ローリング・ストーンズ野郎の雑記 -159ページ目
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

「メインストリートのならず者」デラックス版編集のウラ側が、またひとつ取り上げられています。

Jagger And Taylor Reunite In Studio (「コンタクトミュージック」3月20日)ほか多数。

36年前の録音曲の整理とその再完成のために、ミック・テイラーがスタジオにかけつけた。

というダケのお話なんですが、1981年のカンサスシティライブのブートを大事にしてきたローリング・ストーンズ野郎にとっては、思わずハンカチかティッシュを探してしまうお話です。

テイラー離脱の真相も今ではもうとっくの昔に、恩讐の彼方に吹っ飛んでいるのかも。
そういう人間関係の中でリリースされる2010年盤「Exile On Main St.」は、ただのリマスター盤じゃないということなので、「買わない理由」をみつけることがますますムツカシクなってきました。

動画は1972年のモントルー。
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

ローリング・ストーンズの初来日20年に気をとられていましたが、ミック・ジャガーはその2年前に単身で日本にやってきて、大阪と東京でコンサート。

3月22日の東京公演のスタンド席のチケットはあっさり入手することができたけど、東京ドームの洋楽第一号がミックだったと思います。

昭和63年というと、ローリング・ストーンズのデッカ/ロンドン時代の作品はまだ全タイトルはCD化されておらず、来日商戦として、日本ポリドールがビニール盤を1,800円で再販。
その、条件を満たせば誰でも貰えるキャンペーンの特典、すなわち特製キーホルダーと「サタニック・マジェスティーズ」のテレホンカード狙いで、僕は10枚だったか15枚を買いかえた記憶があります。

それはそうと、当時のライヴ映像をユーチューブなどでながめていると、「ストーンズ分裂」騒動も懐かしいのヒトコトで完結してしまうんですが、ミックのステージパフォー マンスは今も(昨年の「ロックの殿堂」など)まったく変わっていない。
昭和63年当時の久米宏のニュースステーションの台本、

「44歳とは思えない」

にも笑ってしまうけれど、20年ぐらい前の商業音楽界では44歳はトシヨリあつかいだったんですね。

ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

タイには日本のような相続税がないため、無理に働かなくてもいい人々がいますが、働かなくてはいけない層(イコール僕のよ うな単純労働者)の中にも、タクシン政権時代の低所得者優遇政策に甘い夢を膨張させて、

「自分たちは貧しい、ビンボーだ」

をウリモノに、働かないでも食べていける生活を望む連中が台頭してしまった。
それが昨今のタイからの国際ニュースにもなっている「赤シャツ」です。

しかしながら、数カ月前のイギリス紙のインタビューで、タクシンが調子にのってペラペラしゃべった内容が、

「国王の死後に輝かしい時代がやってくる」

という、タイ国民にとっては度し難いセンセーショナルな見出しで報道 されてからというものの、タクシンの求心力は急落の一途をたどり、回復するきざしはいっこうにみえない。
数週間前から猛々しく宣伝していた100万人デモもフタをあけてみれば、10万人にも遠く及ばない数万人たらず。

僕は中国の紅衛兵やカンボジアのクメール・ルージュの誕生を時事ニュースとして見聞した世代ではないけれど、特定個人を崇拝するひとにぎりの集団によってタイの国体が崩壊することは絶対にアリエナイと思っています。
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

マイク一本、「デッド・フラワーズ」。

海賊盤VHSビデオ、海賊盤DVDでもう何百回もみてきた映像ですが、「レディース・アンド・ジェントルメン」がこの秋にオフィシャル化されることが決定したようです。

「現役組が何十年も前のアーカイブ整理に力を注いではいけない」

という気分もありますが、まぼろしがまぼろしでなくなって、一般のミュージックショップに陳列されることは喜ばしいことです。

Rolling Stones DVDs Coming Soon (「アンティミュージック」3月19日)

上のニュースによると、6月には「メインストリートのならず者」時代のビハインドシーンを集めた映像もDVD化されるのだとか。
それって、「コックサカーブルース」とは違うのだろうか。
ローリング・ストーンズに関する雑記とその他

「サラ・スマイル」のヒットで名をあげた頃のダリル・ホールが、 イーグルスの名曲「ニュー・キッド・イン・タウン」のモデルであることに異論をはさむ人はダレもいない。

僕もまたホール&オーツのオフィシャル盤はひと通りフォローしてきた一介のファンなので、1985年のライヴ・エイドのステージにオドロキました。
JFKスタジアムに登場したホール&オーツはあこがれのテンプテーションズとジョイントライヴを行うと、そのままステージに残って、なんと、ミック・ジャ ガーが登場。

どうしたものなのか、「マイ・ガール」を歌っている時からのホールのラリルレロ状態のまなざしも心配だったけれど、ミッドエイティーズのビッグ・デュオがでしゃばることなく、黙々とミックをサポート。
映画やビデオではなく、テレビ中継をとおしての初めてのリアルタイムのタコ踊りだった。

ミック・ジャガーとダリル・ホールはその後も、映画「殺したい女」のテーマ曲「ルースレス・ピープル」や、ミックのセカンドソロアルバムで共演。
ホールもまだまだ現役だと思いますから、またミックとのコラボに期待しているところです。

上の動画は、もともとはストーンズレコーディングのボツ曲とされていた「ロンリー・アット・ザ・トップ」と、「ジャスト・アナ ザー・ナイト」のメドレー。