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音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

大河ドラマ『べらぼう』の世界

 

 現在NHKでは大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が放送されていますが、その関連イベントがあちこちで行われています。また、行ってみれば出版業界を扱ったストーリーでもあることから関連本がいくつも発売されています。そんな中、愛知県は西尾市に、「岩瀬文庫」という施設があり、このドラマに関連した展示が行われています。

 

西尾市岩瀬文庫 (2)

 

 

 商業出版が盛んとなった江戸時代には、それまでの時代とは比べものにならないほど大量の本が出版されました。そのなかで、蔦屋重三郎をはじめ多くの版元が出版した黄表紙や浮世絵などは、庶民の娯楽として人々の暮らしを彩りました。昔の物語をパロディ化したり、ユーモアたっぷりの姿をしたキャラクターが登場したりと、読んで・見て・楽しむ本が盛りだくさんです。
 100回目の企画展示(後期)である本展では、岩瀬文庫の蔵書を通して、蔦重らが当時の人々を魅了した本の数々を展示しています。

 

 

 現在は、9月15日までの展示では、

・『太平間珍志(たいへいかんちんし)』
   江戸における様々な災害や事件を集めた雑記録。天明の飢饉時の米屋打ち壊しの様子などを記す。
 ・『荒歳流民救恤図(こうさいりゅうみんきゅうじゅつず)』
   天保の飢饉時、京における窮民救恤の様子を描いたもの。「救小屋」などを描く。
 ・『安政風聞集(あんせいふうぶんしゅう)』
   安政江戸地震(安政2年)の翌年、8月25日に江戸周辺を襲った暴風雨と高潮の被害や逸話を記す。
 ・『百千鳥(ももちどり)』
   歌麿による写実的で精緻な絵に目を奪われる、豪華な彩色刷りの狂歌絵本。
 ・『廓文章(くるわぶんしょう)』
   大田南畝が、浄瑠璃の詞章(語り)を筆記したもの。

が展示されています。まあ、直に当時出版されていた書物をまじかで鑑賞できるまたとない機会になっています。

 

 また、これに関連して、9月23日にはスペシャルトークショーも開催され、大河出演中の尾美としのり氏(朋誠堂喜三二役)・風間俊介氏(鶴屋喜右衛門役)が登場します。すでに申込期間は過ぎていますが興味深い企画ですね。

 

 下は古書の「伊達模様見立蓬萊(だてもようみたてほうらい)」です。こういう古書の「黄表紙を呼んでみよう」という企画も10月12日に開催されます。こちらは9月27日まで申し込み可能ですから興味のある人は参加してみてはいかがでしょう。

 

 

黄表紙
●体裁 中本型(美濃本二つ折り)
5丁(10ページ)を1巻として、通常2〜3巻(冊)で構成
●価格 1冊 6文(約330円)
●時期 安永期(1772〜81)〜文化年間(1804〜18)頃
写真の黄表紙のサイズは縦17.5cm、横13.5㎝(※判型は紙の産地や漉き方、裁断方法により多少の違いがある。)

『伊達模様見立蓬萊(だてもようみたてほうらい)』
「新吉原に店を構える耕書堂です。このたびはお読みいただきありがとうございます。幕を開けておりますが、ただいま絶賛発売中の絵双紙の名前をご案内しております。どうぞお求めいただき、お読みくださいますようお願いいたします」(意訳)
巻末は広告になっており、新版の書名が短冊に書かれ、桜の木にぶら下げられている。安永9年(1780)。国立国会図書館蔵

 

「黄表紙(きびょうし)」とは、その名の通り黄色い表紙で、1巻10ページ程度で上下巻2冊か上中下巻3冊で刊行されることが普通でした。内容は大きく絵があしらわれ、画文一体となってストーリーが展開され、現代のコミックのような体裁でした。この黄表紙、そもそも黄表紙の登場の前に子ども向けの『赤本』、青年向けの『黒本』『青本』というジャンルが存在しました。表紙の色は時代による顔料や染料の変遷もありますが、黄色になったのはじつは色あせが原因です。青本は緑がかった色なのですが、色あせると黄味がかってきます。だったら最初から黄色にしてしまおうと、ウコンの染料を塗ったのが黄表紙なのです。

