嘘をもう一つだけ
著者:東野圭吾
出版:講談社 講談社文庫
東野圭吾はミステリーをさらに掘り下げた! 正直に生きていきたいと望んでいたのに、落とし穴にはまりこみ、思わぬ過ちを犯してしまった人間たち。そして、それを隠すために、さらに新しい秘密を抱えこむ。---データベース---
東野圭吾氏の加賀恭一郎シリーズの1冊です。意識して読んだ事は無いのですが、以前に「赤い指」と言う作品を読んでいたということがわかりました。シリーズ初の短編集で加賀恭一郎シリーズ第6冊目として発売されています。
これは下記5編からなる短編集でした。
嘘をもうひとつだけ
冷たい灼熱
第二の希望
狂った計算
友の助言
そして裏表紙に描かれている文章です。
バレエ団の事務員が自宅マンションから転落、死亡した。事件は自殺で処理の方向に向かっている。
だが、同じマンションに住む元プリマ・バレリーナのもとに一人の刑事がやってきた。彼女には殺人動機はなく、疑わしい点はなにもないはずだ。
ところが・・・・・・人間の悲哀を描く新しい形のミステリー。
冒頭の「嘘をもう一つだけ」の説明ですが、これを読んだだけではこの本が短編集がどうかわかりません。結局どの短編にも加賀と名乗る練馬署の刑事が、関わってきて事件を解決の方向に導きます。
この作品集は、「私が彼を殺した」と「新参者」の間に発刊されたもののようです。
どうりでこの「嘘をもうひとつだけ」で短編集を披露した後に、
短編集でありながら、結局はある一つの事件に集約されていく
「新参者」という手法をとったのでしょう。
地に堕ちたマドンナ
弓削バレエ団の創作バレエ「アラビアンナイト」の幕が上がるまで残りあと数時間となったために、事務局長でもあり演出家の真田の補佐も務める寺西美千代は本番前の打ち合わせに追われていました。
そんな慌ただしい中で、練馬警察署から加賀恭一郎が彼女のもとを訪ねてきます。
用件は5日前に自宅マンションの7階から転落して亡くなった、同じバレエ団の早川弘子のことです。
現在は事務局で裏方として働いている弘子でしたが、膝を故障して引退する1年前まではプリマドンナとして活躍していました。
弘子は死ぬ1週間前に引っ越してきたばかりで、同じマンションには美千代も住んでいます。
加賀が興味を示したのは、ふたりの部屋の位置関係です。
美千代の部屋は弘子の部屋の斜め上の8階にあり、美千代がバルコニーに出れば弘子のバルコニーを見下ろすことができました。
弘子の遺体が発見された時の服装もスウェットの上下にトウシューズを履いていて、 自殺と片付けるには不自然です。
【承】嘘をもうひとつだけ のあらすじ②
15年前の後悔
今回の舞台で上演される「アラビアンナイト」の作者は美千代の夫・寺西智也でしたが、15年前に美千代がバレリーナを引退する際に踊ったのも同じ演目です。
弘子の部屋からは「アラビアンナイト」の振り付けや楽譜が手書きで細かく書き込まれた、オリジナルの原稿が発見されていました。
現在の舞台で演じられているものにはない振り付けが、 オリジナルには存在します。
加賀が削除された部分をバレエの専門家に見せてみると、技術的にも体力的にも極めて高いレベルが要求される振り付けであることが分かりました。
15年前の美千代が引退に追い込まれた理由は、1年前の弘子と同じく膝と腰を酷似していたせいでバレリーナとして限界に近い状態だったからです。
「アラビアンナイト」を踊って最後の花道を飾りたかった美千代は、智也に頼んで難易度の高い部分を削ってもらいます。
しかしその時の妥協はダンサーとして人一倍プライドが高い美千代にとっては、夫の他には知られてはならないことでした。
偶然にも弘子に気が付かれてしまったために、美千代は彼女の殺害を決意したようです。
【転】嘘をもうひとつだけ のあらすじ③
ベランダで踊るバレリーナ
加賀の地道な聞き込みの結果、弘子が近々バレエスクールをオープンする予定だったことが分かりました。
講師として復帰するには自宅でのトレーニングは欠かせないために、手すりの設置されたバルコニーは正に稽古場にはピッタリです。
バレエのレッスンにはストレッチ体操が重要になり、練習後には片足を手すりに載せて入念なマッサージを行います。
もしもその瞬間に背後からもう片方の軸足を持ち上げたら、小柄な弘子の身体は簡単に手すりを乗り越えて転落していくでしょう。
バルコニーに置いてあったプランターが何者かに動かされていることに気が付いた加賀は、美千代にさり気なく聞いてみました。
美千代はあっさりとプランターに触ったことを認めましたが、その理由は「弘子から引っ越しの手伝いを頼まれたから」と筋道が通っています。
美千代には動機もあり犯行機会もありましたが、ただひとつ物的証拠だけがありません。
加賀は「本番までに必ず送り届ける」と約束して、事件現場のマンションへ美千代を車で連れていきます。
【結】嘘をもうひとつだけ のあらすじ④
事件の幕を下ろす
バルコニーの隅っこにはグレーのプランターが置いてあって、美千代は1週間前の引っ越し当日に自分が運んだと証言します。
しかしそのプランターには値札が貼られていて、彼女が殺される直前5日前にホームセンターで購入されたものです。
加賀から聞かれたことには何でも正直に答えていた美千代でしたが、ただひとつ口にした「引っ越しを手伝った時にプランターに触った」という嘘が証拠となって逮捕されることになりました。
そんな加賀も、美千代に対してはひとつだけ嘘をついています。
「本番に間に合うよう美千代を送り届ける」という約束は、果たされそうにはありません。
美千代が行くべき場所はスポットライトに照らされて大観衆の視線が注がれる劇場ではなく、薄暗い取り調べ室であり好奇の目にさらされる裁判所です。
美千代が加賀に付き添われてパトカーに乗り込もうとしている時に、今は亡き夫との思い出が込められた「アラビアンナイト」の幕が上がるのでした。
嘘をもうひとつだけ を読んだ読書感想
これまでのシリーズでは寡黙で武骨なイメージが強かった主人公の加賀恭一郎でしたが、本作品では思いのほかバレエに造詣が深い一面を披露していました。
殺人事件を解決した後に、舞台を楽しみながらほっとひと息ついている様子が思い浮かべてしまいます。
バレリーナとしての自分自身の経歴を守り抜くために、殺人まで犯してしまう寺西美千代の胸の内を理解することは難しいです。
長い間バレエレッスンに打ち込んできた方ならば、少しは感情移入できるのでしょうか。
初心者でも分かりやすく、劇団の舞台裏や人間模様が描かれていていて面白かったです。