大正8年11月 歌舞伎座 中車の鬼一方眼三略巻と羽左衛門の御所五郎蔵 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は桐一葉の大当たりで勢いに乗る歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正8年11月 歌舞伎座

 

演目:

一、鎌倉武鑑

二、鬼一法眼三略巻

三、富士の曙

四、侠客御所五郎蔵

 

座組については前月と概ね同じですが帝国劇場との相互出演協定に基づき仁左衛門が帝国劇場出演の為に抜けている代わりに左團次が出演しており、また先月から上京している我童も引き続き出演をしています。

 

主な配役一覧

 

 

鎌倉武鑑

 
一番目の鎌倉武鑑はかつての歌舞伎座の座付作者であった榎本虎彦がフランスの劇作家ピエール・コルネイユの代表作である「ル・シッド」を翻案し自身が日出新聞に掲載した「かみかぜ」という小説を基に明治44年に歌舞伎化した新歌舞伎の演目です。
内容としてはいつぞや歌舞伎座の筋書で紹介した出陣と同じく蒙古襲来をテーマに菊地有隆が父への侮辱を巡って(実際は城景安が殺害した)安達長景を殺害し(たと思い込み)安達一族から自害を迫られるも蒙古襲来の為に奮戦し討ち死にしたと思いきや武功を建てて帰還したという主筋に朝霧を巡る菊地有隆と城景安の対立を絡めつつ最後は城が恋敵の有隆を闇討ちしようとした自身の恥ずかしさを悔いて長景殺害の罪を庇い最終的に和解する所までを描いています。
 
出陣を上演した歌舞伎座の筋書はこちら

 

今回は朝霧と菊池武房を歌右衛門、菊地有隆を羽左衛門、北条時宗と竹崎季長を中車、菊池覚賀を段四郎、安達長景と越前時広を傳九郎、小串光武を権十郎、江田季家を八百蔵、城景安を左團次がそれぞれ務めています。
因みにこの演目は第二期歌舞伎座の杮落し公演でもあった五代目中村歌右衛門襲名披露公演で上演された演目でもありますが、その時の評価を見ても
 
全体の筋のまとめ方が頗る散漫で、翻案臭い所もあったが、大一座の名優をそれぞれ重い役にし、又俳優の仕勝手を聞入れてやる座付作者の作としては、慥に傑作ではありました。
 
と海外の作品を無理やり翻案した事による話の稚拙さを出演する役者の量で補うといった特徴的だったらしく、その点は今回も変わらなかったらしく
 
全四幕を通じ何処が見せ場といふ處もない、さらさらとした史劇である。
 
一番目は蒸し返しの利く程の狂言にあらねど大歌舞伎の一番目に据えるやうな、シットリした時代物に乏ししき今日、座方にても定召苦し紛れの陳列なるべし、要するにこの一番目は大小道具衣装の陳列係として、役者が雇はれたるまでの見物、裏書劇とも称すべし
 
とクソミソに酷評されています。ただ、上記の出陣と比較すると
 
流石に手馴れた作者の筆だけに、それ(出陣)よりも割合に単純な中にも、各幕々は劇としては整ってゐる
 
底辺同士の争いまだ幾分評価されているのが分かります。
 
さて、のっけからこの調子で酷評されていますが、役者の方はというとかつて紹介した通り榎本の書いた新作との相性が頗る悪い羽左衛門は
 
羽左衛門の菊地三郎は殆ど出突張のこの狂言の主役だが、始めから終りまで高潮に達する仕處もないだけに淡々たるものである
 
と予想通りの結果となり、完全に投げて演じていたそうです。
 
ちっともやる気がない羽左衛門の菊地有隆

 
また、新歌舞伎には相性抜群な左團次も綺堂作品とは勝手違う榎本作品とはウマが合わなかったらしくこちらも
 
左團次の城の九郎にしても、武芸上の恥辱と朝霧に対する嫉妬とで三郎を殺さうとして誤って朝霧の父を殺し、それを終りまで三郎の罪として落とさうとしてゐたのを、遂に懺悔するといふ大詰めの僅かな處だけしか、役として仕處がない
 
