 

 「戦前の3文書に立ち戻って考えてみては」と提案している歴史学者がいる。東京大学教授の加藤陽子さんだ。もう一つの3文書から何が見えるのだろう。

 ――政府は防衛政策の基本方針を示す安保3文書を改定しました。国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の3点で、昨年12月に閣議決定しました。

 「3文書を読むと、5年間の防衛費を今の1・5倍以上にあたる40兆円超にまで増額すると書かれていますね。めまぐるしい政策転換です。しかもこの文書は、国会ではないどこかで議論され、国会ではない場で決定されました。

 

  このような文書が天から降ってきて歩き出す。それはそもそも異様なこと、おかしいことなのだと認識する必要があります。方針が決められたあとに予算の議論をさせられている現実には何か逆転があると思うべきなのです」

 ――1・5倍以上も変化の幅があると、これまでの議論との連続性が見えにくくなります。

 「急に突きつけられたのは防衛費の問題だけではありません。安保3文書は中国を名指しして『これまでにない最大の戦略的な挑戦』と書くなど、敵を特定しようとする性格が濃厚です。中国の軍拡への不安が高まっているのは事実だとしても、現状は中国が日本を主たる敵だと言っている状況ではなく、不自然な記述です。ほかにも北朝鮮の『脅威』を強調したり、ロシアを『安全保障上の強い懸念』と書いていたりするなど、事実上、複数の国を仮想敵国とみなす文書になっています」

 

 

 

 

     ■     ■

 ――戦前の3文書について考えてみよう、と提案していますね。どんな文書を指すのですか。

 「日露戦争のすぐあと、明治期の1907年に日本は『帝国国防方針』を作成しています。『用兵綱領』『所要兵力』と合わせた3文書からなり、仮想敵国や必要な兵力を決めていました。時代に応じて改定されながら、第2次世界大戦に至るまでの日本の国防政策を方向づけています」

 ――なぜ今、昔の3文書を振り返ろうとするのですか。

 「不意打ちのように突きつけられた現在の3文書を、これまでの歴史の流れの中に位置づける手がかりがほしいからです」

 

 ――帝国国防方針を含む3文書は、なぜ作成されたのでしょう。

 「当時の国防上の深刻な課題は、日露戦争で陸・海軍の協同作戦が良好に進まなかったことでした。両軍の協同一致を促すために、天皇の裁可を受けた、両軍を統御できる最高基準として、3文書を作りました。平時からの連携を促す手法ではなく、上から文書で抑える手法を採ったのです。

  帝国国防方針には、陸・海軍の軍備を大幅に拡充させる数値目標が盛り込まれていました。文書を両者に受け入れさせるためです。ただ、実は作成側の狙いの中には軍拡を抑制することも含まれていました。陸・海軍による予算獲得競争を3文書で抑えられれば、とも期待していたのです」

 ――狙い通りに進んだのでしょうか。

 「いえ。むしろ軍拡が進んでしまったと言えます。原因の一つは仮想敵国の多さです。国防方針は陸軍の主な仮想敵ロシア海軍のそれを米国と規定する形で作成されました。しかし、当時ロシアが日本の主要な敵であったかは疑問です。そのときの具体的な安全保障環境に基づいて積み上げられた国防方針というよりは、組織としての陸・海軍がともに食べていけるようにという思惑の産物だったのです。抜け落ちていたのは、互いに協力して一致点を探し、国家として何をどう守るのかの戦略を一つにまとめる姿勢でした。

  世界最大級の陸軍国家・ロシア世界最大級の海軍国家・米国。その両方と同時に競う方針なのですから『必要な軍備』には終わりがありません。身の丈を超えた軍事力を持とうとする国防方針だったのです。また、文書を作ったこと自体が軍拡を誘発した面もありました。『方針に書かれた目標を実現するために』との理由で軍拡を求める動きや、軍拡のために仮想敵国を増やそうとする発想が誘発されていったのです。」

 ――議論して一致点を探す作業がなぜできなかったのでしょう。

 「対立型の思考から抜け出せなかったことが一因です。実のある議論をするには自らの考えの長短を互いに示しあう必要があるのですが、相手に勝つことばかり意識していると、欠点や問題点を隠そうとしてしまいがちなのです。」

     ■     ■

 ――安保3文書の方針は、具体的な安全保障環境に基づいて積み上げられたものに見えますか。

 「見えません。どれだけの防衛費がなぜ必要なのかを検討する前に、北大西洋条約機構(NATO)諸国並みの国内総生産(GDP)比2%に防衛費を増額するとの方針がまずあったからです。

  米国や欧州の国々に向けてアピールするための文書なのだからこれでいい、という考え方だったのかもしれません。ただ、防衛力を大幅拡充するという方針が中国に対する威嚇や脅しとして機能することには注意するべきです。

  1930年代前半の日本海軍の中には、自分たちが軍拡をしても米国は大規模な軍拡はしてこないだろうとの楽観がありました。しかし実際には米国は、対日戦争を想定した国防プランを持っており、40年と41年にはそれぞれ日本海軍に匹敵する規模の艦隊建造を図っています。日本は、自らの軍拡が相手の目に威嚇や脅しとして映ることや、相手が国力の点で無限に戦争を継続できる国であることを軽視していたのです」

