人を動かす力について、今回の記事では話すこと、について焦点を充てます。人を動かす力=影響力の原則の4つ目は、

4.話すより聞くこと

です。
なぜ話すよりも聞くこと、が大事なのでしょうか。

日本で育った人は、欧米人ないし欧米社会、あるいは中華文化圏などで育った人に比べて、寡黙な人が多いです。
それは、日本文化の数多くの美徳の一つです。

私は小さい時から話すのが好きで、学校でも家でも喋りすぎをよく叱られて育ちました。

フリーランスで始めた仕事では、話すことが非常に重要だったので、話すことが好きで得意だったことが活かされました。

しかし、口先だけの言葉が溢れる世界で成功するにつれ、私は段々と行き詰まっていきます。
最終的には、医学的に言えば適応障害のような、精神的かつ肉体的な危機が訪れます。急にスムーズに話せなくなってしまったのです。

自分が何がいいたいのか、わからないような気がしたり、話そうとすると、胃酸のような、空気の塊のようなものが、食道から喉を通って上がってきて、それが詰まってうまく声が出ないような、そんな感じでした。
空気の球のようなものが上がってきたら飲み込む、それでやっとのことで言葉を絞り出す。絞り出した言葉が出てきても、またすぐ次の球が昇ってきて、それに遮られて次の言葉が絞り出せない、、、そんな感じでした。

それが、自分が活動する場所を根本から変えないといけないと考える、大きな動機となりました。

それまで、人前で話す時には緊張はしたとしても、それが実際のパフォーマンスにマイナスの影響を与えると言うことはなく、むしろプラスの起爆剤としてきたように思います。

喜劇王で知られる榎本健一は、極度のあがり症でした。でも、人様の前でパフォーマンスをすると言うことは、神様に芸術を捧げると言うことなのだから、緊張しない方が観客(それは神様と同じ)に対して失礼だ、と語っています。

緊張することを日本語で「上がる」と言いますが、それは神様の前に立った時は、日常とは違う「ハレ」の舞台に立つのだから、より高い次元に「昇る」ことを示しています。
神事において神に奉納される舞と音楽のことを「神楽」と言いますが、これは「神様」を「楽しませる」のが芸術だと、古来から日本の人々が感じてきたことを表しています。

だからこそ、緊張せずに、普通の状態で「人前」で話せるということは、ある意味で本来の姿ではないのです。緊張しないのであれば、目の前にいる複数の人たちのエネルギーを感じ取れる感性がない、あるいは無感覚になってしまっているということです。

私はもともとその「エネルギー」を感じる感度が高く、人前で何かをやることが「得意」と小さい頃から言われていたのでしょう。適応障害になり普通に話すことができなくなるまでは、その「感度」がプラスに働いていました。しかし、その感度の高さが、ある臨界点を超えて、今度はその異常さをリアルに感じて、普通に話せなくなってしまったのです。

ただ、振り返ってみると、それは私の人生に起きた最良のできごとだったと感じます。

「言葉」には本来、言霊があって、一つひとつの言葉には「本当の意味」があります。軽々に、気落ちのこもっていない言葉を次から次へと発するのは、本来のコミュニケーションのあり方ではないのです。


そんな時、気づいたことがありました。「空気の球」のようなものがプクプクと体内から上がってくる現象は「大して思ってもいないこと」を言おうとしている時や、自分の中に戸惑いや、嘘、虚飾や去勢がある時に発生すると言うことに。

つまり、本当に心からそう思っている言葉しか、発声することができない、そんな感じでした。NHKのドラマで、ある日突然嘘がつけなくなる不動産営業マンのストーリーがーありますが、それにすごく似ていますw。

それから、あんまり話さないようになりました。外資系企業の会議では、隙あらば自分の発言を差し込まないといけないような雰囲気があります。そんな中で、たくさん話す人たちを、あまり話さない人という立場から観察して、わかったことがあります。

それは、よく話す人がたくさん話す理由は、他者より上位に立ちたいという気持ち、あるいは承認欲求が強い、ということ。自分の自慢話をペラペラとする人がいますよね。そういう人が一番わかりやすいパターンです。

本当に自分に自信がある人は、他人に自分のことを「すごい」と思わせるために自分の偉業を一生懸命伝える必要はありません。本当にすごい人は、黙っていても周りがそのことについて勝手に話し出してくれるのです。

今その場所の空間と、その場所にいる自分自信に対して不安を感じている人は、その瞬間を言葉で埋め尽くそうとします。
そうすることで、黙って周りの人の声とエネルギーに傾聴することで、情報を得られる機会を失ってしまいます。

言葉を失う前の私が、まさにそうだったのだと思います。
自分の中にある、自分が偽物であるということに対するコンプレックスと不安を、ずっと言葉を武器のように使うことで隠し通してきたのでしょう。嘘の言葉で作り上げてた自分の虚像が大きくなればなるほど、嘘を嘘で覆うことの限界がきて、日常会話で話すことすら出来なくなったのです。

繰り返しになりますが、それは、自分の人生に起きた最良の出来事でした。
嘘の言葉しか発せられなくなった私は、言葉を失うことで、本当の言葉を知ることができたのです。

だからこそ、話すよりも、まずは「聞くこと」が大事なのです。
人の言葉を本当に、心から聞くことができれば、声という音の振動に乗って、その人の本質がわかるようになります。
その人の本質を知ることができれば、その人にとって真に必要な言葉が何かも、わかるようになります。
その人が必要とする言葉を伝えられる人は、人を動かすことができます。

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