今回は忠臣蔵の通し公演を行った歌舞伎座に対抗して久しぶりに豪華なゲストを迎えた帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。
大正7年11月 帝国劇場
演目:
一、安宅丸
二、鬼一法眼三略巻
三、染模様妹背門松
さて、タイトルにも書いた様に今回は大正2年9月公演以来、5年振りに實川延若が出演を果たしています。
丁度彼が前に出た大正2年は自分が筋書を持っていない時期なので紹介し忘れていましたが、大正4年8月まで東京の劇場とは鎖国体制を取って一切の交流が無かった当時の帝国劇場でしたが関西の松竹は杮落し公演で鴈治郎を借りた縁もあり別扱いだったのか度々上方の役者が舞台に上がっていました。その流れの一環で延若(当時は延二郎)も大正2年に7月の本公演に出演した後、芸幅が広く新作でも融通が利く事を買われて9月の女優劇公演にも出演していました。
そんな彼が久しぶりに出演するとあって今回もでずっぱりでの出演となりました。
安宅丸
一番目の安宅丸は右田虎彦が実在した江戸時代前期、徳川綱吉の時代の老中である堀田正俊の暗殺事件を基に書かれた時代物系の新作歌舞伎の演目です。
堀田正俊といえば下馬将軍・酒井忠清と対立しながらも綱吉を将軍に推した事で莫大な権勢を保持し仁政を行った事で知られていますが、この演目ではこの頃無用の長物と化していた幕府の御用船安宅丸を解体してその建材を売り払って私腹を肥やそうとする悪人として描かれ、実行犯である河童の吉右衛門とその姪である囲者お蝶の話を絡めて命を犠牲に不正を正さんとする稲葉石見守に切り殺されるまでを描いています。
今回は堀田正俊と松雨実は鎌倉屋丹七を幸四郎、囲者お蝶を梅幸、河童の吉右衛門を松助、こっぱの金助を幸蔵、稲葉石見守を宗十郎、稲葉美濃守を延若がそれぞれ務めています。
劇評ではまず作品そのものについて
「『安宅丸』も、御多分に漏れず同氏一流の作にて、見た所も香蝶楼国貞画ともあるべき有様也。囚人を斬らんとする武家、それを止める大名、横綱河岸に微行の侍が情死の男女を止めんとする、草双紙的の見た目の「ヤマ」と称すべきは、朱塗の大船に悪漢と美婦との出合、誠に目に忠実のことといふべし。」
と裏表先代萩の様に武家側と市井側双方の物語が同時並行で進む展開や登場人物などが非常に古風な印象を伺わせると高評価されています。そして役者についてはまず松助について触れ
「この芝居で嬉しきは威勢付きたる老松助の姿を見たること也。これなら吉右衛門といはず、吉蔵で通して貰いたい位に、若やいだる舞台姿を見せて貰ひたること也。」
と当時75歳と東西を見ても最長老の二代目市川眼玉(83歳)、1歳年上の二代目中村梅玉(76歳)に次ぐ大ベテランでありながらも年齢を感じさせない若い無頼者を演じる芸力を評価されています。余談ですがこの松助より年上の2人は眼玉が大正9年、梅玉が大正10年にそれぞれ亡くなった事で東西を通じて最長老となり、大正11年には段四郎(68歳)、小團次(72歳)、大正12年には傳九郎(64歳)、昭和2年には多見蔵(62歳)と彼よりはるか年下の役者の方が先に亡くなるのも目立つ中、昭和3年まで長生きして85歳の長命を保ちました。
この様に松助には惜しみ無い賛辞を送った劇評も梅幸のお蝶については皮肉混じりに
「お蝶といふ女大に茶気あり、(幸四郎演じる鎌倉屋丹七から奪った)目的の金を取ってしまった上に、あのやうにしてゐずとも好かりさう也。「鵜飼寮」の芸者を真似たか真似られたか、一層のこと、男を河の中へ突飛ばして却ったら、着物だけでも損が行くまいに大いに茶かかった女にて、(山東)京伝の艶次郎(江戸生艶気樺焼の主人公)を女で遣って見ようといふ洒落なるべきか、作者が草双紙だからこっちは黄表紙さといふ所也。」
