現場監督裏日記 3.0  -32ページ目

人生の転機②・・・心が折れた後。

ピンです。


さて、ダラダラと続いていますが・・・。


自分の限界に一度、仮に線を引いてみて


反省というコンプレックスを溜め込んだ時


その時、人間はガス抜きをしないと壊れます。


さて、ガス抜きを失敗した事例を。


って、たぶんこうなるのです。


①重要な会議でキレル。


部下に八つ当たりなら可愛いものです。


重要な得意先、お客様、設計事務所の先生、上司。


通常業務で、反発しなければいけない立場に立たされたとき、暴発の可能性有り。


謝って済めばよいのですがね。「ご乱心~!」とかいってさぁ。


②酒飲んでキレル。


特に「真面目で無口で頑張り屋さん(&プレゼン下手、悪運大)」なんて人。


「コンプレックス持っている人」


何かの拍子で、意味も無くスイッチが入りますよね。


でも、上の二点は回りのフォローと自分の勇気があれば(大汗必死)解決しますが。


大問題なのは


③ノイローゼ


コレは、自分の問題とはいえ、「手遅れ」って奴ですよね。


精神的に壊れてしまった場合。


心が折れてしまうと、どうにもなりません。


精神病は辛いものです。


他人にわからないですからね。


さらに良くないのは「精神病になった人を会社的にフォローしにくいこと」


結果的には自分自身の問題と言われてしまう、言わざるを得ない状況なのです。



さて、あまりにも簡単に語っていますが、上の状況になる前に、上司としては「相談して欲しい」のか、それとも、上司として感じてあげなければいけないのか?


難題です。


困った時に相談してくれること。


コレが一番助かるのは事実。


ただね、上司にとって、どれがストレスなのか判らない事もある。


能力のある奴と無い奴と、考えるプロセスも違うし、やり方、アプローチも人それぞれ。


ある日突然「ご乱心~」ぐらいなら受け止められるのですが、


ある日突然「ノイローゼ」により「引きこもり」「逃亡」「失踪」は周りの人間も辛いのです。


さらに良くないのは「失踪者は切り捨てられる」


コレが現実。


替わりはいくらでもいるのです。


「キーマン(鍵となる人間)」はいくらでもいる。


というか、「誰かがやり遂げなくては行けない以上、誰かが必ずやるのです」


「失踪していても、本人のためにはなりゃしません」




ってな訳で、今回はエライ大雑把に話しているのですが、たぶん「もう、この商売やめたいなぁ・・・」って思う時は、


「自分の限界に線を引いて」しまった時、


又は、それに耐えられなくなって


「キレたり」「ノイローゼ」になった時、


だと思っているのですが、そんな手遅れの時、どうしたらいいのかなぁ?なんて事を次回に語ったりしてなんつって続いたりするのです。


では。

人生の転機①・・・自分の限界を勝手に決めたくなる時・・・。

ピンです。


あ、このお話、ちょいちょいダラダラめで更新します。


はい!アンタ限定だよ!(と、今壊れている後輩に書いてみる。オイラの現場の人間ではないのですが。)


さて、人生、仕事している人も、夢に向かって努力している人も一度は陥りませんか?


「自分はこの仕事に適しているのか?」


「自分はこの仕事では、もしかして、コレが限界なのでは?」


って思う事。


それは、


①仕事中のミスをした時、


②又は同僚と自分を比較して、仕事の差(出来)を感じたりする時


そういう時、感じるのはオイラだけではないと思うのですが・・・。


決定的なのは


「その仕事の結果において、一部分の数字が結果で現れ、比較された時」


コレがオイラも一番手痛いものです。


そして「一部分の数字」とあえて言ったのは大概「プロセスは関係無い」から。


「結果主義」ともいいますがね。


特に「資本主義社会」において、「競争の原理」ってのが根底にある以上、「数字と結果」からは逃れられない。


もあるだろうし。





要領悪く、運にも見放され、全く駄目駄目続きの時、きっと人は「自分、限界です」なんて、勝手に決めたくなるんでしょうね。


ある意味、「あきらめるための言い訳」なのかなぁ・・・。


これはオイラもよく悩むこと。


ただね、「あきらめたら終わり」なんですよ。きっと。


だって、諦めたら、「前に進まないでしょ?」


今までやってきた事、じゃあ、それは何のために今まで努力してきたのか?


今一度、立ち止まって、考えてみませんか?


あんまり偉そうなこと、オイラにも言えた義理ではありませんが。


ただ、自分の限界を勝手に決めた時、人生の転機を考えたりするのではないのでしょうかね?


「自分の限界に気付く」って言葉もあるのかもしれませんが、それは「気付く」のではなくて「自分が逃げるために勝手に決めただけ!」


そう思ってみませんか?


ただ、時には「逃げる」事も必要なのかと。






結果が報われない時、「反省」はしなくてはいけない。


少なくとも世間的には「反省の態度」を取らなくてはしょうがないでしょう。


問題は「反省」→「悩み」になるわけですよ。


そう感じない人がうらやましいですが、(全く気にならない人種もいるので羨ましいですが)大抵の人は「コンプレックス」という形になる。

(のはオイラだけ?)




