憂きこともうれしきことも過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる・・『乾山』銀座七丁目店の雅なる寿司 | 銀座由美ママの心意気

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働く女の心意気を、銀座という世界を通して、様々な観点から表現したくブログを始めました。 そんな銀座ママの日常です。どうかご笑覧下さいませ。






唐衣 きつつなれにし つましあれば
はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
―在原業平「伊勢物語」





由美ママの好きな図柄に
先日の由美ママブログ→ http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10561701317.html (2010年6月14日号)

でも紹介した“かきつばた”がありますが、

下記、「尾形光琳」の名作『燕子花(かきつばた)図屏風』は、
1701~04年頃に制作された初期作品で、

各縦1.5m、横3.6mという大画面(六曲一双)に群生する“燕子花”が描かれています。

↓↓↓



銀座由美ママの心意気-尾形光琳 かきつばた図屏風  

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic12.html




この図屏風をよく見ると所々が同じ構図になっており、

染物模様のように同型を繰り返し使うこと(型置き技法)で、

全体にリズム感を与えていますが、

この“型”を使うという発想は、呉服商の経験からきているのでしょうが、

使用された色は極端に少なく、群青と緑青のわずか2色のみ。




また、本作は「伊勢物語」の九段目「東下り」の段をモチーフにしていて・・・

「都には自分の居場所がないと思った在原業平は、

同じ気持を共有していた友人たちと、

京から愛知へ道に迷いつつ下り、八橋にたどり着く。

川のほとりで食事していると目の前には燕子花が咲き乱れていた。

そこで友から“かきつばた”の五文字を上の句にして歌を詠め・・・と促され

業平はこう歌い、これを聞いた友人たちは思わず飯の上に涙を落とした・・・」

と記されています。





ところで、日本の美術史には装飾美を究めた「琳派」という流派があり、
この一派は大変ユニークで、
普通、一門というのは血縁関係があったり、
直接の師弟関係があるものですが、
「琳派」の師弟は直接会ったことがないばかりか、
生きている時代も全く違い、
始祖は江戸初期の「俵屋宗達」で、
その技法を受け継いだのが80年後の「尾形光琳」、
さらに100年を経て酒井抱一らが後に続いきました・・・



そして、“師弟”とは言うものの、
教えを乞うにも師匠はとっくの昔に他界しているので、
もっぱら作品模写に徹し、
とにかく徹底的に師匠の作品を写しまくり、
構図の妙や色彩方法を自力で学び取ることがその修業方法ですが、
この流派の中でも、作品の華やかさから代表格に見られているのが、
「尾形光琳」であり、
その名から一字を取って「琳派」と呼ばれました。




そんな「光琳」には、五歳年下の弟がおり、
この弟とは、京焼の名手『乾山(けんざん)』で、
二人の生家は京都の裕福な高級呉服商でしたが、
父の死後、派手好きな兄「光琳」の放蕩三昧の所為で
破産に至ってしまいます・・・



実はこの兄弟は全く正反対の性格で、
『乾山』は物静かで読書を好み、
自身は趣味で習っていた陶器づくりを商売にする為に、
腰を入れて仁清から陶法を学び、
6年後に自分の窯を構えました。



そんな自活する弟の姿を見て
「光琳」も絵筆で立つ決心をし、狩野派の画法を習い、
40歳頃から「光琳(こうりん)」の名で作品を発表し始め、
1701年、43歳で絵師として栄誉ある位・法橋に叙せられました。



その後、
『乾山』を助けるために、50歳で帰京し、
絵師として知名度のある「光琳」が『乾山』の作品に絵付けするようになり、
『乾山』が焼き、「光琳」が描く・・・
ここに美術史上最強の黄金タッグが結成され、
数々の傑作が生れていきました。



銀座由美ママの心意気-乾山作品
『乾山』が焼いた「さび絵滝山水図茶碗」



銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店玄関  
先週、由美ママは「寿司田」グループの名店『乾山(けんざん)』銀座七丁目店 http://r.gnavi.co.jp/b122919/
へと出かけましたビックリマーク
この「寿司田グループ」は、今年55周年を迎えた本格江戸前寿司チェーン(国内53店舗 NY2店舗)です。http://www.sushiden.co.jp/index.html

銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店2


銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 お座敷 銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 テーブル席
お座敷とテーブル席

銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店2


銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 鮨ねた


銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 鮨ねた2  
カウンター“鮨ねた”




やがて『乾山』は兄の死後、30年近く生き、
晩年は江戸に上がって筆を握り、
文人趣味の優れた書画などを残し、
この二人の菩提寺は1788年の大火で焼け落ちてしまいましたが、
光琳百回忌の際、かつ「光琳」が「宗達」に私淑したように、
熱心に「琳派」を学んでいた酒井抱一が、
京都室町の「妙顕寺」山門右手の「泉妙院」に
「長江軒青々光琳墓」と刻んだ墓を建立し、
「光琳」の向かって右隣には『乾山』が眠っています。




銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 白身とイカ



銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 赤貝と蒸し鮑



銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 ウニ 銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 枝豆



銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 穴子焼き

穴子白焼き


銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 伊藤順明店長  

『乾山』銀座七丁目店 伊藤順明店長が切る“中トロ”は・・・はてなマークはてなマークはてなマーク
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銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 中トロ刺身  

“中トロ”お刺身

銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 中トロ握り  

“中トロ”握りは絶品!!


銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 ひもきゅう 



銀座由美ママの心意気-すし乾山 銀座七丁目店 中トロ鉄火巻き  

〆は由美ママ大好物“中トロブツ”の鉄火巻きビックリマーク







憂きことも うれしきことも 過ぎぬれば

ただあけくれの 夢ばかりなる

―尾形乾山「辞世の句」





伝統を学びながらも、何もにもとらわれず、心の趣くままに、

自らの世界を具現して行った『乾山』の名にふさわしい寿司を堪能したひとときでした音譜音譜音譜