と羽左衛門とは違って投げずに奮闘はしたそうですが、こちらも芳しい出来ではありませんでした。
 
左團次の城景安と市之丞の小女房星の井
 
こんな感じで主役2人は低評価に終わりましたが、他の役者については朝霧を務めた歌右衛門も
 
歌右衛門の朝霧は父が討たれしと聞て其場へ駆けつければ相手は恋人の菊地三郎、仇か夫かと心の混乱する状態さすがによし
 
と初演時も「毎度の下げ髪役で一向気は変わらぬが、といってこの優でなくては出来ない役柄」と言われただけあって2人よりかは相性が合ったらしくはこちらの役は評価されました。
しかし、二役の菊池武房については
 
三幕目に出る三郎兄の菊地武房は大将らしけれど勇気乏しく、ヨボヨボして眼前蒙古の大軍を控へたりとは見えず、この大将の御出立の為に幕間を長めるは軍機を失ふおそれあり
 
と品はあるものの、鉛毒の影響からか弱々しく見えとても元の大軍に立ち向かう武士には見えないと朝霧とは違い批判されています。
 
歌右衛門の菊池武房中車の竹崎季長

 
そして劇評では意外にも羽左衛門以上に榎本の新作に向かないとかつて評された中車と段四郎について
 
中車の時宗が臣下を思ふ、手堅い武将の俤を出していた
 
段四郎の菊地入道の我が子の生命に代らうとする慈愛に富んだ性格とが、一番よく浮き出ていた。
 
とそれぞれの持ち味を十二分に発揮出来たらしくこちらも評価されています。
 
この様に主役以外の役者はそれぞれ評価が高かったものの、肝心の主役2人が頂けない出来であった事やそもそも作品自体が盛り上がりに欠ける事も相まって折角の再演も見物の受けも今一つで失敗に終わりました。
榎本作品はこの後も何回か再演されましたが何れも当たり役を生んだ歌右衛門、仁左衛門が再演するのみに留まりこの時期の再演で2人以外に当たり役を出せる役者がいなかった事が昭和に入って劇界の主役が菊吉に移るに連れて殆ど忘れ去られる様になる一つの原因となりました。
 

鬼一法眼三略巻

 
中幕の鬼一法眼三略巻はこれまで何度も紹介してきた有名な時代物の演目です。
 
参考までに團蔵が鬼一方眼を演じた帝国劇場の筋書

 

同じく幸四郎が鬼一方眼を演じた帝国劇場の筋書 

 

今回は市川中車が鬼一法眼を務めた他、奴虎蔵実は牛若丸を羽左衛門、奴知恵内実は吉岡鬼三太を左團次、笠原淡海を鶴蔵、そして皆鶴姫を福助がそれぞれ務めています。
さて、失敗に終わった新歌舞伎に対して古典であるこちらはどうだったかと言うとまず鬼一方眼を演じた中車は
 
中車の鬼一は、奥庭の方が宜しく、御目を眩ますのあたり、存外大手にて立派
 
花壇の件も奥庭の兵書譲りも、その長い丁場を手堅い中車の鬼一が、少しも照れさせずに、大きく見せてゐた
 
と松居松葉が指摘していた「極めて単純な性格の役」である鬼一法眼であった役であった事もあってか中車の強みを十分に発揮して演じる事が出来た事で高評価されました。
 
中車の鬼一方眼
 
そして奴虎蔵実を演じた羽左衛門も
 
羽左衛門の虎蔵は若く美しく締まって居るは流石なり
 
と一番目の投げっぷりが嘘の様に本領を発揮したらしくこちらも中車と並び傑出していると高評価されています。
しかしながら、こちらは他の役者の出来がイマイチだったらしくまず奴知恵内を演じた左團次は
 
左團次の知恵内、男前は亡夫(亡父、初代左團次)の俤ありて宜く、台詞も宜し、然し終始糞真面目にて碎ける處がないのと、お約束の杖を持合っての気味合いに面白みに味が無いのとは悪し
 