山東京伝による黄表紙『箱入娘面屋人魚(はこいりむすめめんやにんぎょう)』の巻頭ページ。寛政の改革で出版統制を受けたが、京伝に新作を書いてもらった旨を蔦重が口上として述べている。寛政3年(1791)。国立国会図書館蔵

ヒット作は万単位で売れたようで、蔦屋重三郎(蔦重)や戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)などの活躍した時代が、黄表紙登場の頃と重なります。内容もそれまでの若年向けを主としたものから、大人向けに転換します。大人向けといっても、マンガのような作りで楽しく読めたのでしょう。

 

 黄表紙というと山東京伝や朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)らの作品のような奇想の物語が知られていますが、いずれの作品にも通底するのが「うがち」という概念でした。この「うがち」というのは、被さっているものを剥がして中のものを見せるということです。それまで隠れていたものを明らかにすることで、『こういうことだったのか』と分かるわけです。のちに黄表紙は諷刺とか批評とか評価されますが、単に開けて見せただけのことです。その上で笑いがありました。言葉遊びやダジャレもあり、黄表紙は言葉の宝庫でもあったんですねぇ。

黄表紙ができるまで

 ところで、この黄表紙、手描きのスケッチが版木に起こされ、印刷物になります。その昔、少々出版にも携わったことがありますので、手作りの出版は懐かしいものがあります。

最初に本文(ストーリー)と挿絵がラフスケッチ(手描き)の状態で起こされ(草稿)、紙の指定や要望もここで指示されます。画工と筆耕により版下が作られ、版木師、摺師などの手により分業制で本が作られていくきます。まあ、我々の時代はガリ版刷りでしたけれどもね。以下は大まかな作業の流れです。

 

版下本〜校合(きょうごう)
版下とは木版を彫るときの版面の基になる文字や図柄のことです。作者からの原稿(草稿)をもとに画工が絵組みを描き、空白部分に、筆耕が本文や詞書(セリフ)などを浄書します。

 

彫刻
版下本の紙を裏返しにして版木に貼り付け、彫り師が彫ります。版木には、堅い木板が適しているため山桜や柘植(つげ)が使われています。

 

印刷
完成した版木に、礬水引き(どうさびき・和紙に墨がにじむのを防止する加工)を施した和紙を当て、摺師がバレンでこすり印刷します。用紙代は出版費用の大半を占めるため、売れる部数を定め余分は極力摺りませんでした。

 

製本
印刷されたものを5枚ずつの袋とじにし、はみ出しを包丁で切り揃え、表紙をかけ糸で綴じます。印刷された1枚を真ん中で二つ折りし、一丁オモテ、一丁ウラといいます。

 

販売
本屋の店頭をはじめ、行商、貸本屋などに流通し、読者の手に渡ります。

自筆草稿(ラフスケッチ)
『竹斎老寶山吹色(ちくさいろうたからのやまぶきいろ)』(築地善交作・北尾重政画、1794年刊)の自筆草稿。本文と絵柄の要素が揃う。
完成品
画工と筆耕により図柄と文字が整えられ、読みやすくレイアウトされて一冊の黄表紙が出来上がる。

ショルティ

ワーグナー序曲集

 

曲目/ワーグナー

1.Rienzi - Overture    11:42

2.Der Fliegende Holländer - Overture    10:38

3.Tristan Und Isolde - Act 1: Prelude    10:42

4.Tannhäuser - Overture    14:18

5.Tannhäuser - Bacchanale    13:21

 

