函館 ('03.5.10)

 


2003年5月10日。
朝市で9時半というのは、決して早くない時刻であるが、とりあえず朝ごはんとしていくら丼を食べる。

 

 

 

市電で五稜郭公園へ向かう。
(ゲーム路銀 -\11,580-\220=-\11,800
なお、普通に市電で函館観光しようと思ったら、1日乗車券が便利なのだが、ゲーセン紀行ではその手の乗車券は使えない決まり。

 

 

 五稜郭公園前

 

そもそも今回は、五稜郭の桜が見たくて、この時期に函館に来たのである。
しかし、五稜郭に向かうこの道路で、


青々と良く茂った桜並木を見てがく然。

 


五稜郭タワー。
「全日本タワー協議会」に登録される19塔のひとつ。
今日は大沼の割引券を忘れずに持ってきた。(\630→¥570) ※2003年当時の入場料
土曜日ということもあって、午前中から多数の人でにぎわっている。

 

※全日本タワー協議会は、東京タワー、通天閣、名古屋テレビ塔の3塔で発足し、その後全国各地に造られたタワーが加盟。2003年時点では19塔でしたが、その後、別府タワーが加盟し、香川県宇多津町のゴールドタワーが脱退し、2024年に埼玉県の行田タワーが加盟して、現在20塔が参加しています。

 

 


タワーの展望台から見ると、五稜郭が星型だとよくわかる。
やはり、桜はほとんど散っていた。

 


当てが外れた花見客の、ビニールシートが寂しい。

 

タワー1階の展示ホールで、五稜郭の歴史が解説されている。
五稜郭は、外国からの攻撃を想定して、安政4年(1857年)から元治元年(1864年)にかけて建設された。
日本初の西洋式城郭で、中心には箱館奉行所が置かれていた。

大政奉還後、榎本武揚率いる旧幕府軍が、この五稜郭を本拠地として、明治新政府軍と戦ったことは有名(箱館戦争)。

 

※五稜郭タワーは、2006年(平成18年)に建て替えられました。
初代のタワーの高さは60メートルでしたが、2代目タワーは107メートル。五稜郭の形がよりはっきりと認識できる高さになっています。

 

 

 

 


五稜郭は大正以降、公園として開放されている。
本当にのどかな雰囲気の所で、かつて戦争の場であったことが信じられない。

 


日陰に辛うじて、まだ咲いている桜があった。

 


桜の大部分が散ってしまったのは残念だけど、その分、タンポポやスイセン、チューリップなどが、頑張ってその穴を埋めている。

 


松の木は、もともと箱館奉行所の庭木だったものが残っているのだとか。
奉行所の建物は明治4年(1871年)に解体され、札幌開拓使の部材に使われたそうだ。

 

※箱館奉行所の建物は、2010年(平成22年)に復元されました。

箱館奉行所 公式ウェブサイト

 


市立函館博物館五稜郭分館へ(入館料\100)。

 




博物館の前のウコンとしだれ桜は、いい感じに咲いている。
屋外に展示してある、箱館戦争に使われた大砲も、いまや子供たちが遊んだり記念撮影したりする場所になっていた。

館内には、五稜郭や箱館戦争ゆかりの品々が展示され、箱館戦争の経緯も解説されている。
「藩士が戦死したときに着ていた陣羽織」など、攻撃された跡があり生々しい。

※市立函館博物館分館は、2007年(平成19年)に閉館となりました。

 

 


五稜郭を設計した武田斐三郎(あやさぶろう)の顕彰碑。
なぜか顔をなでていく人が多く、顔の部分だけぴかぴかに光っている。

 

近くのラーメン屋さんで塩ラーメンを食べた後、午後1時40分、再び市電で移動しよう。

 

「なぜか修学旅行の定番トラピスチヌ修道院(函館・湯の川)」へ続く)

 

はこぶら(函館市公式観光サイト) JR北海道 函館市企業局交通部

 



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