明治37年4月 東京座 芝翫の小桜姫 | 栢莚の徒然なるままに

栢莚の徒然なるままに

戦前の歌舞伎の筋書収集家。
所有する戦前の歌舞伎の筋書を週に1回のペースで紹介しています。
他にも歌舞伎関連の本の紹介及び自分の同人サークル立華屋の宣伝も書きます。
※ブログ内の画像は無断転載禁止です。
使用する場合はコメント欄やtwitterにご一報ください。

さて今回は前に明治37年4月の歌舞伎座の筋書を紹介した時に少し触れたこの筋書を紹介したいと思います。

 

※注:今回の筋書に出て来る役者名は当時名乗っていた名跡で記しますのでご注意ください。

 

明治37年4月 東京座

 

演目:

一、小楠公

二、龍虎

三、桜の御所

四、滑稽活動発音機

 

参考までに明治37年1月の筋書

 

上の1月の筋書でも書きましたがそれまで一劇場に過ぎなかった東京座は明治35年を境に左團次、猿之助、芝翫といったビッグネームが相次いで加入した事で一躍歌舞伎座に比肩しうる程の大劇場にのし上がりました。

今回は1月の顔ぶれに加えて新たに歌舞伎座から移籍してきた高麗蔵、女寅を加わっての座組となりました。

 

小楠公

 
一番目の小楠公は川尻清潭の養父である川尻宝岑が明治25年11月に書いた活歴物の演目です。彼は九代目市川團十郎の知古の一人として彼に文覚上人勧進帳などを書いた彼ですがこの演目は一見すると九代目向きながらも主人公の関係からか歌舞伎化はされず、彼の死後になって初めて歌舞伎化されました。
外題にもある様に大楠公こと楠木正成の次男であり小楠公と呼ばれた楠木正行を主人公に味方の浅川五郎三郎が実は北朝の間者であったという裏切りなどを経て最後四条畷の戦いで討死するまでの話と浅川と恋仲の撫子が義憤故に情死する話を絡めて描いた演目となっています。
 
参考までに榎本虎彦が正行の弟正儀を描いた吉野拾遺についてはこちらをご覧下さい

 

今回は楠木正行と侍女撫子を芝翫、四条隆資を猿之助、浅川五郎三郎実は高山矢藤吾と二条関白左大臣を高麗蔵、侍女花野を訥升、和田正朝を壽美蔵、和田正武を芝鶴、辯の内侍を女寅がそれぞれ務めています。

まず劇評では作品そのものについて評価していて

 

正行が吉野の皇居に身の暇を乞ふ條から如意輪堂までを主となる筋立とし、辯の内侍の侍女撫子が敵方の間者浅川五郎三郎と通じて情死する事を之に加へたものだが、この主となる筋立が単に事実の配列に止まってその事実を更に劇に組立てる丈の工夫を要していないのは残念で、挿話として加へられた情死も折角面白い趣向を立ちながら、それを主となる筋立に結び付ける脉絡が極めて薄弱なのは少し物足りない様に感じる。

 

と正行の話と撫子の話が繋がって来ない点や活歴の弱点でもあるヤマ無しオチ無しの盛り上がりの無い展開について酷評されています。

続いてまだこの頃は鉛毒の影響もまだそこまで深刻ではなかった事から楠木正行と侍女撫子の二役を演じれた芝翫は

 

芝翫の楠(木)正行、夢の場へ折烏帽子に花やかなる直垂、鞭を持っての出は風来優美で大に好い。(中略)殿(皇居)を下るのをキッカケに道具を廻し、廊下に立留りて名残を惜む處、落葉を見て木無しの幕切は当人大腹芸の積りだらうが、見物の目にはそれ丈の余情が浮かばぬのは残念。

 

侍女撫子はこの人では雑作のない役だから、申分あらう筈が無い。

 

と正行は持ち前の品位もあってか南朝の悲劇の大将としての風格は出せていたものの、演技の方は空回りしている部分が見受けられたらしく芳しくなかった一方で二役の侍女撫子は文句のつけようの無い出来栄えと絶賛されるなど明暗が分かれる形になりました。