指揮/ゲオルグ・ショルティ

演奏/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

  ウィーン楽友協会合唱団 5

録音/1961/10/10,13,23-25 ソフィエンザール、ウィーン

P:ジョン・カルショー

E:ゴードン・パリー

 

LONDON 430 135-2(DECCA原盤)

 

 

 1990年にアメリカで発売されたCDです。LP時代は3曲目の「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を除いた形で発売されていました。アメリカでの発売ものということで、その初期のラインナップは日本人にとっては考えられないものでした。このシリーズ、アメリカとロッパではかなり内容が違っていたようで、アメリカで発売されたロンドンレーベルのものはかなり、アメリカナイズされた内容でした。したがそのラインナップです。

 

 

 結構コンピュレーションものも含まれていますが、このショルティのワーグナーはそれらの中でもまともな内容のものでした。ショルティ60年代最初のワーグナーのアルバムでリングの録音と並行して、ウィーンフィルとともに録音したアルバムです。戦局はし伏目ですが、この黄金の組み合わせのワーグナーはほとばしる情熱が感じられます。のちにショルティはシカゴ響と再録音していますが、ここで聴かれるその響きはウィーンフィルの伝統的な楽器の響きに支えられまさにドラマティックなオペラの世界にいざなってくれます。

 

 

 

 オペラはお手の物のウィーンフィルはうますぎるし、デッカのゾフィエンザールでの輝かしい響きはまさに本場物の楽しさを感じさせます。オーケストラものの演奏では軋轢のあったショルティですが、オペラは水を得た魚のように生き生きとした演奏を繰り広げています。ちょうどこのころの彼らの演奏が映像で残っていますが、そこからもこの録音の息吹を感じ取る事が出来ます。

 


特に神妙にふるまいつつも、それを強く感じてしまう「トリスタン」は健康的にすぎる。
同じシカゴを指揮したバレンボイム盤は、粘りと不思議な複雑さがあって妙によかった。
 よりオペラのベテランで、ヨーロッパでたたきあげのショルティ。
シカゴという強力な武器を得て、ザッハリヒなショルティはその機能と万能性を大いに気に入り、アメリカの新天地で新境地を築き上げた。

ショルティ&シカゴを聴くとき、どうしてもその威圧的な音響と、鳴りのよすぎるデッカ録音もあって、こんな風な印象の書き方になってしまう。
でも、ここにある完璧なまでのスコアの再現音楽。
カラヤンのような色やうねりがなく、そこにあるのはワーグナーのスコアのみ。
ただそれが、一部の隙もなく明快なだけなのだ。

そんな風に聴いた今日のワーグナーは、しばらくぶりだったし、このところバイロイトのスリムなワーグナーばかりを聴いてたものだから、やたらと耳のご馳走だった。

試みに、ショルティがウィーンフィルを指揮したワーグナー集も聴いてみた。
やはり、あちらはオペラのオーケストラ。
ショルティも一筋縄じゃいかないから、手綱を緩めてるからオケの持ち味が滲みでてる。

 

 

 

 

 こういう映像を見ながら「さまよえるオランダ人」を聴くと、ウィーンフィルはやはりオペラのオーケストラだなぁとつくづく感心します。

 

 

 こうして聴いてみると、カラヤンと言いベームと言い、まあバーンスタインもそうかもしれませんがやはり、一流の指揮者というのはオペラとシンフォニーを両輪に置いて活躍していたことが分かります。

 

 

 どちらかというと、小生たちのイメージはショルティはワーグナーのリングで表舞台に登場してきたので勢いオペラのイメージが強いのですが、レコード産業全盛期にシカゴにも足場を持ったことでその両輪が花開き膨大な録音をデッカに残したともいえます。その原点ともいえるワーグナーの管弦楽作品をLP2枚分をウィーンフィルと残してくれたことは今となっては貴重といえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

愛・地球博20周年記念行事

 

 