 ――軍備拡大に抗しようとした動きはあったのでしょうか。

 「ありました。1907年に国防方針が制定されたとき、首相だった西園寺公望は天皇にこう奉答しています。複数の列強国に対して軍備で優越することは望みがたく、我が国の財政はそれを許せる状況にはありません、と。

  国防方針は事実上、政府や議会には知らせずに軍が作成したものであり、西園寺は首相でしたが3文書のうち所要兵力しか閲覧を許されませんでした。しかし彼はその後、情報が自らに開示されていない現実を逆手に取り、自分は文書全てを認めたわけではないと主張するための足場にしました」

 ――民主的な仕組みは軍拡の抑制に力を発揮したのですか。

 「議会や政党が軍拡に反対した歴史は重要です。実際、二大政党が交代で内閣を組織した『憲政の常道』の時代には、国防方針に掲げられた軍拡目標の達成は実現しにくい状態になっていました。議会や政党が担ったのは、安全保障環境と国家の財政状況、国家予算をすりあわせる作業でした。
〔つまり、政党と議会は、「国防方針」を既定の前提として、‥‥しかし財政状況からすると、できるのはこの程度ですよ、‥‥と言って抵抗することしかできなかった――ギトン註〕

  30年には、海軍軍令部が反対する中で浜口雄幸内閣がロンドン海軍軍縮条約に署名しています。重い軍事費負担にあえいでいた当時の経済状況から見れば妥当な選択でした。国防方針を盾に『それで米国と戦えるのか』との批判が出ましたが、本来、身の丈に合っていない国防方針の方を見直すべきだったのです。しかし実際には『政党政治は国防をないがしろにするものだ』と訴える勢力が優勢になり、民主政治が存在感を示した時代は32年ごろ終わりました。」〔浜口内閣(民主党の先祖)は天皇の軍・統帥権を侵犯している、という陸海軍の批判に対して、政友会(自民党の先祖)は、これに抵抗するどころか、逆に助長して利用し、世論を煽った結果、浜口首相は東京駅頭で右翼に狙撃されて死んだ――ギトン註〕
 

 

  

 

 

     ■     ■

 ――日本は戦後、民主的な国家として再スタートしました。安保3文書のありようは民主的な社会にふさわしいものでしょうか。

 「いえ。安保3文書を読んでいて不安を感じるのは、誰がどう作成したのかが分からないところです。政府の有識者会議の一員を務めた国際政治学者の中西寛さんは、議事録によれば、最終回の会合で次のように発言しています。安保3文書の取りまとめについては、意思決定に誰がどういう形で関わっているのかについて必ずしも国民に見えない、と。

  また日本政府は、米国政府と裏側で何をどうすり合わせているのかを国民の前に明らかにしていません。先月の国会でも、具体的な説明をしない姿勢に終始しました。軍事機密の部分はあるにしても、国民の税金を使うことの費用対効果がどうなっているのかを説明する方法はあるはずです。」

 ――米国と中国の対立が深まり、台湾有事に備えるべきだという声が日本でも上がっています。

米国と中国は、自国の領土内
〔つまり台湾海峡――ギトン註〕で戦争をしようとは思っていません。両国が衝突したら、火の海になるのは日本列島でしょう。
〔米・中が戦争をするとしたら、日本列島、朝鮮半島、南シナ海のいずれかにおいてです。朝鮮戦争は、そのような考えのもとに、毛沢東が金日成にゴーサインを出して開始させました。――ギトン註〕

  戦争を違法化した不戦条約をはじめ、戦前期に達成されようとしていた国際秩序を、武力で踏みにじってしまった国が日本でした。その過ちを反省したことで戦後、日本は世界へ再参入する切符をもらったのです。急迫不正の侵害や存立が脅かされる事態が起きない限り武力行使をしない国として日本は歩んできました。そんな国家が、対立する中国と米国の間に3千キロの長さにわたって位置していることは、両国の平和にとっても大きな意味があるはずです」(聞き手 編集委員・塩倉裕)

   
*  かとうようこ 1960年生まれ。東京大学教授。「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」「昭和天皇と戦争の世紀」など戦前期に関する著書で知られる。』

 

 

 

 

◆◆  ま と め ◆◆

 

 

 かんたんにまとめておきたいと思います。

 

 「戦前」と現在(新しい「戦前」)、――国防「3文書」は、何が同じで、何が違うのか?