晩年のイメージから想像しにくいですが芝翫はこの時期は相手役を度々務めていた團菊が亡くなった事で女形役の縛りが無くなった事や座頭という立場もあってか東京座では他にも家の芸である熊谷やを務める等、従来の女形役を演じつつも役の軸を立役にしようとしていた節がありました。

結果的に鉛毒の進行と3年余りで立役ばかりがゴロゴロ余ってた歌舞伎座に復帰した事もあり、立役を演じる機会は家康や重盛、五右衛門等と数が限られてしまいましたが10年に満たない芝翫時代の中でもイレギュラーに満ちた東京座時代の貴重な一コマと言えます。

 

芝翫の楠木正行
 
続いて南朝を裏切るも苦悩し最後は撫子と心中して果てるという珍しい役所の高山矢藤吾と二条関白左大臣を演じた高麗蔵は
 
高麗蔵の浅川五郎三郎は間者になった身が却って敵方に利用せられ、若も敵と思った正行が自分の主人筋なるを知って自殺する役、先づ柄に適った方で、兄と知らずに和田正遠と立廻る内、腕の瘤に痛みを覚える科は好くして居たが、撫子に敵の間者で御座んせうといはれ驚く表情は、例の癖が出て褒め難い。
 
二条関白といふのは正行に宣旨を読聞かせる役、押出は立派で、宣旨の読み方も好い。
 
と五郎三郎では妙な写実癖を批判されているものの、二役の二条関白左大臣のセリフ廻しも褒められる等、普段批判されがちな彼にしては珍しく総体的には好評でした。
芝翫ほどではないにせよ、彼もまたこの東京座時代は師匠の死を受けて彼ながらの芸の模索時期に当たりオペラ劇である露営の夢を上演するなどかなり攻めていました。芝翫と異なり歌舞伎座に出戻りしたかと思えば明治座に走るなと一所に腰が落ち着かない部分は見受けられましたが後年のイメージとは程遠い二枚目役で好評だったというのは東京座における彼の立ち位置が伺えて興味深いです。
 

龍虎

 
中幕の龍虎は今回新たに書き卸された能がかりの所作事の演目です。こちらは言うまでもなく前月の3月から加入した高麗蔵の影響による物で、それまで猿之助と訥升ぐらいしか難しかった(芝翫は鉛毒の影響でこの頃舞踊から手を引き気味だった為)舞踊物が出来る高麗蔵が入った為に幅が広がりこうした演目も出来る様になりました。
今回は男虎の精 能師平の進を高麗蔵、女虎の精 橘右衛門を芝鶴、山の精 狂言師雪飛を壽美蔵、子龍の精 能師 藤之介を訥升、親龍の精 能師源太夫を猿之助がそれぞれ務めています。
さてこちらはと言うと
 
文章は結構に出来て居る様だが、舞台の上では、最初の親子の龍の精(猿之助、訥升)と男女の虎の精(高麗蔵、芝鶴)の振事は衣装の配合が悪かった為か、箱附振附の上に工夫が足りなかった為か、目にも耳にも留まる佳處はなく、只陰気に寂しくのみ感じた。(中略)居所替になってからの龍虎の争も、只白頭と黒頭を四人して振り立てるまで、姿勢を崩すの崩さぬのといった處が孰も能の真似事を比較的にかれこれいふだけで、自分には何等わの趣味もその中に求める事が出来なかった。
 
と振付や内容についてはかなり酷評されていて折角入った高麗蔵を上手く活かす事が出来ず不評に終わりました。
 

桜の御所

 
二番目の桜の御所は歌舞伎座でも紹介した様に村井弦斎の小説を歌舞伎化した新作物となります。
 
歌舞伎座の筋書はこちら 

 
尤も、同じ演目ながらも上演部分はそれぞれ別で歌舞伎座がハイライトとも言える後半部分の北条氏との戦いの場をメインに上演したのに対して東京座は前半部分に当たる部分を上演しているのがミソでもあります。
しかし、このチョイスはあまり良い選択では無かったらしく劇評でも
 
