今回は帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。
大正10年6月 帝国劇場
演目:
一、みだれ焼
二、名橘誉石切
三、初恋路千種濡事
四、鎗踊花段幕
大正6年の初加入して大入りを記録して以降、翌年の7年を除いて毎年6月の帝国劇場出演がすっかり固定化した羽左衛門ですが4度目となった今回は自身の出し物は名橘誉石切のみにして残りはいつもの帝国劇場の出し物に客演する形を取りました。
参考までに初加入の時の筋書
大正8年の摂州合邦辻の競演の筋書
大正9年の榮三郎襲名に付き合った時の筋書
余談ですが筋書の持ち主は千秋楽に程近い21日に観劇したそうです。
みだれ焼
一番目のみだれ焼は福地桜痴が明治32年に京華日報に連載した小説を元に弟子の榎本虎彦が輔弼して完成させ明治40年1月の歌舞伎座で美多礼焼として上演された活歴物の演目です。
あまり知られてはいませんが桜痴は刀剣の鑑定師である本阿弥家の分家の1つである水戸本阿弥家の当時の当主の本阿弥光賀の弟子であり刀の鑑定においては一家言ある人であり、今回はそんな刀の鑑定の知識をモロに活かした作品になっており、本阿弥家の妻でありながら駆け落ちした小花と駆け落ちの相手である植木屋吉五郎の2人が美人局で悪事を重ね恨みつらみを買った結果、吉五郎が伊八に襲われて死ぬ世話物テイストのパートと本阿弥源之進が松平出雲守と約束した名刀五月雨郷を巡る奪い合いを小花を軸に絡めて描く一風変わった内容になっています。
桜痴の作品にしては珍しく世話物でありながらも変に理屈や史実をこねくり回さない純世話物テイストに加えて歌舞伎あるあるのお家の重宝ネタでありながらも桜痴の持つガチの鑑定知識を盛り込んだのが荒唐無稽な旧作との差別化を図れた事もあり事実、明治40年の歌舞伎座での上演時は「面白くない」と思う役者連の予想に反して見物からは好評で虎彦も溜飲をおろしたという逸話が伝わるなど桜痴と虎彦の作品としては珍しく当たり演目となった程でした。
今回は植木屋吉五郎を羽左衛門、小花を梅幸、水戸屋半次郎を宗之助、本阿弥源之進とお常を宗十郎、相模屋伊八と高田平左衛門を勘彌、猿屋町の勘六を幸蔵、鳶金太を長十郎、植木屋初蔵を高助、八重垣主計を田之助、本阿弥光次郎を泰次郎、山形屋儀兵衛と水戸屋新兵衛を幸四郎、本阿弥宗右衛門を松助がそれぞれ務めています。
まず主役であり初演以来14年ぶりに同じ役を演じた羽左衛門と梅幸の2人については
「この狂言の一番重要な梅幸の小花と羽左の吉五郎は矢張り其儘で、序幕の芸者屋新道で二人が嫉妬交りの相談は、梅幸と羽左でなくては見られぬ旨さである。」
と流石は当てて書いただけあって14年ぶりの再演での息もピッタリ合った様子を高評価されており、個々についても
「羽左衛門の植木屋吉五郎、小花に逢って痴話やら、金の無心やら、何んだかこの人の地のやうで適り役この所梅幸と二人で部分的に感興を湧立たせたり」
「梅幸の小花も人間味のあるやうに、また女心の優しさを加へたる作意だけに出来たり」
とそれぞれ地にあるニンで演じれる役だけに苦も無く演じている様子を評価されています。
羽左衛門の植木屋吉五郎、梅幸の小花、宗之助の水戸屋半次郎
しかし、脇の役者はとなるとそうもいかずまず初演では宗十郎が演じた半次郎を演じた宗之助については
「(梅幸の小花の)相手が宗之助では若輩過ぎる気がして、勤めにくき事ならむ。」
「婿の半次郎も、刀の行く先は金貸の手にあるのが分ってゐるのに、其儘にして観音様へ日参とは洒落た男なり」
と一大事にも関わらず刀探しもせず金の工面もせず観音様に祈るだけと言う不甲斐ない有様については原作の設定の詰めの甘さなので仕方ないにしても初演の宗十郎に比べると梅幸演じる小花の夫役としては少々貫禄不足であるのを指摘されています。
