勝負の年 ~2009年1月
こっちに来る時に600万あった貯金が300万になっていた。
いよいよ家賃が重くのしかかってきた我が家の家計。
打開策として私達は引っ越しを考えた。
「3万くらいまでのとこで探そう」
「知り合いが空き家を1万で貸してくれる、とかか一番いいんだけど・・・」
などと相談するものの
どう考えても不動産屋で探しても、事態は解決しそうになかった。
私達はいい話を待つことにした。
本当は待っていられる余裕などなかったが
あせって1・2万安い家に敷金・礼金を払って引っ越しても意味がない。
何かスペシャルな物件に出会うまで待つしかない、と思った。
もし、このままの状態が続いて、貯金が尽きるような事になるなら
東京に帰る事もやむをえない、という話になった。
私は東京に帰るのだけはイヤだった。
すっかりこちらの生活に慣れて
「やっぱり私って、田舎よりの人だったんだなぁ」と、実感していた。
妊娠中で海に入れなくても
眺めているだけで、海は私を元気にしてくれ、
子供たちが海で楽しそうに遊ぶのを見ていると本当に幸せだった。
こっちに来てから東京を恋しく思う事は一度もなく
東京に行って数日経つと「下田に帰りたい」と思うようになっていた。
年が明けた。
「冒険の年」は終り、ここでやっていけるのか
「勝負の年」が始まった。
移住は成功か?失敗か? ~2008年12月
すっかり冬らしくなったある日。
最近少し暗いなぁ、あんまり海にも入れてないし当たり前か
と、思っていたダンナがポツリと言った。
「俺は今、こっちに来て最初の挫折感を感じてるよ。」と。
「海にもあんまり入れないし、
けっこう頑張ってるのに食っていけるまでならないし。」
それは、こっちに来てから初めての、
この移住に対するマイナスな言葉だったかもしれない。
「林業なんて最高だよね!」と私は軽々しく言っていたけれど
彼にとっては全く知らない世界で、慣れない事ばかりで
大変な苦労をしていた。
それでも愚痴も言わないで少ない休みで毎日頑張っていた。
家族を守るために。
一日の大半を外で働いている夫と専業主婦とでは
生活のフィールドが違う。
週に1日くらいの波乗りなら、東京にいる時でもできた。
佐川急便の給料なら、お金の心配をすることもなかったし。
来年は家族がもう一人増えるって言うのに、これでいいのか・・・
こんな気持ちになるのも当たり前だ。
「お前と子供たちが楽しんでるなら良かったよ」
と言ってくれたけれど
「私が感じているハッピーを共有できていない」
これを知った時、私はとてもとても悲しかった。
毎日家から仕事場の山への往復。海を見る日も少なくなっていた・・・
就職はしたけれど・・・ ~2008年9・10・11月
9月になって本格的に毎日仕事に行くようになったダンナ。
基本の休みは日曜だけで土曜・祝日は出勤。
そのかわり雨の日は休みだ。
日当制で社会保障などはなかった。
「これじゃバイトと変わらないじゃん」
ちょっと愕然とした私。
日当制なので休みが多いと給料が減る。
雨が降っては「今月の給料があぁぁぁぁぁっ」とヤキモキした。
それでも一応「社員扱い」という事で帰ってくる時間が遅くなった。
朝7時に出勤して、夜は6時より早く帰ってくる事はなくなった。
日が短くなり、仕事の前も後も海に入れない。
雨の日に休みで自分は海に入れても
子供たちと外で遊ぶ事は出来ない。
海に入る時間、子供との時間を大切にするために、こっちに来たのに。
ビンボーなのは我慢できる、
でも「ビンボー暇なし」ではかわいそうだ。
10月に人生初めての「自分の子供の運動会」がありました。
いいもんですね。感動しました。
全部で30人弱の運動会です。
子供たちと海で遊んだり、自然の中でのんびりしたりする毎日に
心から「こっちにきて良かった!!」と思う日々だった。
「あとはお金さえついてくれば・・・」
その思いは空しく、9月の給料は16万。
その後も18万前後の給料が続いた。
いよいよ「これくらい払えるだろう」と思っていた
5万7800円の家賃が重くのしかかってきていた・・・・
式根島日帰りの旅 ~2008年9月3日
下田から伊豆諸島を廻る「あぜりあ丸」という船が出ています。
下田を出港して、新島・式根島・神津島を回ります。
通常はこの3島を回る航路なのですが
下田市の交流事業で1日だけ特別に下田市民限定で
式根島直行、日帰りの船が出ました。
片道1時間50分でした。
8時に出港して9時50分に式根島に到着。
下田に帰ってきたのは午後4時くらいだったと思います。
あまり現地でのんびりはできない強行スケジュールでしたが
それでも式根島に行けるいい機会で良かったです。
やはり、サーファーなら新島!!
神津島も波乗り出来るらしいです。
でも、式根島に行くサーファーって、聞いたことないですよね。
とても小さな島で、温泉と海以外は何もないです。
こんな強行な企画がなければ行かなかった所だろうな
と思うと行けて良かったです。
海に面した温泉。無料です。
幼稚園のお友達一家と一緒に行きました。
どちらのうちも、パパはサーファー。
交流事業ということで島のおばちゃんたちが作った(?)お弁当ランチ付き。
つみれ汁みたいのも付いてて美味しかった。
新島が目の前に見えます。
港の様子。
浜の名前忘れた~。
下に降りるとこんな感じ。
海の家があって、みんなでかき氷を食べました。
初めてかき氷を食べたシュンタロー、まだなごり惜しそうです。
ジョージは船が大好き。
シュンタローは酔うタイプらしく行きの船でゲロしちゃいました。
小笠原で25時間の船旅を経験した私達にとっては
2時間弱なんて、とても近く感じました。
飛行機は狭くて、座ってなければいけないので
小さい子連れには辛いです。
でも船は自由に動けて、子供達も楽しそう。
ただ、船酔いがなければ・・・
とにかく楽しいショートトリップでした。
またもやサーフトリップではありませんでしたね。
夏休みを満喫 ~2008年8月
半年間の無職期間が終わり、ついに就職したダンナ。
7・8月は「バイト君」扱いで自分の希望した日はいつでも休めた。
「友達が遊びに来る」「東京に帰る」と言っては休んでいた。
さらに林業という職種、雨の日には仕事ができない。
その為、朝少し雨が降っていただけで、
すぐに休みになってしまったり。
出勤した日でも午後4時に仕事が終わって
4時半には帰って来ていた。
だから夕方、毎日海に行けた。
「こっちの人はあんまり働かないんだなぁ」と思った。
「やっぱり、のんびりしていていいなぁ~」
なんて思ってしまった。
私は4時になると夜ごはんを作り始めて
ごはんを持って行って海で食べた。
夏だから子供達も毎日海でジャブジャブ。
日が暮れるまで海で遊んだ。
自分は海に入れなくても楽しい毎日だった。
私達は久しぶりの「夏休み」にはしゃいでいた。
友達が子供を連れて遊びに来てくれました。
ジョージは小さい子が大好き。
家計の事情を知らない子供は無邪気。うらやましい・・・
私は幼稚園のお母さんたちと仲良くなり
ママサーファーの友達もできた。
ダンナは地元のフットサルチームに入り
同世代の友達ができて
週に3・4回ボールを蹴りに行っていた。
「海とフットサルとバイト程度の仕事」
これが永遠に続けばいいのに。
これでお金が入ってくれば最高なのに!!
でも、そんなまさに夢のような事はあり得ない。
7月の給料は8万円、8月は10万円程度だった。
私達は現実に目を向けなければいけなかった・・・
