〇 現在の「安保3文書」とは、『国家安全保障戦略』『国家防衛戦略』『防衛力整備計画の』3点だが、日本帝国時代に、これにあたるのは、明治期 1907年に作成された『帝国国防方針』『用兵綱領』『所要兵力』であった。

〇 明治期の「3文書」は、第2次世界大戦に至るまでの日本の国防政策を方向づけていた。したがって、無謀な太平洋戦争に突入して行った日本帝国の運命は、日露戦争後に「3文書」が作られた時に、すでに決定づけられていたと言ってもよい。

  これに対して、現在の「3文書」もまた、①誰がどうやって決めたのかが秘密にされている点、および、②これを事実上の絶対的既定事項として、政党および議会は、予算調達の方法だけを議論している点からして、将来の破局に至るまでの「運命」として機能する恐れが大きい。

〇 明治期の「3文書」は、日露戦争で明らかになった・陸軍・海軍のあいだの不一致、協同作戦不能の状況を是正するため、「天皇の統帥権文書」で上から抑え込むために作られた。したがって、作成に軍が関与していたことは明らかだが、作成の主体は陸軍でも海軍でもなく、もちろん明治天皇でも議会でもなく、首相は(『所要兵力』を除いて)その内容を見ることさえ許されなかった。

  明治期の「3文書」は、陸・海軍を抑えるための文書であったから、抑えるのと引き換えに陸・海軍に「アメ」を与える内容をふくむことは避けられなかった。つまり、陸・海軍に対して、無制限の軍拡という目標を与える機能をもっていた。その要点は、「3文書」が、①現状認識にもとづかない多数の仮想敵国を想定したこと、②陸軍の主要敵としてロシア、海軍の主要敵として米国を設定したこと、などに現れていた。世界最大の陸軍国ロシアを陸軍の仮想敵とし、世界最大の海軍国米国を海軍の仮想敵とする「3文書」は、当時の日本の国力では到底実現不可能な無限の軍拡を推進するものであった。

  これに対して、現在の「3文書」には、陸・海軍の対立を抑えるという目的はない。また、文書自体は国民に公表されている。しかし、(a)作成主体と意思決定プロセスが秘密にされている点、および、(b)数値目標(GDP比2%)という形で、「軍拡」を、議論の余地なき不可侵の前提としている点では、日本帝国の「3文書」と異ならない。(c)近隣の大部分の国家を「仮想敵国」としている・現在の「3文書」は、仮想敵の多さという点でも、戦前の「3文書」と異ならない。したがって、今は「2%」にすぎないが、今後の進展によって「無限の軍拡」に伸びてゆく可能性はある。

  戦前の「陸・海軍」に代わって、「3文書」の作成に関与している実質的主体と考えられるのは、ひとつは米国(連邦政府及び米軍)である。加藤教授は、国内の関与主体については、考察を述べていない。(「審議会」というものは、日本では、各界の「有識者」を集めて多額の報酬と引き換えに、「事務局」が提示する答申案に賛同のお墨付きを得るためのものであって、それ自体は意思決定プロセスではない。むしろ、真の意思決定プロセスを覆い隠すための装置である。)したがって、「3文書」の決定に、米国以外の・どんな国内主体がどう関与しているのかは不明である。

 

〇 戦前の「3文書」は、現実の国際環境の分析に基づくものではなく、陸・海軍間の対立の抑制という・もっぱら国内的必要性によるものであった。このような・防衛方針としては失格ともいえる非現実性を、大きな特質としてもっていた。

 

  これに対して、現在の「3文書」は、米国を中心とする諸国の国際情勢認識を、忠実になぞっているかに見える。その点で、非現実性を免れているといえるだろうか? ‥けっして、そうは言えない。というのは、米国などの諸国の世界戦略は、それぞれの国家、それぞれの地域の利益を目標としているのであって、日本の利害も、東アジア地域の独自の情勢も考慮してはいないからである。たとえば台湾海峡をめぐる情勢判断に明確に表れているように、米国政府は(わかりやすく言えば)民主党の選挙対策と兵器産業の利益のために緊張を高めている面が大きい。中国も、20全会・総書記三選を前にして習政権(党・政府・軍)への民心結集をはかるために、緊張を利用していることが見てとれたはずである。

 

  独立国家の情勢分析とは、このような各国の軍・政府の偽装にみちたふるまいを見透かした上でなされる、自国益本位の考察でなければならない。しかし、日本の現在の「防衛3文書」は、このような意味での情勢分析を欠いた非現実的な作文と言わざるをえない。

〇 戦前の「3文書」は、日本帝国が軍拡に邁進することによって、「仮想敵」とされた諸国も、いっそうの軍拡を強いられることになる――という効果について、まったく無感覚であり、その結果として、第2次大戦における敵・味方の巨大な破壊力をもたらしてしまったと言える。

 現在の「3文書」は、この点の無感覚さにおいては、戦前の「3文書」とまったく異ならない。これが、もっとも危険な点だといえるかもしれない。日本帝国は、「自らの軍拡が相手の目に威嚇や脅しとして映ることや、相手が国力の点で無限に戦争を継続できる国であることを軽視していた」ために破滅したのだが、同じことは現在の日本国にも言える。

〇 「3文書」に限らないが、日本という一国と「仮想敵国」との1対1の関係を想定して、攻撃をどう防ぐか、どう反撃するか、などと論理操作する・いま朝野で行なわれているすべての議論は、まったく非現実的で不毛である。少なくとも東アジアという領域の中で、日本という中核国家が軍備を増強することが、どんな効果をもたらすのか、「仮想敵」を主張することが何を意味するのかを考えてみる必要がある。

  『日本国憲法・前文』には、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と書かれてはいないだろうか?

 


 

 

 


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