「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」 | geezenstacの森

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生誕120年 宮脇綾子の芸術

見た、切った、貼った

 

 

 2025年は昭和のある時代に大ブームを巻き起こしたアップリケのアーティスト・宮脇綾子さんの生誕120年にあたり、1月25日から東京で展覧会が開催されていました。綾子さんは、魚や野菜、植物など家庭のなかにあるものをモチーフにしながら、卓越したセンスとデザイン力、表現方法で、アップリケを手芸という枠を超えた芸術に昇華させました。今、あらためて、私たちが宮脇綾子さんという人物に触れるとき、作品のもつ強さに驚かされるとともに、彼女がどれほど日常の暮らしを愛おしく感じ、そこに美を見出していたかに気づくはずです。この宮脇さんは東京生まれでしたが、画家・宮脇晴と結婚し、名古屋に暮らす。40歳から古布を生かしたアプリケ作品の制作を始める。1995年、90歳で逝去しています。下の写真はひなげしの花が咲く晩年の自宅の庭でのスナップです。

 

 

 宮脇綾子(1905~95)をご存じでしょうか。工芸の分野では知る人ぞ知る「アプリケ作家」です。アプリケ(我々の世代ではアップリケの方が通り名です)というと、型紙に沿って切った布を組み合わせて絵や文字を布に縫い付ける“手芸”を思うかもしれないが、彼女のそれは、自身「創作アプリケ」と名付けたように、モティーフ、素材、造形いずれもが独創性に満ち、クリエイティビティあふれる“作品”になっています。日本のみならずアメリカでも紹介されるなど、多くの展覧会も開催され、作品は美術館にも収蔵されています。愛知県が地元ということもあり、豊田市美術館や知多市歴史民俗博物館所蔵の作品150展余りが一堂に会して美術史のキーワードから分析し、新たな光をあてることを試みた、包括的な展覧会が東京ステーションギャラリーで3月16日まで開催されています。

 

 

 今展では約150点の作品と資料を、年代順ではなく造形的な特徴をもとに八つの章に分けて紹介されています。

1章が「観察と写実」。宮脇綾子は見ることを大切にしていました。その制作は、まずモノを徹底的に観察するところから始まり、形や色だけでなく、個々のパーツや構造まで、観察されているのが特徴です。布を縫い付けるという、描くよりもずっと不自由な方法をとりながら、優れた写実性を有しているのは、この観察眼のためといえるでしょう。
 《日野菜》(1970年、豊田市美術館)や、《ねぎ》(1964年、個人蔵)などが展示されています。

 

 

 2章は「断面と展開」。果実や野菜などの断面は宮脇のお気に入りで、カボチャ、トウガン、スイカ、タマネギ、ピーマンなど二つに割られた食材は数知れません。料理をしようと半分にした時に、その断面を美しいと感じることがよくあったようです。また魚や鳥などの表と裏を対として、あるいはさまざまな角度から見た姿を並べて表現することも。その根底の探究心はアーティストの本能といえるかもしれません。
 ここでは、《さしみを取ったあとのかれい》(1970年)や、《切った玉ねぎ》(1965年、ともに豊田市美術館)などが展示されています。

 

 

 3章は「多様性」。自然の中に存在する植物や動物の個体には、一つとして同じものはありません。観察の人であり、探究心の塊だった宮脇綾子はそのことをよく知っていて、それを人一倍面白いと思っていたようです。その作品には、生物の多様性が息づいていて、ワラビやゼンマイの茎葉の巻き具合、イカの干物や干し柿などの色やかたちの微妙な変化を、作家の眼は見逃さしません。こうした多様性の表現は、鋭い観察眼と飽くなき探究心によるが、同時に主婦として日々食材を扱う生活から生み出されたものでもありました。
 《ひなげし》(1969年)や、《ひの菜》(1978年、ともに豊田市美術館)、《ざるにのせた柿など》(制作年不詳、個人蔵)などが展示されています。

 

ひなげし

 

 4章は「素材を活かす」で、綾子は素材にこだわり、好みの古裂を探して骨董屋や骨董市めぐりをしていました。業者から使い古された布を引き取り、またさまざまな布を持ってきてくれる知人も多くいたようです。子どものころ貧乏だったことや、姑がモノを大切にする人だったことの影響で、どんなハギレも捨てられないと記しています。綾子の関心は、貴重な古裂だけでなく、レースやプリント生地をはじめ、洗いざらしのタオル、古くなった柔道着、使用後の布製のコーヒーフィルター、さらに石油ストーブの芯まで、あらゆる素材に向けられていました。
 《ねぎ坊主 おべんとうの折で》(1970年)や、《鰈の干もの》(1986年、ともに個人蔵)が展示されています。

