孝明天皇御製
おのつから 置そふ露の 玉かつら
かけて千世へん 菖蒲草かも―此花集
かけて千世へん 菖蒲草かも―此花集
昨日由美ママは、水無月の花「花菖蒲」を愛でたく思い
京都へと出かけておりました。
さて、似たものどうしでどちらがどうか・・・と
判断に迷う場合に、
「いずれアヤメかカキツバタ」・・・という言葉がよく使われますが、
その出所は諸説いろいろで、
南北朝時代の書「源平盛衰記」には、
「源三位頼政が大勢の美しい官女達の中からの嫁探しをする際、
はたと困惑して・・・
『五月雨の 沢辺のまこも 水越えて 何れあやめと 引き添わすらむ』と詠み、
あやめ御前がこれに応えて二人がめでたく結ばれた・・・」
と記されており、この故事からこの譬えが生まれました。
この“アヤメ”と“カキツバタ”との違いは、
花に黄と白の“網目模様”があるのが“アヤメ=網目”で、
そこに「花菖蒲」までが入ると、
さらに戸惑うばかりで、
名前さえもいい当てられませんが、
黄色の花なら“黄菖蒲”で、(カキツバタ”には黄色は無い・・・)
紫系でなければ概ね「花菖蒲」です!
「花菖蒲」
花弁の基部が“黄色”は「花菖蒲」
ところが、紫となると、青紫に赤紫、それぞれの濃淡で、
一概に青紫だから“カキツバタ”とは言えず、
その見分け方は、花に“網目”が無ければ“カキツバタ”、
網目があって黄色の斑紋があれば「花菖蒲」、
網目があって黄色の斑紋があれば「花菖蒲」、
無ければ“アヤメ”で、
その他さまざまな違いが見られますが、
その他さまざまな違いが見られますが、
しいて言えば、「花菖蒲の葉の幅は広く、真ん中の葉脈が盛りあがっている・・・」
と覚えておけばよく、
並べて比較してみるとより分かりやすいのでしょうが、
各々を見て言い当てるのはきっと難儀でしょうね。
ちなみに“菖蒲湯”や「端午の節句」に使われる“菖蒲”は
全く別の植物で、サトイモ科やショウブ科に属し、
花は目立たない穂状のが咲き、
香りの強いこの“端午の菖蒲”は、咲く季節も違います。
そんな「花菖蒲」ですが、
その原種は古来より自生していた“野花菖蒲”からで、
さらに遡ると、稲作の始まった頃は、畦道に咲く“野花菖蒲”の開花で雨の到来を知り、
田植えの時期を見計らっていたとされています。
「花菖蒲」の彼方に浮かぶ“睡蓮”
ところで、鎧兜の装飾で白抜きの“花菖蒲文様”をよく目にしますが、
平安時代の末期頃から、この“花菖蒲文様”は好んで使われ、
それは、“野花菖蒲”にある赤紫色から神聖な火を連想したらしく、
平安時代の末期頃から、この“花菖蒲文様”は好んで使われ、
それは、“野花菖蒲”にある赤紫色から神聖な火を連想したらしく、
「敵から身を守る霊力がある・・・」と信仰されていたことに由来しますが、
さらに、“菖蒲”に同音の“尚武”の意味に験を担ぎ、
この花を好んだのでしょうが、
公卿の行事であった「端午の節句」に“菖蒲”の花を飾り、
“尚武の象徴”として鎧兜飾りを取り入れたのもこの頃で、
武家社会で持て囃されたとされています。
そして現代の「花菖蒲」は、江戸時代に改良が重ねられたもので、
「江戸系」、「伊勢系」、「肥後系」などが生まれ、
こうして「花菖蒲」は約800年前頃より
高貴な人々から好んで愛でられました。
黄色い睡蓮が浮かぶの“蒼龍池”に架かる“臥龍橋”は、天正年間に豊臣秀吉によって造営された
三条大橋と五条大橋の橋脚が用いられ、この橋を渡る人には、
「龍の背にのって池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わっていただく・・・」
という小川治兵衛の作庭の意図が織り込まれています。
野沢潟 雨やや晴れて 露おもみ 軒にそよなる 花菖蒲かな
―慈円僧正「拾玉集」
由美ママは、そんな高貴な「花菖蒲」を『平安神宮』白虎池上の「八ツ橋」にて愛で、
今日はその花言葉にある「嬉しい知らせ・・・」を待ちたく思いました!!!