と折角の悪婆系統の傳法な毒婦の筈が描写が甘く、金を騙し取ったのに立ち去りもせず踊りの師匠面して屋敷に上がった挙げ句に殺されてしまう設定等が所々アホな行動が目立つとして山東京伝の書いたコミカルな阿保男の艶次郎の女版だとまで酷評される始末でした。
梅幸の囲者お蝶と松助の河童の吉右衛門
そして堀田筑前守と鎌倉屋丹七の二役を演じた幸四郎は
「幸四郎の丹七も大きな身体を持て扱ひの気味なるは、古庭で弾く三味線と同様なり、三味線なら嘉久子や龍子の方が遥かに達者なり、今度の補導劇に、先生三味線なら妾達の方がうまくってよと、あたら唇をかへす材料を与える、惜しむべし。(中略)しかし幸四郎は神妙にこの役を勤めたり。」
と比喩に満ちていますが丹七はどうやらニンに合っていない役である事を暗に示しています。
一方もう一役の堀田筑前守は
「二役の筑前守は好し」
とこちらは実悪とあって幸四郎の身体が上手く当てはまり評価されています。
そして稲葉石見守を演じた宗十郎は
「ぐるりと廻した御座船が上手に寄ると奥の方に顕はれた小舟の上に、乗ってゐた宗十郎の石見守が、「正しく女と屹と見た刹那の感じは甚だ以て嬉しかりし事」
「宗十郎の石見守、近頃色気のない役を多く勤めるのは結構なり、ただ持前の色気のあるは詮方なき次第ながら。役者にしてはその方が徳なるべし」
と幸四郎と同じくニンに無い役を演じながらもこちらは幸四郎とは異なり、新たな芸域に挑んでいると好意的に評価され明暗を分けました。以前に義父の伊奈波明治座を巡業した時の様子や時たま私のTwitterで宗十郎が一家を連れて巡業中に普段の姿からは想像もつかない役を演じている写真を投稿していますが、前月の筋書でも紹介した様に舞踊も幸四郎や梅幸と比べても見劣りしない実力がある他、時代物の大役を演じているなど上手い下手は置いとくとして芸風や人柄に反してかなり広い芸域を持つ役者であった事が伺えます。
参考までに伊奈波明治座の番付
第二次大戦中に北海道で盛綱陣屋の盛綱を演じる宗十郎
最後に劇評では今回彼の出演が決まった為に急遽大詰の場と役を拵えたという稲葉美濃守を演じた延若について触れ
「大詰に延若の美濃守が(大義の為とはいえ、殿中で老中を斬った罪人として惨めに死ぬのを慮って身内の)石見守を斬った悲劇も淡くして気持ちよし」
「延若の美濃守もさらさらとしてよし、大詰はこの人の加入の為めに書き足したといはるるが、同じ書き足しにても、明治座の「妖霊星」の大詰の返しよりはよし、特別加入と広告に出るだけあって違った者なり。」
と流石に急遽拵えただけとあってそれまでの物語に大きく絡む訳では無いものの、延若に当て嵌めて作っただけに宗十郎の石見守を慮って敢えて自分の手で下すという役を変に情感を入れずに武士らしく淡々と演じている点を評価されています。
延若の稲葉美濃守、宗十郎の稲葉石見守、幸四郎の堀田筑前守
この様に梅幸こそ大不評でしたが、それ以外の役者はどれも均等に良く、急遽役を追加した延若も持ち前の器用さで上手く演じきり原作のテンポの良さも相まって一番目にしては上々の出来だった様です。
鬼一法眼三略巻
中幕の鬼一法眼三略巻は以前に七代目團蔵がこの帝国劇場で演じたのを紹介しましたが時代物の演目となります。
團蔵が演じた時の筋書
内容についてはリンク先をご覧ください。
今回は奴知恵内実は喜三太を延若、幸四郎の鬼一方眼、笠原淡海を幸蔵、虎蔵実は牛若丸を宗十郎、皆鶴姫を宗之助がそれぞれ務めています。さて、劇評では前回は幸四郎が演じた奴知恵内役の延若について
