蒲生邸事件 | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

蒲生邸事件

著者 宮部みゆき
出版 光文社 カッパノベルス

イメージ 1


 平河町一番ホテルに宿泊していた受験生・尾崎孝史は、二月二十六日未明、ホテル火災に見舞われた。危うく焼死するところを、謎の男に助けられた孝史は、その男とともに昭和十一年二月二十六日にタイムスリップ―雪の降りしきる帝都では、今まさに二・二六事件が起きようとしていた。その日、蒲生邸では蒲生陸軍大将が自決。三宅坂一帯は叛乱軍に占領され…。
 この叛乱の結末、これからの昭和の戦争への悲惨な歴史を知る孝史たちにできることはないのか。“運命の四日間”に交錯する人々の命運!当代随一のストーリーテラーが時を超えて描く、ミステリー巨編。---データベース---

 1997年の第18回日本SF大賞受賞作です。この小説、表紙には「長編推理小説」と書いてあります。で、本のタイトルは「蒲生邸事件」となっています。決して殺人事件とは書いてないのですね。ですから、推理小説として読むと失望します。そして、テーマというかこの小説の中で同時進行で描かれるのは「2.26事件」です。でも、この事件が深く取り上げられているわけではないので、歴史小説ではありません。ということでは、主人公の尾崎孝史が現代から昭和16年へとタイムスリップするわけですからやはり、SF小説なんでしょうね。

 タイムトラベラー物ということで興味がわきこの本を手に取りました。がその厚さにびっくり、新書判で530ページのボリュームです。通常の2册分の厚さがあり、まず読むのに大変なんです。読み終わるのに一週間もかかってしまいました。まぁ、その間に先に紹介した津村秀介の「宍道湖殺人事件」を平行して読んでいましたけどね。

 個人的には、この小説が発表された1997年当時は本に全く興味が無く、本屋に行ってもパソコン関係の雑誌しか買わない時代でこういう小説が書かれていたことすら知りませんでした。しかし、当時は話題になった作品のようで、翌1998年には何とNHKがハイビジョンでドラマ化していたようです。尾崎孝史 - いしだ壱成、平田次郎 - 西村雅彦、向田ふき - 奥菜恵、蒲生憲之 - 江守徹、蒲生貴之 - 原田龍二という豪華な布陣であったようですが、残念ながらDVD化はされていないようです。そろそろ再放送してくれないものですかね。

 出だしの雰囲気は清水義範氏の「イマジン」と同じような感じです。ただ、この作品は大学受験に失敗した18歳の学生ですからもうちょっと若い設定になっています。宮部みゆき氏の作品は初めて読みますが、導入の部分の長いこと、多分、この部分で挫折する人も多いのではないでしようか。純文学出の人は津村秀介氏もそうですが、最初に出会ったこの導入部で一度挫折します。その点西村京太郎氏はこういうことは無いので気楽に読めます。難関の導入部をすぎると、いよいよ昭和11年の2月26日にタイムスリップです。いよいよ、ここからSFらしい展開です。

 ただ、話しの展開が遅々として進んでいきません。昭和初期の雰囲気のテンポで書かれているからでしょうか。ダラダラした感じで、正直読んでて眠くなるし、疲れました。それでも、漸く邸の主が自決してしまうシーンからは緊張が高まります。そして、その死の現場を見て自殺に使った拳銃が見つからないことから、自殺ではなくて他殺の疑いが生まれます。こうして、始めて推理小説のような展開になっていきます。でも、この部分も名探偵の推理のように疑問解決の過程もそれほど描かれるわけではありません。それよりも、この蒲生陸軍大将の自殺の経緯の背景にあるその言動の変化がストーリー上の大きなポイントとなっているのが分かります。

 小説は、現場には「自決」に用いたはずの銃が無く事件は殺人の可能性を帯び状況で、周囲は叛乱軍により制圧され,いわば密室環境です。犯人は屋敷内にいるはず・・・とミステリアスに展開がまっています。また、この事件は「時間を超える能力」を持った者による犯行なのか、それとも普通の人物によるものなのかという「ミステリ的決着」と「SF的決着」とを両方提示することにより、サスペンスを盛り上げています。そしてSFらしい予想外の着地と余韻を持ったエンディングで、前半のまどろっこしさとは裏腹に中盤以降は、ぐいぐいと一気に読み進められるあたりは、やはりこの作品は受賞に相応しい大作に仕上がっています。宮部みゆきは、この作品以外でも直木賞も受賞していますし、吉川英治文学賞も受賞していますから、さすがに卓越したストーリィ・テラーですね。

 平田次郎という使用人とその叔母だった黒井という人物の存在が、昭和11年のこの時代にどういう影響を及ぼしていたのかという考察が尾崎孝史の目線で描かれていきます。平田次郎は時間旅行が可能な人物です。その超能力者の苦悩―「歴史的事実」は変えることはできても「歴史」そのものは変えることができない無力感、虚無感―が平田によって語られはしますが、超能力者自身は主人公ではなく,偶然その力を持つ者によって、半世紀前へと連れて行かれた尾崎孝史の視点がメインとなっています。また話しが進んでいくと、さらに超能力者の力によって未来を知ってしまった人間たち(それは「未来人」である主人公も含まれます)、「知ってしまったこと」に対する考え方の違う人物たちを複数配していてそこに渦巻く考え方が物語の大きな流れになっていきます。その時代の価値観の違いのターニングポイントとして2.26事件が描かれているといってもいいでしょう。

 ただ、SFとして描かれるタイムパラドックスの説明の部分にはやや矛盾がある点も感じられます。ここでは1985年に起きた日航機の墜落事件は、既にひとつのタイムパラドックスとして描かれていて、本来起きた別の墜落事事故を平田が阻止したために起きてしまったと説明しています。こうなると我々が現在体験している世界は既に別の歴史だということになってしまいますからね。そういう点では、歴史改変の可能性云々についての説明は、SF小説フリークとしての目にはとくに新しさを感じさせるものではありませんし、時間を旅行する能力についての説明も安易と言えば安易です。しかし、たとえ使い古された陳腐な設定が用いられていようと、それをベースにして語られる物語こそが大切なのだと思います。ここで登場する蒲生邸は全くの架空の世界です。蒲生陸軍大将という人物すら実在しません。それでも、こういうリアルな設定の中で描かれると、歴史とは何だろうと考えさせられたり、意固地で分からず屋だった少年が次第に成長していく様を見つめ、ラストのさわやかでちょっぴり哀しい結末に涙する自分を発見します。

 そうなんです。「イマジン」でもそうでしたが、エピローグで語られる雷門でのくだりではボロボロと涙を流してしまいました。涙が止まりませんでした。「孝史」に共鳴していた自分が、まるでそこで「ふき」の手紙を読んだような気分になっていました。このブログを書いている時点でもまた、目頭が熱くなります。

 極上の時間を与えてくれた宮部さんに感謝しつつ、こうなってくると次なる作品も読みたくなってくるではありませんか。