↑上勝「くるくるハウス」
いつかのクリスマスライヴにて。
もう何度も書いていることですが、
我が青春の白猫堂ノスタルジック
そのはじまりの地、小松島の「福くら」さん が産みの親ならば、
「くるくるハウス」 は育ての親。
そこでこはくのマスター と弾き語りを披露しました。
そして、その後ビールを呑んでいたら、当時管理人であった隊長が、
(あの9割ジョークしか言わない隊長が)
「イベントを・・・やって頂けませんか? イベントが欲しいんです」
と、いつになく真剣に、まっすぐな眼差しで、そう言ってくれました。一言一句はっきりと覚えています。
・・・どんな柄のシャツを着ていたかさえ覚えています(台無し(笑
・・・今では「ああ、上手い事口説かれたな(笑 」と思うこともありますが(これこれ)
その後のイベントが現在の活動の礎となり、
そして、数々のコラボを経て、いつの間にか自分がプロデュースする立場となり、
「・・・ああ、ボンボンさん を、いつか上勝にお連れしたいなあ」
そう思ったのが確か去年の冬、そしてそれを直接伝えたのがそれから数ヵ月後、
正式に打診に上がったのが先々月。
わたべレディ整体院 のまいRINさん と初めて出会った(正確にはその前にお会いしているが、会話がなかった(笑 のが、ちょうど1年前の手芸のおがわさん主催イベント。
リラクセーションサロン ケレンシアのyaeさん と出会ったのが、ちょうど「梅雨の楽しみ」 の直前。
「わたべシア」が結成されたのが今年の夏、スタジオXYさんのイベント。 そしてその打ち合わせ場面に偶然居合わせた自分。その場所はボンボン・スールさん。
私が、上勝くるくるハウスで初めて人前で、ほぼソロで唄った
のが、イエローモンキーの「JAM」
その名を冠した白猫堂ノスタルジック「JAM」
を終え、Bon Bon 雑貨店⑨
を終え、挑む「なごむ上勝」
その後に控えているのが、今年再び開催される、手芸の店おがわさん のイベント。
だいぶ前の記事で、俺の背中をバチーンと叩いて、気合いをいれてくれたのが小川和美さん。
いくつもの偶然がある日必然となり、それまで形もなかった、自分の頭の中でぼんやりとしか存在しなかったはずのものが、目に見える形で表現される。
何年も何カ月もかけて、綺麗な一枚の絵になる。
そしてそれが、たくさんの人たちを笑顔にする。
何よりも、やってる自分自身がそれを面白がっている、楽しんでるフシがある(笑
これだから、この仕事はやめられません。
白猫堂ノスタルジック
は、自分にとって最高の仕事です