ついに就職 ~2008年7月
私の妊娠がわかってから少しして
ダンナが林業の会社の面接に行った。
こっちに来てからハローワークには通っていて
一応仕事は探していた。
観光地だけあって、やはり観光業の仕事が多かった。
ダンナがホテルや旅館で働くというのは、私にはピンとこなかった。
「林業」と聞いた時は
「こっちならではで、いいんじゃない!自然と関わる仕事なんてステキ」
と、思った。
面接から帰ってきたダンナは
「働く事になったよ」と言った。
どうやら社長に気に入られたようだ。
ハローワークの書類には
「給料16~30万」と書いてあった。
「30万あれば十分暮らせるな」と、思ってしまった私。
どうしてその時悪い方に考えなかったのだろう。
あくまで「16万~」だったのに。
その頃の我が家の家計と言えば、まさに「火の車」だった。
住民税と国保の請求が届いてビックリ!
両方合わせて年間100万くらいだった。
それに2人分の国民年金が年間30万以上。
会社を辞めて、こんなに税金が重くのしかかってくるとは・・・
聞いてはいたけど、甘く考えていた。
「でも、就職できたし一安心」
これも甘かった!!
夢のような日々に・・・異変! ~2008年6月
波乗り三昧で夢のような日々を2ヶ月以上過ごした6月のある日。
私は自分の異変に気付いた。
「あれ?お昼はざるそばでだけで超サッパリだったのに
なんだ、この胃もたれは・・・」
気のせいかとも思いながら数日過ごしたが、症状は良くならない。
それどころか、日に日に重くなってくる。
自分を騙しながら海にも入っていたが、これはもう間違いない。
過去2回の経験があるので確信があった。
「つわり」だ。
幸せすぎて、子供が出来てしまったのだ。
たいして気をつけていたわけでもないのに
まったく予想していなかったこの事態に
私は深い暗闇に突き落とされたようだった。
子供は3人くらいは産んでもいいと思っていたけど、なんで今!!?
よりによって波乗りが最高に楽しいこの時に!
ダンナに言うと、ビックリした様子で
少し申し訳なさそうだった。
私が最高に波乗りを楽しんでいた事を分かっていたから。
気分の落ち込んだ私は数日は
「いや~、今日は波が良くってさ」なんて言って
海から帰ってくるダンナの言葉を聞くのも辛かった。
「なんで今なんだ、どうして私だけ!」
そんな気持だった。
でも、まがりなりにも私も母親。
数日で気持ちを切り替えた。
「田舎の子」として育ち始めていました。
それでは、当時の日記から・・・・
6月20日
今日は雨。
これから1週間くらい、ずっと雨みたいだ。
昨日まで1週間くらいは、ずーっと波がなかった。
梅雨だなぁ。
先週末から感じていた「つわりのようなもの」は
「つわり」と確信。
残念ながら今年も波乗りは中級にはなれなかった。
これも運命。
また来年頑張ればいいし、20代で3人産んじゃうのも悪くない。
充実した30代になりそうだ。
あとは家族5人の生活をどうするか。
仕事の事や、家の事を考えなくては。
夢のような日々 ~2008年4・5月
本当に「夢のような日々」だった。
私達は毎日海に入っては
「下田は最高だ~~」ばかり言っていた。
ダンナは無職なのに、全然暇じゃない。
新しい家に合う家具を作ったり
フリマやヤフオクで安く買った板のリペアをしたり、
板のシェイプ体験にも行ったり
何より波が良ければ2ラウンド入ったり。
私も家事・育児に波乗り、
天然酵母を育ててパンを焼いたりと充実していた。
「本当に、こんなに毎日楽しくて幸せな生活があるんだなぁ
来て良かった!!」と、思っていた。
大好きな大浜ではしゃぐ様子。楽しそう。
幼稚園に入園。ジョージにとっても新生活。
それでは、当時の日記から・・・・
2008年5月4日
この一ヶ月は近年稀にみる充実感と長さだった。
引越ししてきて、家の片付けやら、いろんな手続きやらに追われ
ジョージの入園が決まり、9日に入園式。
送り迎えの日々が始まり9時に送って、すぐ11時にお迎え。
給食が始まって、お迎えが1時になると少し余裕ができた。
地元のお祭りがあったりもしたなぁ。
そして、なにより毎日波乗りして
本当に毎日が忙しくて充実してる。
でも、とにかく今は夢見たいな毎日。
「下田最高、波乗り最高!」この言葉に尽きる。
こっちにきて一番よかったのは、やっぱり毎日波乗り出来る事。
「下田は波がないからなぁ・・・」なーんて思っていたけど
全然毎日出来る。波が小さくたってフリマで1000円で買った
厚めのオレンジのシングルフィンの板のおかげで超ファンだ。
なんてったって、海がキレイで本当に気分がいい。
