GENETO -247ページ目

送別会と誕生日会 by 山中コ〜ジ

$GENETO-出向井直也

東京出張中にインターン吉田澄江の送別会と、GENETO山中悠嗣とミスターの誕生日会を開きました。
白以外のGENETOメンバーや東京在住の友人等、多くが集まり楽しい一時を過ごしました。
お店は恵比寿の某中華料理屋さん。
写真は北京ダックを持った中国人シェフ。

$GENETO-吉田澄江

先ずは半年間GENETOのインターンとしてニュージーランドから来てくれた吉田澄江の送別会から始まりました。
彼女は多くのプロジェクトに関わってくれました。
特にcoyaaを担当してくれたことが思い出深い。
GENETOで経験したことを、これから何処の事務所に行っても活かしてくれれば、本当に嬉しいです。

$GENETO-ミスター

山中悠嗣は10月3日生まれで今年31歳、ミスター(辻井啓司)は11月5日生まれで今年33歳と、いつまでも若いと思っていたGENETOも30代の中年世代に差し掛かってきました。

$GENETO-山中悠嗣

思えば10年一緒に仕事をしている仲間です。
みんながそれぞれの立場で仕事をし、経験を積んで来た10年でした。
最初は全てが手探り状態で、いつかそれぞれが担当分野を担う様になってきた。
それが正しかったのか間違っていたのかは分かりませんが、いつでも軽快に組織編成をしていき、新しく活気あるGENETOを維持していきたいと考えています。
そんな事を考え続けた10年で、今後も考え事に尽きる事はありません。

$GENETO-岩崎整人

この日は岩崎整人建築設計事務所の岩崎整人氏と奥様もお越し下さいました。
今年は様々なコンペに共同で出したパートナー的存在の事務所です。

$GENETO-机宏典 出向井直也

左から出向井直也建築設計事務所の出向井直也氏、家具デザイナーの机宏典氏も合流し楽しさが増します。
お酒が入ると皆さん陽気になる。
これがお酒の凄い所です。
ミスターはお酒が無くても、いつも通りのキャラクター。
それも凄い。

久しぶりに建築家やデザイナーという肩書きを持った方々と夕食しました。
知らず知らずの間に建築話になります。
みんなが持ち寄る建築にまつわる様々な話に耳を傾けているだけでも結構楽しい。
京都でも色々な同世代建築家と飲みに行こう。
そう思いましたが、誰か僕と遊んでくれる建築関係者(京都在住)が居るのかな。
京都建築界に縁遠い僕なので、ほとんど別業界の人と過ごす事が多く、なかなか夕食をしたりする機会がありません。

そんな事を考えつつ、多いに話してお酒を飲んだ楽しい夜でした。


GENETO
山中コ~ジ

新しいプロジェクトと西陣エリアについて

現在京都のいわゆる”西陣”と言われるエリアで、建築のプロジェクトに取り組んでいることは、既にこのブログでもご紹介しました。プロジェクトを進めるにあたり、近隣に建つ建築群と、高低差のある土地のイメージをつかもうとして敷地模型を作りました。

$GENETO-シバヤマンション敷地


京都で建築を設計するということ、しかも大きめの建築を設計すると言う事は、非常に気を使う仕事ととなります。
JIDAIYA ARASHIYAMAのプロジェクトでも直面した問題ですが、京都が持つ景観とどう言うスタンスで向き合うことができるか。非常にデリケートに考える必要性があります。
建築基準法にだけパスすすれば京都らしい建築になるかと言えば、そうではないと考えるのが当然だと思いますが、その反面、純和風建築の設計をすれば正解と言う事も安直すぎる答えです。
我々はその狭間で「如何に現代における京都らしい建築を設計出来るか」と言う問題に、いつでも直面しているんだと思います。
建築家同士でも、この考え方にはギャップがある事で、特に世代が違う建築家とでは、必ず意見が合わない事は言うまでもありません。
それらを含めて、今年おこなわれた京都総合資料館のコンペ結果を見ても「京都で建築を設計する事とは」という問題の難しさを垣間みることができます。

