昨日がなければ明日もない
著者:宮部みゆき
出版:文芸春秋 文春文庫
「宮部みゆき流ハードボイルド」杉村三郎シリーズ第5弾。中篇3本からなる本書のテーマは、「杉村vs.〝ちょっと困った〟女たち」。自殺未遂をし消息を絶った主婦、訳ありの家庭の訳ありの新婦、自己中なシングルマザーを相手に、杉村が奮闘します。---データベース---
久しぶりの宮部みゆきさんの作品です。最近はとんとご無沙汰していました。とっかかりは「蒲生邸事件」という作品だったのです。SFといえばそうなのですが、歴史小説とも捉えることができる作品でした。以来現代劇や時代劇などかなりの作品を読んできていますが、これは杉村三郎が主役のシリーズの第5弾のようです。2018年の11月に文藝春秋社から発売された本で、初出は「オール讀物」で発表され、単行本化にあたり加筆されています。そして、2021年に文庫化されました。
このシリーズはどちらかというと警察の絡みにくいじけんを杉村三郎という目線で描いています。もともとが、こういう形での関わりがストーリーの中心になっていますからこの巻で私立探偵になっているというのは自然な流れなんでしょう。警察が介入しにくい問題を杉村の独自の調査で事件を追っていきます。まあ、殺人事件も発生していますから全く警察が絡まないということはないのですが、こういうところが私立探偵物の成立する余地があるということでしょう。この本の章立てです。
絶対零度
最初の「絶対零度」は200ページ超の作品で、これ一作で一冊分のボリュームがある作品です。杉村探偵事務所の10人目の依頼人として、50代半ばの品のいいご婦人が訪れます。一昨年結婚した27歳の娘・優美が、自殺未遂をして入院ししてしまい、1ヵ月以上も面会ができまいままで、メールも繋がらないのだというのです。妻に面会させない夫の存在というものが不思議なところですが、ここがこのストーリーの大きな肝になっています。「恋は盲目」といいますが、男に惚れてしまうと、女はこうなってしまうのでしょう。杉村は、強力な助っ人の「オフィス蛎殻」のウェブ担当調査員の木田の力を借りて外堀を埋めていきます。バックに体育会系特有の縦割り社会のクラブOBの存在が明らかになっていき、陰惨な事件が起きていたことを突き止めます。
華燭
華燭
杉村は近所に住む小崎さんから、姪の結婚式に出席してほしいと頼まれます。小崎さんは妹(姪の母親)と絶縁していて欠席するため、中学2年生の娘・加奈に付き添ってほしいというわけです。この兄弟の絶縁の影には許し難い経緯があるのですが、結婚式の会場では二組の結婚式がトラブルになっていて、ここで私立探偵の立場から二組の結婚式の間に隠された秘密に気がつきます。映画「卒業」の逆バージョンを思わせる展開の中での現代的な生々しい展開と、新譜の緻密な計算された仕掛けにびっくりさせられます。
昨日がなければ明日もない
事務所兼自宅の大家である竹中家の関係で、依頼を引き受けるなと釘を刺されていた29歳の朽田美姫からの相談を受けることになってしまいます。「子供の命がかかっている」問題だというのです。美姫は16歳で最初の子(女の子)を産み、別の男性との間に6歳の男の子がいて、しかも今は、別の〝彼〟と一緒に暮らしているという奔放な女性です。ただ、話は支離滅裂で金に汚く癇癪持ち、男にだらしなくて自己中心でどうしょうもない女性という印象が最初に植え付けられます。ことの真相を関係者に当たり、事実として子供の交通事故は美姫とは本質的には関係がないということを思い知らせるための調書を作成するのですが、この調書は金に汚い美姫にとっては何の役にも立ちません。そこで美姫の家族を巻き込んだ事件が発生してしまいます。美姫の妹の三恵の存在が悲しくなります。最後に三恵が叫ぶ言葉がこのストーリーのタイトルで、それがこの本自体のタイトルにもなっています。
読めばわかりますが、美姫の娘の「漣(さざなみ)」の存在が前半と後半では全く描写が異なります。いじめられる性格の人間は自分より死の立場の人間に対してはいじめる側に回るという人間性、これは魯迅の「阿Q正伝」そのものです。人間の本性というものは本質的に変わらないことわ思い知らされます。最後に継続捜査担当の立科警部補がチラッと登場してきます。彼の存在は今後のシリーズ展開の鍵になるような気がします。
もう一つ、妹の三恵は小説の中でスノーボールを手作りしています。このスノーボールがこの話の要になるというのも悲しいところです。ちょうどクリスマスのシーズン、我が家にもかわいいスノーボールが一つ飾ってあります。