あの頃の誰か
著者:東野圭吾
出版:光文社 光文社文庫
メッシー、アッシー、ミツグ君、長方形の箱のような携帯電話、クリスマスイブのホテル争奪戦。あの頃、誰もが騒がしくも華やかな好景気に躍っていました。時が経ち、歳を取った今こそ振り返ってみませんか。東野圭吾が多彩な技巧を駆使して描く、あなただったかもしれれない誰かの物語。名作『秘密』の原型となった「さよなら『お父さん』」ほか全8篇収録。---データベース---
これまでの雑誌には掲載されたことがあるのに単行本としては収録されなかった作品を集めた計8編の短編集です。本作に納められている作品は、東野圭吾曰く「わけあり物件」に相当するというものです。収録作は89年から95年にかけて書かれた作品で、冒頭などバブル景気に浮かれる日本を髣髴させるキーワードが物語に織り込まれていて感慨深いものがあります。巻末のあとがきには、その理由も記されているのでここでは省略しますが、読んで「う~ん、なるほど」と納得するでしょう。なかなかの傑作揃いで、「レイコと玲子」「シャレードがいっぱい」「二十年目の約束」「再生魔術の女」は、2012年にテレビドラマ『東野圭吾ミステリーズ』の一篇として映像化されています。
■シャレードがいっぱい
バブルの雰囲気を一番感じる作品でしょう。津田弥生は、高級スポーツクラブのプールで恋人の北沢孝典を待っています。しかし、北沢孝典が約束の時間になっても現れないので彼のマンションを訪れることにします。そして、そこで弥生が発見したものは孝典の死体だったのです。やがて、彼の死には、ある資産家の莫大な遺産問題が絡んでいることが分かります。孝典が死ぬ間際に残したダイイングメッセージ「A」が示すものとは?まあ、これはミスリードなのですが、全ではなく王の部分がエという漢字がキーワードになります。
さて、小生らの時代ですとタイトルの「シャレード」はオードリー・ヘップバーンの主演した映画がすぐに頭に浮かびますし、もう少し若い世代だとダイハツの車を思い浮かべる人があると思いますが、そもそも「シャレード」とは謎解き、言葉遊びといった意味です。その意味を知って読むとこのストーリーはストンと腑に落ちます。
■レイコと玲子
プロローグとして雨の中酒屋の自販機の近くで佇んでいた女がいます。そこへ立ち寄った一人の男が公衆電話から電話をかけます。そして、殺されるシーンが描かれます。秋野葉子が午前3時頃に自宅マンションに戻ると、マンションの自転車置き場に若い女が座り込んでいました。若い女がこんな真夜中にいることを不信に思った葉子は、その若い女に声を掛けてみます。しかし、彼女は記憶を失っており、何も覚えていませんでした。心配になった葉子は彼女をしばらく自分の家に泊めてあげることにします。しかしその後、彼女に関する驚くべき情報を知ることになります。なんと、近くで起きた殺人事件の容疑者を描いた似顔絵が、彼女にそっくりだったのです。二重人格を扱った作品でなかなかのホラーです。
■再生魔術の女
資産家の根岸家に婿養子と迎えられた根岸峰和と妻・千鶴の間にはなかなか子供できません。そこで、何かの理由で生みの親と一緒に暮らせない赤ん坊を養子に迎えることにしました。その赤ん坊を探す世話をしてくれたのが中尾章代でした。ところが、章代の本当を狙いを知った峰和は、自殺に追い込まれることになります。いわゆる復讐劇ですが、かなり手が混んでいます。
■さよなら『お父さん』
杉本平介は、TVのニュースで、我が妻と娘が飛行機事故に遭ったことを知ります。娘の加奈江は一命を取りとめましたが、妻の暢子は亡くなってしまいます。妻を亡くした悲しみと娘が助かった喜びの中、平介は、複雑な心境のまままだ目を覚まさない加奈江に付き添いますが、やがて目を覚ました加奈江がしゃべりだした言葉に、平介は自分の耳を疑います。加奈江は、自分が妻の暢子だと言うのです。憑依ものですが、それだけでは片付けられない父親の複雑な心境が涙を誘います。この作品はプロットはそのままに長編小説の「秘密」として再生されます。そして、これがヒットして東の敬語の名前が世に知られるきっかけとなるのですから・・・こうしてみると東の敬語の特徴は長編であるということがわかるでしょう。
■名探偵退場
このストーリーは一連の名探偵シリーズ対するオマージュ作品でしょう。ただ、この作品集の中では浮いています。マイケル・ケイン主演の映画の「探偵スルース」のパロディです。科学捜査の進歩により、ほとんど捜査依頼を受けることが無くなってしまった名探偵・アンソニー・ワイクは、助手のマークと二人で、過去の事件に想いをはせていた。そんなワイクのところに久々に捜査の依頼が来ます。それは、かつてワイクが解決した過去最大の難事件を彷彿とさせるものであった。やがて、謎を解明したワイクは、説明するために事件関係者を呼び集めたが、突然その場で倒れてしまいます。意識はあるのだが手足や口が動かないのです。すると、集まった事件関係者たちが、それぞれ自分たちで謎解きを始めだした。口が動かないワイクは、彼らの謎解きをただ聞くしかありません。しかし、彼らの謎解きを聞くうちに、ワイクに新たな疑問が湧き上がってきます。
■女も虎も
お題拝借ミステリーショートショート競作において太田忠司氏が出した題名「女も虎も」に基づいたものらしいです。殿様の妾に手を出した者には、2つの扉からどちらか一つの扉を選択するという罰が与えられます。一つの扉には絶世の美女が、もう一つの扉には人喰い虎が待ち構えています。しかし、今回は2つの扉ではなく、3つの扉から選択するというものでした。2つの扉で待ち構えているものは今までどおりですが、新しい3つ目の扉には何が待ち構えているのかが分かりません。そして真之介は、「3つ目の扉を選びなさい」という妾の言葉を信じて3つ目の扉を選択する。しかし、そこに待ち構えていたものとは・・・。女はいますが、それは大酒飲みの大トラでした。太田氏の短編では絵画を取り上げたものもあります。
■眠りたい死にたくない
会社で1年先輩の憧れの女性から突然デートに誘われた筒井です。イタリヤ料理のレストランを出て彼女の車に乗ったあたりから眠気に襲われ、今や窮地に立たされます。なぜこんな目に遭うのかは分からないのですが、はっきりしているのは、ここで眠ってしまったら自分の命はないということ。首にはロープが巻かれ死に直面するなかで微かに思い出した真実は、会社の経理帳簿が・・・・。
■二十年目の約束
亜沙子は、交際を続けていた村上照彦からプロポーズの言葉を受けます。しかし、「子供を作らないこと」というのが、彼が出した結婚に対する条件でした。この条件を受け入れ結婚した亜沙子ではあったが、海外生活の寂しさからか、やがて子供が欲しいと思うようになり、そのストレスで遂には発作的に自殺を図ってします。確かにバブルの時代、ディンクスという言葉が流行っていました。DINKs(ディンクス)とは、「Double Income(共働き)No Kids(子どもを持たない)夫婦」を示す言葉です。
さて、照彦は気分転換に「二週間の休暇をもらったので、日本に帰ろう」と亜沙子に告げます。亜沙子を連れて日本に帰る昭彦の目的は何か?そこには、「子供を作らない」と言った昭彦の二十年前の悲しい真実があったのです。「再生魔術の女」逆バージョンのようなストーリーですが、東野圭吾の作品としては異色です。