 7日の日曜日は楽しみにしていた。愛・地球博20周年記念行事のイベントに参加してきました。今年は個人的にもこのイベントに関わってきたこともあり、何とか参加したいなぁと思っていたものです。幸い申し込みが早かったのか、このイベントの抽選で当選することができました。まさにラッキーです。

 

 街では大阪万博が話題に登っていますが、この2005年の愛・地球博ほど後世に遺産が残っている万博は無いのではないでしょうか。そのことが今年20年祭というこの記念イベントにも現れています。1970年の大阪万博では、モニュメントとして太陽の塔が残っていますが、今回の大阪万博には一体何が残るのでしょうか。ループなど一部残しても維持費がかかるだけです。この愛知万博会場に作られた「サツキとメイの家」が拡大発展し、今では跡地が「ジブリパーク」として再生されています。こういう継承的なことが今回の大阪万博では更地に戻してしまうと言うことで、何も残らないような気がして残念です。万博なんてただ騒げばいいと言うものではないと思います。そして今回感じたのは技術的な面だけでなく、文化的な側面としても、この愛・地球博が多大な資産を残していると言うことです。その1つが今回のイベントに現れていたのではないでしょうか。参加したアーティストは、地元愛知の出身の人間で固められてはいますが、音楽遺産としてはいろいろな楽曲が作曲されたこともあり、その遺産が今回のこのイベントでも歌い継がれていたことに現れています。

 

会場のIGアリーナ

 

 ただのお祭りイベントではありませんから、一般財団法人地球産業文化研究所と言うところが主催していました。個人的にはイベント等でこの研究所が所有する森蔵とキッコロの肖像権の使用についての申請とかで関わらせてもらいましたが、ここが万博として黒字を出していたことが今回のイベントにもつながっていると思われます。午後2時からの開催でしたか終了までは2時間30分ぶっ通しのイベントとして開催されました。最初はお決まりの代表の挨拶と関係者の紹介でしたが、それが終わるといきなり松平健のマツケンサンバが始まりました。オープニングのつかみとしては最高のパフォーマンスです。これで一気にお祭りモードになり会場が盛り上がりました。20周年ということで、2005年の愛地球泊を知っている人にとっては、20年の歳月が流れているわけです。結構年配の方も見えるということで、それにふさわしい松平健さんの登場は願ってもないものでした。

 

 

今回のステージ構成

 

オーケストラピット

 

 舞台手前にはオーケストラピットが用意されており、発表されてはいませんでしたが、愛知県の大学を中心とした大学生による20歳前後の演奏者が集められたスーパーオーケストラが結成されていました。通常のイベントですと、既存の音源を使ったパフォーマンスがほとんどなのでしょうが、今回は愛地球博のメインテーマを作曲した渡辺敬之さんが指揮するオーケストラがほとんどの伴奏を務めました。これは画期的なことです。

 

アリーナのセンタースクリーン

 

カーペット部分では演舞や組体操などのパフォーマンスも披露されました

 

 ステージの前にはグリーンのカーペットが敷かれてアリーナ席まで伸びています。ここでの演舞も披露され、会場全体を使ったパフォーマンスが繰り広げられました。ちょうど先月末には名古屋ど真ん中祭りも開催され、そのメンバーたちも登場して非常に賑やかなステージになっていました。

 

 

 そして中学高校生たちのコーラスをバックに控え、夏川りみさんや森山良子さん、そして石井竜也さんが2005年の万博で披露した楽曲を再び歌い上げてくれました。竹下恵子さんは2005年の愛知9泊では、日本間の総官庁と言う立場であり、その歴史を振り返る中で、ご自身の苦労や何かを話していましたが、こういうイベントについての苦労話は当事者でないとわからないものです。当時の愛知県のトップには豊田自動車の会長だった。トヨタ正一郎下足下通ったようで、トヨタの看板政策である。日々改善を会場でクレームがあればすぐ対応すると言うような形で実践されたと言う裏話も聞けました。今では一般的になっているICチップ入りの入場券も、この愛知万博で初めて採用され、また会場内にAEDが設置されたのも、この万博が最初でその威力も証明されました。