左團次の知恵内は形で見せる役とて、柄は頗る結構だが極り極りに味が無かった。
 
と何れも柄や台詞廻しに関しては評価されているものの、演技に柔らかみが欠ける様な部分が見受けられたらしくその点が足を引っ張り厳しい評価となりました。
 
明暗を分けた羽左衛門の奴虎蔵実は牛若丸と左團次の奴知恵内実は吉岡鬼三太

 
 ただ、左團次はまだ評価されている部分があるだけ良い方で笠原淡海を演じた鶴蔵は
 
鶴蔵の淡海は役處であるが、これを総台の上から見ると期待した程の面白味がなかった
 
と柄を見込まれての大役抜擢もチャンスを上手く活かせず裏目に出る形になり、かつて歌右衛門の持役の1つでもありこちらも期待を込めて皆鶴姫に抜擢となった福助に至っては
 
福助の皆鶴姫は所謂親譲りの役處で、初々しい中に品もあるが、惜しい事に潤ほいがない、固過ぎで少しも色気がない。
 
福助の皆鶴姫、生きた羽子板の押絵といふまで、情も色気も皆無にて仕様がなし
 
と親とは正反対にその美しさと品の良さを活かす事が出来ず酷評され散々な出来となりました。
この様に一番目とは正反対な状態となりましたが、まだ古典の名作とあって話全体が遥かに面白い事や柄に嵌まった中車、羽左衛門の健闘もあり相対的に一番目よりかは評価が高い形になりました。
 

富士の曙

 
同じ中幕の富士の曙は日本画家である小室翠雲が師匠であり幕末に足利藩で勤王の私兵隊である誠心隊の結成に関与した田崎草雲の実話をアイディアとして提供しそれを基に一番目の劇評でも貶されていた出陣の作者である額田六福が新たに書き下ろした新歌舞伎の演目です。
 
彼が書いた月光の下にを上演した帝国劇場の筋書 

 

 

 
内容はまたしても古典歌舞伎では中々取り上げられにくい幕末時代を舞台に誠心隊の隊員とその姉の話を中心に幕末の足利藩の様子と悲劇を描いています。
今回は長尾千代女を歌右衛門、長尾三之助を福助、佐兵衛を傳九郎、おしづを亀蔵、田崎草雲を左團次がそれぞれ務めています。
さてこの演目の衣装類等はアイディアを出した小室翠雲が担当し、額田六福もわざわざ作中の舞台である足利市まで赴いて調査した上で書くなど意欲満載な状態でしたが反応はどうだったかと言うと
 
幕末の勤王家田崎草雲の事跡を脚色したものだが、劇としての主人公は寧ろ歌右衛門の長尾千代女で、それを働せる為めに、思ひ切って史実を破壊してあるので、却って理屈に合はぬ芝居となって了った。
 
看客から言ふと一向に詰まらないもの
 
と無理矢理歌右衛門演じる長尾千代女を活躍させんが為の脚色に無理がありすぎるとかなり辛辣な評価をされており、その改悪は役者の評価にも及び
 
主役の歌右衛門の千代と左團次の草雲とが代り代り勤王論を唱へるだけの芝居
 
歌右衛門の千代女も唯仰々しく大義名分を説く、さかしい女にして了った
 
と一番目では品位で何とか評価された歌右衛門すら酷評されてしまいました。無論他の役にも影響を与え
 
左團次の草雲も深みのある人物にならず
 
と本来なら主役である筈の左團次までもが割りを食って不評でした。
 
歌右衛門の長尾千代女と福助の長尾三之助

 

そんなグダグタの中、唯一の救いだったのは皆鶴姫で酷評されてしまった福助が今回の長尾三之助については

 

福助の弟三之助と傳九郎の老僕佐兵衛とが、この芝居では未だしも真個の人物らしくなってゐた。

 

と評価された位でした。

この様に制作側の熱意とは裏腹に原作、役者双方が酷評され見物からも見放されてしまうなどオチなしヤマなしの一番目すら上回る酷さで今回の中で一番の失敗作という不名誉な烙印を押される事になってしまいました。

 