ジョージもシュンタローも海が好きで浜辺で大はしゃぎ。
でも「子供がのびのび育つ」とゆーよりは
親がのびのびしていて、おおらかになれるから子供にもいいって感じ。
その次はジョージが幼稚園に入れたことだなぁ。
最初は私と別れる時に泣いてたけど、すごい楽しんでるみたいだし
家族だけでいるより、先生やお友達と遊べていいし
私も幼稚園のお母さん達と仲良くなれて嬉しかった。
都会にいた時は「幼稚園のお母さん付合いとかメンドイなぁ」
と思っていたけど、こっちはそんな心配全然ない。
同学年は12人しかいなくて、みんな年上だけど
話しやすくていい人ばっかり。
下田で幼稚園に入れて、ホントに良かった~。
その他にも幸せポイントを挙げればキリがない。
地元で採れた野菜・果物・お米・卵なんかが安く食べれること。
お隣さんも同世代の夫婦で 仲良くさせてもらってること。
ジジババが近くにいて、こっちも助かるし向こうも嬉しそうなこと。
カエル・鳥・虫、いっつもなんかの鳴き声が聞こえてること。
あとは、いい仕事が見つかれば・・・
でも、まぁ、のんびり探そう。
いよいよ、移住を決行! ~2008年3月31日
家は決めたが仕事は決めないまま
2008年3月31日、私達家族は下田への移住を決行した。
元々仕事を辞めると決めた時、
1年くらいは働かないで、もしくはバイト程度で
旅と波乗りを楽しもう!!なんて、思っていた。
退職金と、愛車のハイエースを売ったお金がはいり、
貯金は700万になっていた。
「これで今年いっぱいくらい遊んで暮らせるでしょー」
なんて、思っていたんだ私は・・・・
甘かった。
実際は、7月から仕事を始めたにもかかわらず
年末には貯金は300万円まで減っていた。
10ヶ月しか乗らなかったハイエース。
狭い道が多い下田には不要と思い、売りました。
300万で買って、200万で売れました。
今思うと、かなりリッチな買い物でした・・・
引っ越しはすべて自分たちの手で行いました。
元佐川の夫は、さすが頼りになりました!
トラックも借りて自分で運転して下田へ。
引っ越し費用は2万円程で済みました。
引っ越し直前に3歳の誕生日を迎えたジョージ。
下田で幼稚園に入れてあげる事が楽しみでした。
しかし幼稚園の申し込みなどはしないまま引っ越し決行。
それでは、当時の日記から・・・・
「海の近くに移住する」
と言って、もう何年になるのか。
とにかく波乗りを始めた時からの夢だった。
いよいよ来週の月曜日に決行する!
無職だし、田舎暮らしは初めてだし、まぁ不安もあるんだけど
やっぱり今の心境は「楽しみっ!!」
「波乗りすっごい上手くなっちゃうかもなぁ~~」
とか、ワクワク。
家族、友達と少し離れてしまうのは私達も寂しいけれど
東京と下田を、そんなに遠いと思ってないし
用事でちょくちょく行くだろうな、と思ってる。
すでに4月も5月も東京に行く予定。
あまり好きではなかった東京も、離れてみたら少し好きになるかも。
「次東京に行くの楽しみだね」みたいに。
さて、家探し ~2008年2・3月
小笠原から帰って来てから、下田に2回、家探しにいった。
売り物件を何件か見たのだけれど
予算が低い(500万)せいか、いい物件はなかった。
建物は全然いいのだけれど、とにかく場所が
とんでもない山の中だったり、
めちゃくちゃ斜面に無理やり建ててたりするような家ばかりだった。
私達の希望だった「海まで歩いて行ける家」なんて
まったくなかった。
とりあえず賃貸でもいいか、と探し始めたが
やはり海まで歩いて行ける家は、難しかった。
今度の予算は家賃5万円以下。
その予算では、海の近くとなると、
かなり古くて、あまり広くない家ばかりだった。
「家なんてボロボロでも狭くてもいいから
とにかく海に近くて、毎日波乗りできれば、それでいいや」
と、思っていたはずなのに・・・・
やっぱり実際住むとなると欲が出てしまう。
結局予算オーバーの5万7800円のアパートを借りることにした。
6畳2つと4畳半1つの3Kだ。
2階建てのアパートの1階で庭がついているのが気に入った。
目の前は田んぼと山だ。
最寄りのポイント、大浜
下田に住む事は決めていたけど
家が決まると実感が湧いて
「本当にここに住めるんだぁ」
と、嬉しさがこみあげてきた。
家探しが終わり、海に入ってきたダンナも
「これから毎日ここで波乗りできると思ったら
すごい幸せな気分だった」
と、言っていた。
移住して2年経った今。
「5万7800円の家賃くらい払えると思っていた事」
「移住さえすれば、毎日海に入れると思っていた事」
は、甘かったと言える。