 

 

 今年の大阪万博では、多分音楽アーティストとしてはコブクロぐらいしか目立たなかったのではないでしょうか。同じ大阪万博でも、1970年の時は、海外からも、著名な音楽家が大挙して来日し万博に花を添えていました。クラシックに限っていっても、ベルリン・フィルを筆頭にクリーヴランド管弦楽団、トロント交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニックなどそうそうたるオーケストラが来日していました。今回の大阪万博は、そういう話は全く聞きません、多分文化の面においてはほとんど考慮されなかったのではないでしょうか。会場も更地に戻し、文化的遺産も何にもないと言うことでは、今回の大阪万博はカジノを作るためのパフォーマンスとしか思えないような気がしています。

 

 このイベントの模様は下記のリンクで見ることができます。ただ、、せっかくのイベントなのに権利関係で、夏川りみ、石井竜也、緑黄色社会の部分はカットされています。それでもよかったらリンクをクリックしてみてください。9月30日まで限定配信されています。

 

 

 

   今回のイベント「逢祝」という文字が使われています。そう、ただの「奉祝」では無いのです。20年後に逢えた喜びを表しているのです。

 

Johnny Pearson & Sounds Orchestral 

Wigwam

 

曲目/

1.Family Of Man   3:58

2.Something    2:58

3.Wigwam    2:32

4.(They Long To Be) Close To You    3:51

5.He Ain't Heavy    4:36

6.Smoke Ritual    2:56

7.Coloured Rain    2:35

8.Wichita Lineman    3:29

9.Classical Gas    2:26

10.By The Time I Get To Phoenix    2:54

11.Shackled    2:07

12.Sleepy Shores    3:20

 

編曲、指揮、ピアノ/ジョニー・ピアソン

ベース/フランク・クラーク

ドラム/ケニー・クレア

 

録音/1971

P:ジョン・シュローダー

E:レイ・プリケット

 

英PYE Records NSPL 41003 

 

 

 ジョニー・ピアソンが独立して自分のオーケストラを率いる前のレコードです。このサウンズ・オーケストラは、オリオール・レコードからパイ・レコードのレーベル・マネージャーに就任したジョン・シュローダーの構想から生まれました。彼は当時、パイ・レコードのスタッフ、トニー・リーヴスから、アメリカでヒットした曲「キャスト・ユア・フェイト・トゥ・ザ・ウィンド(風にまかせて)」のインストゥルメンタル版の制作に興味を持っていました。このアイデアは、当時パイ・レコードのスタッフだったトニー・リーヴスから提案されたものでした。プロジェクトが実現に近づくにつれ、シュローダーはピアニストを探します。数年前、ラジオ・ルクセンブルクでジョニー・ピアソンの演奏を聴き、彼のことを思い出したことがきっかけでした。当初は「キャスト・ユア・フェイト・トゥ・ザ・ウィンド(風にまかせて)」のレコーディングにセッション料を支払っていましたが、1964年にピアソンはサウンズ・オーケストラ・プロジェクトの正式なパートナーとなりました。「キャスト・ユア・フェイト・トゥ・ザ・ウィンド」は1965年初頭に全英シングルチャートで5位を獲得しました。こんな曲です。

 

 

 このサウンズ・オーケストラは1965年から1977年にかけて17枚ほどのアルバムをレコーディングし、そのいくつかは後にCDで再発されています。

 