侠客御所五郎蔵

 
二番目の侠客御所五郎蔵はこちらも以前紹介した世話物の演目となります。
 
羽左衛門が五郎蔵、中車が星影土右衛門を演じた歌舞伎座の筋書

 

今回は御所五郎蔵を前回と同じく羽左衛門、星影土右衛門を左團次、傾城皐月と浅間巴之丞を我童、傾城逢州と逢州の霊を福助、甲屋女房お駒を歌右衛門がそれぞれ務めています。
前回演じた時は劇評からも絶賛された羽左衛門でしたが今回はどうかと言うと
 
序幕の出会いも次ぎの縁切りも、矢張り今の處では外に見られぬ嵌り役であった。縁切りの無念の科や「晦日に月の出る廓」の引っ込みなども、少しの隙もない五郎蔵であった。
 
羽左衛門の御所の五郎蔵すっきりとしてよく「晦日に月の出る里も翳があるから覚えていろ」ときびきびとしたり、随分長く張っても声の割れぬところ耳あたり気持ちよし
 
変に生煮えの物を見るよりズッと面白く、手に入った羽左衛門の五郎蔵、結構であり大受でした。
 
と中幕同様に水を得た魚の様な演技を見せてまたも絶賛の嵐となりました。
 
羽左衛門の侠客御所五郎蔵と左團次の星影土右衛門

 
そして今回やる役全てが噛み合わず完全に滑っている状態だった星影土右衛門演じる左團次も
 
左團次の星影土右衛門も咆哮怒号強さうにてよし
 
それに左團次の土右衛門も、五郎蔵には似合いの敵役で、序幕の花道の出は大向うを熱狂させ、縁切りの場も力が籠ってゐた
 
と最後の最後でようやくニンに合う役に恵まれこれまでの鬱憤を晴らすかの様な演技で力強く演じて好評でした。
そして今回左團次と同じくあまり良いところなしの福助も
 
福助の逢州、大名道具といはれた名に背かぬ花魁ぶり、大切清元浄るりに「ありし廓を其ままに逢州が立姿」で現れる亡霊も妖艶
 
と両方の役で高評価されています。これも以前に書きましたが父親の得意な役である皆鶴姫で大不評なのに父親の苦手な世話物では高評価と彼は本質的な部分で父親とは違った芸質を持つ役者であった事を伺わせてくれます。ただ、こちらも全員が満点という訳には行かず前回は源之助が圧巻の貫禄を見せた皐月を演じた我童は
 
我童の皐月は些か熱に乏しいやう
 
と相変わらず礼の芸風を指摘されて低評価に終わりました。しかし二役の浅間巴之丞に関しては
 
我童の浅間巴之丞大名然として振りも鷹揚で前の傾城さつきの冷たさぶりを取返したり
 
と立役では一転して評価されているのが分かります。前の浪花座の番付の時にもそうでしたが我童は本役の女形役よりも加役である立役の方が評判が良いというねじれ現象が見受けられます。
 
参考までに浪花座の番付

 

この様に我童こそ本役の皐月が不評でしたがそれ以外は本来の実力を遺憾無く発揮しての熱演でこの公演唯一の当たり演目となりました。
 
さて、二番目こそ当たりましたが、後は中幕の鬼一方眼が及第レベル、一番目と新作中幕が失敗と明暗がハッキリ分かれた形となった今回の公演の入りはそのまま出来とが反映されたらしく中くらいの入りで仁左衛門の熱演で大入を記録した帝国劇場に久しぶりに完敗する形になりました。
折角の10月公演の勢いを維持できないまま中途半端な終わり方でしたが何とか不入りにはならずに歌舞伎座の大正8年を締めくくる事が出来ました。
この後の筋書は持っていないので説明しますと幹部役者たちは新富座に移って師走公演を行い2月にお流れになっていた帝国劇場の梅幸と羽左衛門の共演をここで行い久々の共演とあって今回とは打って変わっての大盛況の大入りとなり無事大正8年を締めくくる事となりました。生憎大正9年1月の歌舞伎座の筋書は持っていないので2月の公演から紹介していきたいと思います。