オリンピックマーチ
今年はまもなくパリオリンピックが開催されますが、果たしてフランスのオリンピックではオリンピックの入場行進曲が新たに作曲されるのでしょうか。直近の東京オリンピックや少し前のロンドンオリンピックでも入場行進曲が新たに作られたと言う記憶は全くありません。オリンピックの印象が最近薄いのは多分そのせいではないでしょうか。
オリンピックで行進曲が注目されたのは1964年に開催された東京オリンピックが最初ではないでしょうか。そして、この古関裕而氏が作曲した行進曲は、入場更新の時に繰り返し繰り返し演奏されて記憶に残りました。多分、オリンピックのイメージをガラリと変えた曲なのではないでしょうか。
調べてみても、東京オリンピックの次のメキシコオリンピックはほとんど記憶に残っていません。ネットで確認してもそれらしき音楽は確認できませんでした。その次のミュンヘンオリンピックは非常に記憶に残っています。テレビドラマにもなった(ミュンヘンへの道)が放映されていたこともあり認識が高かったのだと思います。また、事件的にはテロ事件も起こったりして、非常にショッキングなオリンピックでもありました。この1972のオリンピックは、変わった入場行進曲だったので、その思い出もあります。この大会は、初めてオーケストラによる演奏が会場に響き渡ったオリンピックでもあります。クルトエーデルハーゲン楽団が、オリンピックのテーマ曲とともに、各国のメロディーを使用した粋な入場行進だったからです。その1部ですが、こんな曲でした。
は、このオリンピックではレコードでサントラ版が発売されていて、小生も入手した記憶があります。それは現在処分してしまって、手元にはありませんが、この音源がYouTubeにあがっていました。全部聞こうとすると1時間以上かかる演奏です。多分こんな長い行進曲は二度とないのではないでしょうか。
当時のオリンピックは、夏の大会と冬の大会が同じ年に開催されていました。ということで、日本では札幌でオリンピックが開催されました。一般にはトワエモアの歌った(虹年の三波春夫のと雪のバラード)がヒットしましたが、もうその曲がオリンピックの曲だなんて覚えている人はどれほどいるでしょうか。それ以上にこのオリンピックに行進曲があったなんて覚えている人も少ないのではないでしょうか。また、オリンピックにはファンファーレがつきもので、この時は三善晃氏が作曲していました。
それ以上にこのオリンピックに行進曲があったなんて覚えている人も少ないのではないでしょうか。またオリンピックにはファンファーレがつきもので、この時は三善晃氏が作曲していました。行進曲の方は、今は亡き山本直純氏が「白銀の栄光」という曲を書いています。吹奏楽作品で、吹奏楽の世界では定番曲になっています。そして、このオリンピックには東京オリンピックの時の三波春夫の「東京五輪音頭」があったように、トワ・エ・モアの歌う「虹と雪のバラード」という曲がテーマソングとしてあったのですが、覚えている人はどれくらいいるのでしょうかねぇ?
さた、現在のオリンピックマーチといえば多分この人の音楽なんでしょう。映画音楽の巨匠がオリンピックのためにマーチを書き下ろしました。これはフルおーむすとらを使った壮麗なマーチで以後のオリンピック・マーチの代名詞になりました。そして、ロスアンジェルス・オリンピックは商業主義の走りとなった大会で、この時はオリンピックの公式アルバムが発売されています。
L.A.オリンピック公式アルバム/1984 | geezenstacの森 (ameblo.jp)
オリンピックの入場行進では延々とこのメロディが演奏され、耳タコ状態だったのも懐かしい記憶です。各競技にもテーマ曲が作られ一流アーティストが曲を提供していたのも懐かしいところです。
子らが契機となったのか、次の1988年のソウル・オリンピックもまた、ジョン・ウィリアムズに曲が依頼されました。それが「オリンピック・スピリット」という曲です。この曲も今では吹奏楽では定番曲になっていますし、もちろんオリジナルはフル・オーケストラの曲ですからクラシックの演奏会でもよく演奏されています。
飛んで1996年にもジョン・ウィリアムズはアトランタ・オリンピックのために曲を書く―来ました。何しろアトランタはコカ・コーラのおひざ元ですからねぇ。いちおう、近代オリンピック開催100周年記念大会というお題目がありました。トリビアとしては、ジョン・ウィリアムズは当時はボストン・ポップスの音楽監督でしたから、この曲はそのボストン・ポップス・オーケストラのトランペットソリストであるティム・モリソンに捧げられました。というりもティム・モリソンは、ボストン・ポップス管弦楽団の首席トランペット奏者で、他のウィリアムズの作品でも優れたソロを受け持っている、アメリカで最も人気の高いトランペット奏者の1人です。彼もアトランタに参加する予定でしたが、放送用の3分の短い版で演奏することになって出番がなくなってしまい、そのため、この曲を彼に捧げて、その労をねぎらったものです。
日本では1998年に長野冬季オリンピックが開催されています。この大会では湯浅譲二がファンファーレを作曲しています。下がそれです。
実際の会場ではこの曲を小澤征爾が指揮していますが、そのリハーサルが映像として残っています。
多分書く―危機になった人も多いのではないでしょうか。そして、毎回「オリンピック賛歌」も演奏されているのですが、気にしてみている人は少ないのではないでしょうか。この長野オリンピックでは日本語バージョンで演奏されたものが残っています。
民放各局がそれぞれにテーマ曲を決めているようですが、後世にはあまり残りません。パリ大会では是非、後世に残るような入場行進曲を演奏してほしいものです。