設計を進めるにあたり、西陣エリアについて少しだけ調査した事を記録しておく事にします。
そもそも京都で織物作りが始まったのは、5世紀頃だったそうで 平安京ができる前のことだったそうです。
そして、平安遷都と共に宮廷の織物を管理する”織部司”と呼ばれる役所が置かれ、現在の上京区黒門上長者町周辺に住んでいた職人に、綾・錦などの高級な織物作りをさせたことが始まりといわれています。
平安時代が中期以降になると、官営の織物工房は少しずつ衰えだします。
そこで官営ではなく自らの仕事として織物業を営むようになります。
大舎人(おおとねり)町に集まり住み、鎌倉時代になると”大舎人の綾””大宮の絹”などと呼ばれ織物を生産していました。
西陣という名前がついたのは1467年に起こった応仁の乱で、山名宗全率いる西軍の陣地が置かれていたあたりであったことから、このエリアを西陣と名付けたそうです。
戦乱時には多くの職人が離散したようですが、戦乱が終わる事で職人が戻ってできたエリアだそうです。

京都で永年にわたり着物に携わる仕事をしている方に着物の文化圏について聞くと、二条城を境に北は織物の街(西陣)南は染めの街だったそうです。
西陣織がおこなわれているエリアは広域で、北は北山界隈にまで及んでおります。

実際に我々が取り組む敷地は、いわゆる西陣の真ん中に位置する訳ですが、この地域を歩いても手機を織る音は聞こえてきません。
それもそのはずで、近年になり都市化が進んだ京都市内には住居が増え、織物の街であった上京区界隈も工業地域ではなく、住居地域及び商業地域へと変貌したため で、工業地域は人があまり住んでいなかった北へと移動したと推測されます。
そして、バブルの崩壊と衣類に対する習慣の変貌が追い打ちし、西陣エリアを一気に衰退へと追い込んだのだと考えられます。
クライアントが子供の頃は、織物工場が敷地内にあったと言われていたので、この変貌は近年になって起こった出来事である事が分かります。

敷地模型が完成し眺めていると、実に窮屈な建築の建ち方をしています。
色々なスケールの敷地と建築が、隣地と間隔を持たずに無造作に建つ様子を見ていると、一体この街で何が起こっていたのかが想像出来ます。

google mapを慌てて見ると、実に高密度な街です。
見ても分かる様に、スケールの違う建築が混在しています。
この街が背負って来た歴史をもう少し調べながら、実際の地域サーベイを繰り返していこうと考えています。



関連記事

JIDAIYA ARASHIYAMA






GENETO

山中コ~ジ

ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸へ @paris by 山中コ〜ジ

$GENETO-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸

パリの16区にあるラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸はル・コルビジェが設計した建築です。
竣工は1923年
ちなみに今回の旅で僕が巡ったコルビジェの作品は「ジャンヌレ邸」「サボア邸」「ロンシャン教会」の3作品です。
その中で最も初期作と言えるジャンヌレ邸ですが、既にサボア邸にまで続く作品のコンテクストを十分に感じる事は出来ます。

$GENETO-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸

コルビジェの建築は、今の僕が抱えている建築に対する思いや衝動や悩みに対し、何らかの答えを導きだす最も重要な手がかりであるように感じました。
以降ご紹介するサボア邸やロンシャン教会では、より強く建築について考えさせられた事も確かです。
近代建築と言う枠組があるとして、その枠組みの範囲でこれらを超える建築を設計する事は確かに難しい。
そう感じずには居られませんでした。
ただ、その反面ジャンヌレ邸の存在がり、サボア邸、ロンシャン教会へと続く作品の系譜には、多いに心が安堵したことも事実でした。

$GENETO-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸


$GENETO-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸


$GENETO-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸


$GENETO-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸


$GENETO-ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸

余談ですが、日本に帰国し撮り貯めたパリの建築写真を整理しながら、この写真を見ている時にたまたま流れた曲はJulie Delpyの”An Ocean Apart”でした。
この曲はこの建築や屋上庭園から見るパリの町並みによく合うと聴いていると、この映画はパリで撮影された映画"Before Sunset"のサントラだと教えられた。
さらに撮影された場所もジャンヌレ邸の直ぐ近くだとか。
この曲の持つ大らかさと言うか優しさが、この建築で暮らすイメージと違和感無く重なり合う印象を受けました。
建築も音楽も全て一繋がりで、我々の生活の周辺にあるんだと実感させられる出来事でした。

$GENETO-before sunset


GENETO
山中コ~ジ