一方半次郎役を宗之助に譲り、自身は14年前に幸四郎が演じた本阿弥源之進と歌右衛門が演じたお常を演じて格が上がった宗十郎は
「一体この源之進といふ人、至って気の良い人にて、山形屋に頼りて、婚礼の夜に飛び出した女房の行方を探させる、その女房が芸者になって合引をしてゐる男の家で磨きあげた刀と聞いて偽物を本物と嘘をつき、上句の果てが切腹騒ぎをするとは、少し結構人過ぎたり」
「宗十郎のお常、出て来て直ぐに子供を引き取らうとは、女丈夫過ぎたり、これでは半次郎がうちにゐるのが嫌になるのも尤もなるべく」
と両役ともに原作における人物の行動に一貫性が見られない欠点がそのままになっていていくら鷹揚自若な性格で知られる宗十郎を以てしても誤魔化しきれない不自然さが目立ったそうです。
この役は榎本が真面目系ド天然の幸四郎に当てて書いただけに彼が演じるのと他の役者で演じるのとではこの矛盾を解決する部分で矢張り難しい物があったのが分かります。
宗之助の半次郎、幸四郎の水戸屋新兵衛、宗十郎のお常
そして14年前はニ枚目役の源之助を演じていたものの、今回は14年前に中車が演じていた山形屋儀兵衛と水戸屋新兵衛に回った幸四郎は
「幸四郎のする山形屋儀兵衛も変な男にて、知らない男へ芸者の身請をしてやる、これも侠気のある江戸っ子の酔興だといへばそれ迄になるが、あまりに気が好過ぎて少し不気味なり」
「幸四郎の山儀が小花や源之進や吉五郎に対する何がための尽力か、其原因が甚だしく通って居ない。が、押出しの立派なのと如何にも大腹らしいのとが、この役を頗る大きく見せてゐる、二役刀屋新兵衛も結構」
と戸屋新兵衛は兎も角、山形屋儀兵衛の役については原作の肚の置き所が不明瞭なのをそのまま演じている点とそれを彼の体躯で大商人らしくカバーしている点を功罪半々で評価しています。
余談ですが幸四郎はこの月市村座も掛け持ち出演しており、このみだれ焼の前に市村座で相馬平氏二代譚と左小刀で主役を演じて来てから出ており、普通なら2本も主役を演じて疲労困憊状態であるにも関わらず超人じみた体力でカバーしてこなしており、その点について劇評も
「幸四郎の損の卦の役ながら、これは市村座の方で気焔を吐かせた上に、給金を取らしたら、まァまァ苦痛はあるまいぞと、重役室の会議を見たやうに報道して部屋鳶のちよびとした所を素破抜く。」
と配役のバランスから敢えて初演の役を外して役を振ったと述べており掛け持ちの件を考慮すればそもそも欠点も原作由縁の物で決して彼の演技に何か問題があった訳ではないと言えます。
この様に初演に出演していた役者でも前回と異なり当て嵌まらない役に苦戦気味な中で意外な才能を発揮したのが今回初めて相模屋伊八と高田平左衛門を演じた勘彌で高田平左衛門役こそ
「勘彌の兄さん、老け役ばかりで気の毒にて評を預かる。」
とイマイチな出来であったものの、相模屋伊八に関しては
「吉五郎を殺さうといふ伊八も、感情に巧者な金貸としても出来過ぎたり、(中略)返しの芋洗坂にての立廻りは、書下しの段四郎と羽左衛門とで当てただけあって、先づ一日中のやまともいふべし、また勘彌の相模屋伊八の出来栄も上乗なり」
「勘彌の相模屋伊八は段四郎のが眼に残ってゐる故か、若輩に見えて危ぶまれたが、狡猾で抜け目のない悪党振にあの眼付から嵌まって吉五郎殺しまで、思ひの外の出来栄えである。」
と初演の段四郎と比べても遜色ない出来栄えに仕上がっており劇評もその実力を驚きながらも評価しています。
この様に役者によって得手不得手はあったものの、羽左衛門と梅幸の主役2人は無事務め勘彌の予想外の好演もあり、劇評が危惧していた程の酷さには至らず
「廉々に無理はあっても、一応はよく分かること、講談の如く、丁寧に順を追って行くので、凡俗もあまり考へないで分るのが目付物といはばいふべし。」
と桜痴の書いた物としては無難な出来に落ち着いたそうです。
名橘誉石切