「延若の知恵内も神妙にて、これといって褒められない代わりに、悪くいって見ようといふ所もなし。」
とお付き合いで出た感なのがバレバレながらもあまり演じた事の無い役でも足を引っ張る様なヘボはせず、きちんと仕事を全うしていると評価しています。
幸四郎と延若については2つ前に紹介した東京座での忠臣蔵通し公演で共演した様子は紹介しましたが延若が上京して常打ちの劇場としていた東京座で明治33年1月に初めて共演して以降何度も東京座で共演し芸を磨き合った仲であり、その後は幸四郎が帝国劇場に移籍した関係で大正2年に帝国劇場で共演した以外は疎遠となりましたが、今回5年ぶりの共演となっても安定したコンビぶりを見せつけました。
参考までに東京座の筋書
延若の奴知恵内実は喜三太
続いて前回は團蔵が演じた主役である鬼一方眼役の幸四郎については
「幸四郎の鬼一は、扮装に於いて勝れたり、鬼一元来兵法の師範なれば、面に知略の閃きが肝甚なり、意識してか否かを知らずといへども、智謀ある人らしく見せたるは甚だ我意を得たり。する事に於ては未完成品なるべく、「晴れの草履」のあたりも応えず、折檻の杖を振上げたあたりにも大いに議論あり。奥庭になりては、市川流の扱ひ、キバに落ちたるあたりが騒々し過ぎたかと思へど、振りのある人とて、本行撥ひも立派な事なり。」
と大御所と言える年齢と九代目に刃向かう程の反骨で送ってきた役者人生から来るベテランぶりで鬼一方眼を演じた團蔵に対し幸四郎はその体躯と地の洋劇にも理解のある豊かな知識力で「智」の方眼を作り上げて演じ、所々垣間見える多少のマイナス部分を上手く補ったらしく比較的好意的に評価されています。
幸四郎の鬼一方眼
一方で一番目ではいつもと違う役への挑戦を高評価されていた宗十郎でしたがここでの虎蔵はというと
「中幕の虎蔵が、割合にさッぱりしたり、もすこしねちねちして貰ひたきもの也。花道にも何もしないのも不賛成也。」
とこちらは逆に演技が淡白すぎると一転批判されてしまいました。
逆に皆鶴姫を演じた宗之助は
「皆鶴姫は宗之助が勤めたり、この人一番目に出てゐたかと番付を探すほどにて気の毒なり」
と一番目は出ていたかすらを疑われる(実際は奥方お鶴の方と稲葉美濃守の妹園生で出演している)存在感の薄さを指摘されていましたが皆鶴姫では
「皆鶴姫だけはこの劇中大役にて、色気もあり、演ることもよく、殊に奥庭にて鬼一の物語のうちにも始終牛若丸への挙動が届き、上品なる色気を見せてゐたること大いに好し。」
と今回の公演では唯一と言える大役を演じ、(次の染模様妹背門松ではお染を演じるものの演目が油屋の為に脇で丑之助の相手役の為)出番の少なさの鬱憤を晴らす様な演技で演じて評価されています。
延若の奴知恵内、幸四郎の鬼一方眼、宗十郎の虎蔵、宗之助の皆鶴姫
この様に宗十郎こそ不調でしたが、この演目の主題とも言える幸四郎と延若の顔合わせ及び両名の好演もあった為かそこまで足を引っ張らずそこそこの出来だった様です。
染模様妹背門松
二番目の染模様妹背門松も以前に歌舞伎座と明治座で上演した時に紹介した菅専助が書いた心中物の演目となります。
歌舞伎座で斎入が演じた時の筋書
明治座で小團次が演じた時の筋書
今回は久松を丑之助、お染を宗之助、油屋多三郎を長十郎、山家屋清兵衛を幸四郎、松坂屋源左衛門を宗十郎、後家お民を梅幸、番頭善六を延若がそれぞれ務めています。
