「べらぼう」と東洲斎写楽 | geezenstacの森

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「べらぼう」と東洲斎写楽

 

 11月14日より、突然大河ドラマの「べらぼう」の展示が愛知県図書館で始まりました。当初の図書館の展示スケジュールにはなかったものでびっくりしましたが、今年のNHK大河は面白く興味があるのでまんざらではありません。このドラマも活況に入ってきましたからねぇ。今現在子毎週欠かさず見ているのはこの「べらぼう」しかありません。

 

 学生時代は日本史なんてまっぴらで全く興味もなかったのですが、宇江佐真理の時代小説を読み始めたのがきっかけで江戸時代の日本史が面白くなりました。このブログでも多々取り上げたものです。その中でもこの1970年代後期の完成時代は江戸文化が花開いた時代としてやはり興味がありました。その中心人物とでもいえる蔦谷重三郎が主人公という事ではこれは見ない手はありません。まさに百花繚乱の人物たちが登場しています。そんなことで、今まで大河ドラマなどまともに見なかったのですが、今年は食い入るように見ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その中でも、しんがりとして登場してもおかしくないのが「東洲斎写楽」なんですが、他の人物の配役がお笑い芸人も含めて次々と登場してくる中で、この写楽だけは何時までたっても配役が発表されません。まあ、そんなこともあり、これは特定の人物としては登場しないのではないかと考えるわけです。今までの写楽を扱った小説ではもっぱら阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年(1763年) - 文政3年(1820年))とする説が有力ですが、わずか8か月余り活躍しただけで忽然と姿を消したのは解せません。画家の池田満寿夫氏なぞは自画像を残しているとの視点から「中村此蔵(なかむらこのぞう)」を導き出しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、11月9日放送の第43話では、蔦重と歌麿(染谷将太)の関係が決定的に崩れ、幕政では定信(井上裕貴)が“大老”の座を狙うも、直前で失脚、さらに、てい(橋本愛)を襲う突然の陣痛など、緊張感と重い空気が立ち込める回となった。ラストでは無精ひげにうつろな瞳で、抜け殻のような蔦重の姿が映し出され、SNSでは「おていさんは助かったの?」「歌ちゃんとの別れの後にこの展開は悲しすぎる」「ていは生きているの?」ていの安否が心配されています。まあ、早産では子は助からないでしょうし、史実的にも子がいなかったことになっていますから体だけは助かったのでしょう。

 この11月16日放送の第44話では、失意の蔦重の元に、平賀源内の“生存説”が舞いこみ、再び蔦重が情熱を取り戻していく姿が描かれるそうです。この平賀源内は1780年に獄死しています。ただ、諸説あり田沼意次の計らいで遠州相良に逃げ延びたという説もあります。このドラマではそんな繋がりで先週の最後にこの相良だこを担いだ貞一が蔦屋を訪ねてきます。この貞一はのちの十返舎一九になりますが、このつながりが平賀源内の存在をクローズアップしているわけです。

 

 

 まあ、ここからの展開は憶測でしかありませんが、この源内の関わりの中、蔦屋の一大プロジェクトが始動し、東洲斎写楽を作り出し、プロダクション制でわずか10ヶ月ですがあの雲母摺を採用した役者絵や歌舞伎、能、相撲絵を含んだ浮世絵145点を発表しています。こういう短期間で制作され、その後プッツリと足取りが掴めない絵師は他にいません。この展開楽しみです。

 

 
 楽しみといえば、小生のブログ記事の中で2014年の『喜多川歌麿「深川の雪」発見』という記事が最近の閲覧のベストスリーに入ってきています。「品川の月」、「吉原の花」とともに、「雪月花」3部作として歌麿肉筆画の傑作と言われています。東京・深川の料亭を舞台に、27人の遊女や芸者が火鉢を囲んだり遊びに興じたりする姿が、生き生きと描かれているのが特徴で、1948年4月15日から銀座松坂屋で開催された「第二回浮世絵名作展覧会」にわずか3日間展示された後、行方が分からなくなっていました。その「深川の月」が発見されたという記事を取り上げているのですが、この三部作、なんと現在栃木市立美術館で「喜多川歌麿と栃木の狂歌」という展示で公開されています。いずれも複製にはなりますが興味があったら出かけてみてください。これは歌麿の肉筆画になります。