そして三幕目と四幕目の文字通り中幕に演じられた名橘誉石切は可江十種の1つでもある羽左衛門の為に外題を改めたお馴染み梶原平三誉石切になります。
歌舞伎座で上演した時の筋書
今回は梶原景時を羽左衛門、六郎太夫を松助、梢を宗之助、俣野景久を長十郎、呑助を幸蔵、大場景近を幸四郎がそれぞれ務めています。
一番目が世話物テイストな演目だっただけに羽左衛門の出し物の中で時代物のこの演目が選ばれる形になりましたが劇評はこの選定に関して
「「乱れ焼」と「石切」では殆ど刀の鑑定を中心としたのが二つ並んでまるで鑑定芝居のやうになった」
「今度の帝劇、六幕がかりの刀の騒動、その上にまた中幕が、やはり刀の売買の手違ひ。とかく物騒なものにて、誰れにも祟ると覚えたり。」
と刀ネタで被ってしまっている弊害を指摘しています。とは言え、只でさえ長いみだれ焼の合間に挟んで上演する短い時代物の演目で且つ羽左衛門の持ちネタの中で選ぶと他に盛綱陣屋とか源平布引滝ぐらいしかなく、配役を考慮すると石切ほど丁度いい演目は無かったりするのが実情でもありました。
とは言え、羽左衛門の十八番演目だけにやる事は隙も無く
「布引の実盛、陣屋の盛綱、それに梶原は、羽左衛門生締物の三絶ともいふべく、確に出色の出来なり、当人も歌舞伎座で演じた頃から名橘と自賛したほどにて、怠け気も見えず、丁寧に勉めたのが第一の成功なり、それで段取りを早く運んで、鴈治郎のやうに文台などを担ぎ出さぬのもよし、また少し病気になった気味の悪長い思入もしないのが何よりも嬉し。」
と他所の劇場に持って来るだけあって文句のつける所の無い素晴らしい出来栄えと絶賛されています。
羽左衛門の梶原景時
そして十八番の羽左衛門の脇を固める役者達についても
「先づ一番に宗之助の娘梢を褒める事なり」
「幸四郎の大庭も見た目立派」
「長十郎の俣野も儲かる役とて出来よし。」
「松助の六郎太夫は意地の悪さうな所もあり、枯れ切って過ぎた所もあり」
「幸蔵の呑助はそれほどにもあらず」
と音羽屋系統の役者が今一つだったのに対してそれ以外の役者は概ね好評と時代物演目だけに明暗がくっきり出る形となりました。
羽左衛門の梶原景時、松助六郎太夫、宗之助の梢
歌舞伎座の時の面子と比べるとどうしても脇がワンランク落ちている感じが否めませんが、2度目にして早くも役を物にした羽左衛門の演技は冴えわたり、箸休めの演目としてはまずまずの出来だった様です。
初恋路千種濡事
鎗踊花段幕
大切の初恋路千種濡事と鎗踊花段幕はお馴染み若手枠の舞踊演目となります。
前半が榮三郎の出し物の舞踊、後半が若手連の所作事に当たります。
今回はおみつを榮三郎、長吉を田之助、お竹を竹松、奴紀の平を源平、奴喜作を玉三郎、奴八重平を竹三郎、奴鶴平を一鶴がそれぞれ務めています。
田之助の長吉、榮三郎のおみつ、竹松のお竹
襲名から1年が経ち漸く舞踊枠で自分の出し物を出せるようになった榮三郎ですがこちらはもう刀のゴタゴタ×2の演目に疲れてしまったのか劇評には
「切には榮三郎の「お光狂乱」と若手連の「槍踊」がある」
とやってましたとしか書かれておらず同月の福助の大森彦七との舞踊対決の結果は分からず仕舞となりました。
さて、一見するとかなりリスキーな新作の通しを主とした演目立てではあったものの、いざ蓋を開けてみれば新作は可も不可もない塩梅に羽左衛門の十八番である石切の出来の良さもあり全体としてはコンパクトに纏まった出来になり、流石に吉右衛門の移籍という話題性で見物を引き寄せた新富座の入りには負けたものの、羽左衛門と梅幸の安定した人気に支えられてまずまずの入りになった様です。
逆説的に言ってしまうと東京の歌舞伎好きの耳目を惹いた新富座を相手にしてもそこそこの入りを確保できる羽梅コンビの手堅い人気ぶりを示す結果となり、帝国劇場が他の役者の貸し借りを変化させる中で羽左衛門だけは昭和4年に崩壊するまで唯一定期出演を継続させた理由が分かる公演だったと言えます。