この演目は歌舞伎座や明治座でも触れましたが通常は下の段の質店の場がよく上演されますが今回は延若の出し物とあって上の段の油屋の場が上演されています。この油屋の場はお染に一目ぼれする悪人の手代善六が松坂屋源左衛門と手を組んで邪魔なお染の兄の多三郎が遊女いととの仲を吹聴し苦しめようとするも面白おかしく暗躍するも山家屋清兵衛によって暴かれた挙句、お染久松の事を持ち出して言い逃れようとするも自身がお染に出した恋文を久松が宛てた物とすり替えられて清兵衛に読まれて恥をかくという後半の質屋と違って実に喜劇染みた段となっています。
劇評では主役である手代善六を演じる延若について
「延若大いにはしゃいだり。ここを先途と縦横無尽、陰に竹本を使ひての熊谷のあてぶりも、曽我廼家式の悪洒落ながら、眠い気分を醒わませたり。この人に反抗の気分ある人は、頭に「悪」の一字をつけて、軽んずるかは知らねど、上方式の悪番頭の演じぶりとしてはかくあるべきか。」
とわざわざ竹本を使っての熊谷陣屋の当て振りなど一部の劇評家からは下品と取られそうな演技をしながらも兎に角も三枚目に徹しきった延若に劇評も称賛しています。上方で心中物と言うとどうしても頭に鴈治郎の悲痛な心理描写ばかりが浮かんでしまいますが、延若のこうした破天荒な演じ方もまた当て振りや笑いを好み、悲惨な最後となりがちな心中物の本来の面白味の一部であったのではないかと思います。
延若の番頭善六、宗之助のお染
しかし、次の蔵前の場になると評価は一変し丑之助の久松は
「丑之助の丁稚久松、明治座の小太夫の長吉の如く、かはいらしいけれど色気の乏しきは、親御に取っては安心の事ならんか、色気あるものと思ってゐる久松があんな風にては、どうやら実録の赤ン坊のお染を水死させて、そのいい分けに死んだといふ人の如し。」
と年齢こそ近いものの、大役慣れしてないのが響き不評で経験だけなら豊富にある宗之助のお染も
「二番目にも丑之助を相手のお染など、愈以て振はざる事なり。」
と丑之助相手には流石に不釣り合いであったのが見え見えだった様です。
宗之助のお染と丑之助の久松
更に油屋で付き合った幹部役者についても
「幸四郎の清兵衛、梅幸の油屋後家お民、共に御苦労千万の事といふべく、分けて宗十郎の松坂屋源左衛門、付合いはかくとばかり、延若の相手を迷惑相な顔もせず、一緒になっての舞台ぶり、尚ほ以て御苦労千万の至り也。」
と梅幸、幸四郎は自身の出し物へ出てくれた返礼の意味もあっての慣れない演目ながらも付き合いで出て舞台を支えているのはまだしも、自身の出し物もなく無理して付き合う義理も無いのに源平を名乗っていた若手時代に大阪で何度も共演し巡業まで共にした仲でもあったからか、はたまた月給制なので割り切っていたのかは定かではありませんが一緒になっての盛り上げぶりを評価されています。
また、不評だった若手の中で唯一評価されているのがお染の兄多三郎を演じた長十郎で
「長十郎の多三郎は先づこの座にての本役なるべし。」
と評価されていて、丑之助、宗之助こそダメだったものの、幹部役者はボロを出さなかった上に延若の上方本式の大車輪ぶりもあって心中物の見慣れない場に見物の興味感心を惹いたのか今回の中でも最も受けが良かったそうです。
この様に久しぶりの出演となった延若の大車輪ぶりや新作の安宅丸の出来の良さを相まって無事大入りとなりました。
この後幹部役者達は地方巡業に出掛けた宗十郎以外は恒例となっていた南座の顔見世公演に出演し、松助のみが残留して恒例の歌舞伎座の引越公演を行う事になります。そして延若はこの公演が結果的に最後の帝国劇場への出演となりましたがそんな余韻に浸る間もなく大阪に引き返し南座の顔見世に出演する為に無人となった道頓堀の中座で師走公演に臨む事となります。