 さて、このアルバムは1971年に発売されています。タイトルになっている「Wigwam 」はインディアンの三角テントのことですが、ジャケットもそれを意識したデザインになっています。曲としてはボブ・デュランの同名の曲を演奏しています。バラードですからピアソンの好みにあったのでしょう。まあ、この頃はイージー・リスニングが時代の潮流になっていましたからそういうブームに合わせて録音されたものと推察されます。トップにはスリー・ドッグ・ナイトのヒット曲の「Family Of Man」を持ってきていますし、さらにビートルズの「Something 」、さらには「Close To You」なども演奏されています。そして、最後に「朝もやの渚(Sleepy Shores)」が収録されているのも見逃せません。ここではアルバムの締めの曲として演奏されていますが、当時はほとんど話題になりませんでした。

 

 ジョン・シュローダージョニー・ピアソンによってロンドンで結成されたインストゥルメンタル・グループがサウンズ・オーケストラル(Sounds Orchestral)で、1972年にリリースされた曲が「朝もやの渚(Sleepy Shores)」である。ここでは「Arranged Conducted and Featuring  Johnny Pearson」とクレジットされている。  このオーケストラは1977年まで活動を継続するが、ピアニスト&アレンジャーであったJ.ピアソンはその活動と並行して、自らの名前を冠したオーケストラを結成し、同曲をレコーディングしている(1976年)。これが日本でも広く一般的に聴かれているバージョンで、その後、1990年代に再録音、そして1996年には『Simply Piano』というアルバムでピアノ・ソロ・バージョンを録音している。

 
 

 
 
 そのため、ジョニー・ピアソンは翌年の1972年に自らのオーケストラを編成し、この曲をA面のトップに添えて彼の名を関したアルバムを発売します。ただ、そこでのメインはよく知られた「アランフェス協奏曲」をメインタイトルに持ってきてアピールしています。ただ、これでこの後ブレイクしましたから彼の着眼点はさすがだなぁと思います。下の音源は再発された時のもので、メインはすでに「朝もやの渚(Sleepy Shores)」になっています。
 

 
 

佐渡裕と辻井伸行

ラヴェルとボレロ

 

曲目/

ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調

1.アレグラメンテ    8:22

2.アダージョ・アッサイ    10:13

3.プレスト    4:34

4.亡き王女のためのパヴァーヌ    5:46

5.ボレロ    15:01

ダフニスとクロエ 第2組曲 

6.夜明け    5:38

7. 無言劇    5:54

8.全員の踊り    4:26

アンコール

9.ドビュッシー/月の光    5:09

 

ピアノ/辻井伸行

指揮/佐渡裕

演奏/ウィーン・トンキュンスラー管弦楽団

合唱指揮/クリストフ・ヴィゲルバイヤー

合唱/ノイエ・ヴィーナー・シュティメン 合唱 6.8

 

録音:2018/06/02-05  ウィーン、ムジークフェラインザール(ライヴ収録:1-3、9)
        2019/09/30-10/1   グラフェネック、オーディトリアム

 

エイヴェックス AVCL-84109

 

 

 このCDジャケットに使われている書体といい装丁といい少々違和感があるなぁと思っていたら、ジャケット裏面に「Made in Germany」と印刷されているではありませんか。そして、プレスはソノプレスということでベルテルスマン翼下の工場でプレスされています。インターナショナル仕様のデジパックになっていて、解説書は59ページにも及び、ドイツ語、英語そして日本語で書かれています。ただし内容は大したことはありません。デザインは統一されていて、二の丸と思しき紅丸が半円と共にデザインされています。発売はエイヴェックスになっていますが、制作経緯からするとトーンキュンスラーの自主録音をライセンス販売しているものでしょう。辻井伸行とのピアノ協奏曲のみライブ収録で他のラヴェル作品はセッション録音となっています。こちらの会場は夏の音楽祭が開催されるところで、トーンキュンスラー管弦楽団の本拠地の一つです。CDの解説には録音スタッフの写真も掲載されていますが、皆青年で調整卓もなくモニタールームにパソコンが1台置いてあるだけの簡素なシステムです。ただ、マイクだけはしっかり立てています。