自分の限界に一度、仮に線を引いてみて


反省というコンプレックスを溜め込んだ時


その時、人間はガス抜きをしないと壊れます


少なくとも、そのことについては語れそうなので、その話を次回につづいたりして。


(オイラは1年で368回ぐらいガス抜きしていますが。)


では。

仕事の覚え方っていうか、体で覚える事は④

ピンです。


殆どの皆さんは多分夏休みなので、ダラダラと書いてます。


あ、ちょっと特定の人向けもあります。


それは「ウチの若い衆向け」


「見てるか~オイ!」


じゃあ、今日の合言葉は「山」と言ったら「川」と答えてください! (ってなんだか古いな)


あ、このブログのアドレスを教えて社員教育教材にしてみました。 (暇人)


さて、つづき。


「体で覚える」


エライ「精神論」です。


オイラが最も嫌いな部類。


でもね、「自分で悩んで、解決して覚えた事は絶対に忘れない」


これは本当の話し。


出来れば部下に押し付けたく無い事。


ラクして仕事覚えて欲しいですからね。


何もオイラの苦労経験押し付けるつもりも無いし、そんな事古いと思っている。


でもねぇ、勝てないですよ。実体験には。


あんまり言いたくないですがね、例えば「事故」


「労働災害」から「品質事故」「工程遅延」など、挙げたらキリがないのですが・・・。


ただね、実体験すれば「そこから学ぶ」とは良く言ったもの。


「見るべきポイント」ってのが、どんな事象にも必ずある。


「実体験した事故」の場合、そこに至る「プロセス」を何故か全て人間は記憶してしまいます。


何でですかね?不思議です。


「失敗から学ぶ」って事。


大事なのかもしれませんが、仕事を実験台にするのには時間も、お金も掛かるのよね。


ましてや、社会的信用を失う事にもなりかねませんからね。


っていうことで、せいぜい「過去の事例を元に、真剣に考える」コレしかないでしょうね?


ってな訳で、ダラダラとオイラの自論を書いてみましたが、ただの独り言。


ある人間の考え方であるので、必ずしも正しくないと思いますが、かといって、全く間違っているとも思っていないので指摘は謙虚に受け止めたく。


さて、オイラはこれから本気でお仕事モードに入るので、しばしブログも更新できないかと。

(今も、若い衆のパソコンかっさらって更新しているのですが)


しばし、地下に潜ります(なんだそりゃ?)


ではでは。

仕事の覚え方っていうか、体で覚える事は③

ピンです。


今週は何故か記憶の事についてダラダラと。


なんでも「体感、体験」しないとオイラ「覚えない」のですが。


メモリが足りないのは良く判っているのですが・・・。


下請けさんにも良くある会話なのですが。


例えば、とある解体業者さんとオイラが配属されて始めて合った時のお話。


オイラ  「現場見てきたんだって?」


解体業者「見てきました!」


オイラ  「道が狭いよね?」


解体業者「大丈夫です」


オイラ  「あの、広い通りから最初に進入する時、踏切があったけど、架線引っかからないかなぁ・・・」


解体業者「あ、寸法みてきませんでしたけど、多分大丈夫」


オイラ  「本当に?」


解体業者「多分大丈夫です、今度測っておきます」 (←って見てネーじゃんヽ(`Д´)ノ)


オイラ  「あと、大通りから25m中に入ったところ、電柱が道路に飛び出していたけど・・。ほら、この写真の所。トレーラー通れる?」


解体業者「あ、見てません。今度測っておきます」(←って見てネーじゃんヽ(`Д´)ノ)


オイラ  「あと、ココのカーブ、97度くらい鋭角に曲がるんだけど、上空架線があるんだよね。低い位置に電線出っ張ってるけどトレーラー曲がれる?」


解体業者「あ、見てません。今度測っておきます」(←って見てネーじゃんヽ(`Д´)ノ)



って「結局何も見ていない(泣)」


オイラが見るべきポイントを指示していない時だったので、見るポイントが違ったのかもしれません。


解体業者の彼にとってすれば「壊す建物」を眺めてきただけで、計画的なものは何もない。


オイラ、判らない事が判らない時、少なくとも現場に行く時は「デジカメ」「スケール」を持っていく。


トコロ構わず、「寸法」とって、「写真」撮って、「図面を手書きで書いてみる」


原始的かもしれませんが覚えないのです。


又「写真の情報」というもの。


「意識していないもの」も撮れている時がある。


故にオイラが現場に行く時は「パパラッチ」なのです。


「コインパーキング、食事処、呑み屋の看板」「電柱のNo看板、店の看板」「電線」

「標識」「近隣のお店」「道路に飛び出しているテント、スロープ版」なんざ、何に利用できるか判りませんし、現況調査でも大事な事。


更に手書きで覚えようとするのです。


現場もそう。


CADで、図面書いてあっても、やたら風景写真を撮っておくのは癖かもしれません。


そうしないと覚えないし、後から違った視点で見なければいけないときもすぐに再生できるようにというつもりなのです。


脳内再生、怪しいですからね・・・。


歳のせいかなぁ・・・。


マダマダ話しはだらだらだらだら夏休みだからつづくのです。

あーあ。やっちまったなぁ。


「一粒の砂に、世界を見、一輪の野の花に、天国を見る


 手のひらに無限をのせ ひと時のうちに、永遠を感じる」


                  By ウイリアム・ブレイク





(だったっけ?誰か~?あってる?)


非力で、何も友人としてしてあげられなかった事の後悔と、


今置かれている自分の状況と、


そして、「人間とは何か?」と妙に自問自答している。


そんな気分の今日。




夜勤には戻ります。(何故か業務連絡)


では。