 

ねぎ坊主 おべんとうの折で

 

 5章は「模様を活かす」。宮脇が作品に用いた布にはさまざまな柄のものがありました。伝統的な吉祥紋から、藍染の縞柄や格子柄、紅型の大胆でカラフルな文様などだけでなく、プリントされた花柄や松竹梅の文様まで、あらゆる柄や模様が宮脇の作品には使われています。こうした模様を巧みに組み合わせて、写実的な作品を作り上げることも珍しくありませんでした。龍の文様がオコゼの刺々しい様子を見事に表現していたり、印半纏の幾何学的な柄が竹の子の皮に見立てられていたりするのを見ると、宮脇マジックと呼びたくなります。《白菜》(1975年、豊田市美術館)も顕著な作品で、この作品はトップのポスターに採用されています。

 

 6章は「模様で遊ぶ」。布の模様を写実的な表現に巧みに利用する一方で、宮脇は模様それ自体の面白さをそのまま活かして、大胆な造形をつくり出すこともありました。模様を見ながら、何をつくろうかと考えることもあると言っていた宮脇にとって、模様は制作するための要素のひとつであっただけでなく、インスピレーションの源でもあったのです。宮脇の作品の中には、写実を離れて、自由に模様で遊んだ作品が少なくありません。モティーフの本来の柄とはかけ離れた模様が予想外の面白さをつくり出し、独自の作品世界をつくり上げているのです。
 この章には、《鮭の切り身とくわい》(1980年、個人蔵)や、《いい形・いい布》(1986年、豊田市美術館)が並んでいます。

 

 

 7章は「線の効用」で、布を縫い合わせることによってつくり出されています。つまり対象を面の集まりとして全体を構成していくのですが、そこに紐や糸による線を加えることによって、彼女の作品は大きな表現の幅をもつことになりました。植物の根や細い茎などの繊細な描写が可能になっただけでなく、透明なガラスの器を表現することができるようになったのです。それは根や芽の生命力に強い関心をもっていた宮脇には重要なことでした。新芽や伸びる根の様子を観察するのに、水を張ったガラスの器ほどふさわしいものはないからです。

 

ガラス瓶の中のつる草

 

最後の8章は「デザインへの志向」。宮脇は、デザイン的な傾向を強く感じさせる作品を数多く制作しています。こうした作品ではしばしば、大胆な単純化やデフォルメ(誇張)がおこなわれ、また同じモティーフを反復したり、逆に異なるモティーフを羅列したりするなど、写実的な表現とは違う手法が用いられます。デザインとは、奇をてらったり装飾的な細部を付け加えたりすることなのではなく、自然を観察して、そこから本質的な形を汲みだし、それをある秩序にしたがって配置していくことであるとするならば、宮脇綾子の作品は優れてデザイン的であるといえるでしょう。
 《あんこう》や、《床山さんの櫛》(ともに制作年不詳、個人蔵)がその代表です。

 

あんこう

 

 素朴な日常の食物や身近な生物たちは、いずれも繊細で絶妙なハギレの組み合わせでできている。近くでじっくり観察してほしい。あたり前のモノたちが、実に楽しげに、ユニークに、大胆に、愛らしく生命の輝きと、創作の喜びを伝えてくれる。地にしている布との対比にも注目。ひとつの作品で発見があると別の作品でも気になってくる。会場を往還して確認したい。

 作品に記される「あ」のアプリケ。「綾子の“あ”であるとともに、自然を見て『あっ』と新鮮に驚いたときの感動をひそかに縫い込んでいるつもり」という。そのすぐれた色彩感覚と「布絵」としか言いようのない、あらゆる領域を超えた豊かな創意にさらに「アッ」となること間違いなし。

 

 作品には「あ」という字の縫い取りが施されています。これは綾子の「あ」であり、アプリケの「あ」であり、自然のものをあっと驚く「あ」でもあり、感謝のありがとうの「あ」でもあったのです。

 

 ここから下は豊田市美術館のHPに掲載されている「あ」の作品たちです。