 

グラフェネック、オーディトリアム

 

 さて、最初はメインのラヴェルのピアノ協奏曲です。ただし、聞き始めてがっかりします。収録音のレベルが低く通常のセッションでは考えられない小さな音で始まります。これは録音バランスに問題があるCDでしょう。

 

 この曲、ある意味では奇妙な構成を持っています。両端楽章はアメリカでの演奏旅行を想定しているために、ジャスやブルースの要素をたっぷりと盛り込んで、実に茶目っ気たっぷりのサービス精神満点の音楽になっています。そういうところが、バーンスタインの弟子を自認している佐渡氏ですしラヴェルが得意でしたからこういう曲だと血が騒ぐのでしょうか、とにかく、ジャズ心のある人の演奏ですからノリノリの雰囲気が伝わってきます。そして、いつもながら感心するのは辻井氏のピアノテクニックです。最近はレパートリーも広がり表現範囲も広がっていますが、何よりもすごいのはそのアンプ力です。音をひとつづつ聴いて積み上げていっているのでしょうが、その音も粒がそろっていて癖がありません。師匠は川上昌裕しでしょうが、音での譜面から純粋に音楽を吸収しているが故の粒立ちでしょう。写真からここではスタインウェイを使用しているようですが、自宅でもスタインウェイを使っていますから違和感もないでしょう。切れのいいピアノタッチでサクサクと演奏しています。佐渡市のサポートも万全です。

 

 それでいて、その中間の第2楽章は全く雰囲気の異なった、この上もなく叙情性のあふれた音楽を聴かせてくれます。とりわけ冒頭のピアノのソロが奏でるメロディはこの上もない安らぎに満ちています。ロマンチストのポリーニやミケランジェロの繊細さで思い入れたっぷりにピアノ・ソロを聴かせてくれます。

 

 第3楽章は、またまた跳ねるようなピアノで十分スィングしています。それにしてもラヴェルのオーケストレーションは多彩です。第1楽章もそうですが、鞭の音がいいアクセントになっています。よく聴くとこの楽章の中には「ゴジラ」のメロディが潜んでいます。ヨーロッパでのコンサートは終演とともに割れんばかりの拍手ではなく、本当に音楽を楽しんだという慈しみの拍手です。

 

イメージ 2

 

 

 

 

 

 さて、このCDではボーナストラックとしてコンサートでアンコールで披露されたドビュッシーの「月の光」が収録されています。幾分ラヴェルのテンポに引き摺られているのか単独での演奏より速いテンポで演奏されていますが、かえって当時のライブの盛り上がりを彷彿とさせる演奏になっているような気はします。

 

 

 さて佐渡裕のラヴェルの中では多分何回も登場している「ボレロ」です。セッションでは、すでにフランスのラムルー管弦楽団とも録音していましたし、映像でも残っているものもあります。それらの中では多分一番遅いテンポで演奏されています。ただ、15分というのは天田の演奏の中では比較的スタンダードなテンポではあります。当のラヴェルは17分程度というのが希望であったらしいのですが、そういうテンポでは一流のオーケストラでなくては多分弦が崩壊する遅さです。まあ、このぐらいのテンポがちょうどいいのでは無いでしょうか。セッション収録だけあってオーケストラはなかなかの力演をしています。トロンボーンなど結構拳を聴かせています。ですが、全体を通して言えることはやや予定調和的なまとまり方をしていて、何度も録音している割には成長の跡が感じられないのが残念です。佐渡氏は以前も何かで話していましたが音楽の両輪としてのオペラへのアプローチがまだ弱いような気がします。せっかく音楽の中心のヨーロッパで長く活躍しているのですから、もう少しオペラへのアプローチを深めてもらいたいものです。

 

 

 ところでヨーロッパに長く住む佐渡氏です。こんな楽しい動画がネットに上がっていました。しばし、ウィーンの街並みを散策してみてください。