二番目の「桜の御所」は本文すら陰になって居る狼退治を出すのからして気が知れぬ。
 
と猛烈に批判されています。
こちらは末広売り狂女実は小桜姫を芝翫、里見義遠と三浦義意を高麗蔵、庵室老翁実は大森頼親を猿之助、菊名重氏を壽美蔵がそれぞれ務めています。
さて、歌舞伎座との全面対決となったこの演目ですが劇評では芝翫の小桜姫を絶賛しており曰く
 
芝翫の小桜姫、この一役で一日の場代は沢山
 
と入場料の殆どが彼の演技で元が取れるという未だかつて見た事の無い様な賛辞を受けています。
続いて
 
藤の蔓で鉢巻をしたのは(久保田)米斎君の御指図とか。ー狂女と本心との変り目がきっぱりしているのも好く、何にもせずに枝折戸の外に蹲っている間も、姫になりきっているのも有難い。ただ、踊の間に猟人の手を捻る時に顔で力を入れる思い入れをするのは悪い。ここだけは梅幸の方が自然で好かった。
 
と一ヶ所のみ梅幸に劣ると指摘されたものの、それ以外は持ち前の貴賓さを遺憾なく発揮して絶賛されているのが分かります。
 
芝翫の小桜姫
 
 対して歌舞伎座の劇評でも振れましたが羽左衛門との競演となった高麗蔵は
 
高麗蔵の三浦荒次郎は恰幅のある處は本文に適って居るが、追手の兵が来たと聞き、身構をして息込むのは弱々しい。身内の者が何百人来やうとも、睨み返す位の落附いた處を見せて貰ひたい。酔拂(よっぱらい)の船頭が出た時も同様。狼に出逢った處も、どうせ誇大的なのだから、自若して捕殺しても好い位なのを、逃げ廻ったり寝転んだり、色々と芸道するのは安っぽい。鳶尾山は大島の為朝式の鬘になったので品は良くなったが、姫が引込んだ跡の愁嘆は女々しすぎ、手離しすぎる。この人も自分の体にある役を羽左衛門に持っていかれる様では少し困るよ。
 
と柄においては申し分ない役でありながら一番目同様に変に師匠譲りの写実癖の演技が足を引っ張る形になったらしく柄で劣る羽左衛門に負けているのを窘められています。
 
しかし歌舞伎座の方ではあまり芳しくなかった脇役の出来に関して東京座の面子は良かったらしく
 
壽美蔵の菊名左衛門、相模川はあの性急な若殿にこの因循した老体では、船頭ならぬものにも、狼にしてやられはせぬかと案じられたが、庵室になってから草履を作る老実の科が好く適って居た。
 
翫助の船頭は本役。
 
猿之助の庵主の老翁。この拵は本分通だが、この老人に犬馬の労を画されては定めし足手まとひだろうと思はれた。
 
と猿之助こそ批判されていますが、壽美蔵は高麗蔵と逆に見た目に反してその古典演目で培った芸が役に嵌り評価されています。
東京座の方の役者は猿之助は置いとくとしても壽美蔵も翫助も小芝居での活動の経験も長い役者でありそういった地力の面で優れた役者が豊富であった事が今回の好評に繋がったと言えます。
 
 

滑稽活動発音機

 
大切の滑稽活動発音機は上の絵を見ても何となくお分かりいただけるかと思いますが当時日露戦争開戦直後だった事もあり、ロシア人と当時ようやく上映がされたばかりの活動写真(映画)を風刺ネタにした言わば時事ネタの新作喜劇物となります。
それだけに名題役者は1人として出演せず名題下のみの出演となっています。
こちらはどうだったかと言うと筋書の絵を見て何となく想像が付いたと思いますがそもそも上演なんかしていないかの如く劇評では一言も触れられていません。
 
さて、この様に歌舞伎座との競演を含めかなり攻め気の合った今回の公演ですが、歌舞伎座が振るわなかった同様にこちらの東京座もまた日露戦争の悪影響を受けたらしく入りは振るわなかった様です。
尤も、順番が前後しますが次に紹介する前月の公演の入りが凄まじかった分その反動を含めての不入りとも言える為、同じ不入りでも歌舞伎座とは雲泥の差がありました。
東京座の筋書はまだまだありますので歌舞伎座の筋書の前に紹介する次の筋書を含めて順次公開していきたいと思います。