戦火のマエストロ 近衛秀麿 | geezenstacの森

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戦火のマエストロ

近衛秀麿

 

著者:菅野冬樹

出版:NHKエンタープライズ

 

 

 日本のプロ・オーケストラの祖であり、ヨーロッパで一流の指揮者としての地位を確立しながらも、藤原氏直系の公家で時の総理大臣の弟という特殊な出自のためか、その後の日本音楽界ではとかく正当に評価されてこなかった伝説的な音楽家、近衛秀麿。近年の研究では、彼の実力がいかに当時のヨーロッパ音楽界で評価を得ていたのか、いかなる時代の波に揉まれその波瀾を乗り越えて来たのか、そんなドラマティックな事実が明らかになってきたのです。戦前からヨーロッパ・ドイツを拠点に活躍した日本人指揮者・近衛秀麿には、「表の顔」からは想像もできない、もう一つの顔があった。刻一刻と激しさを増すナチスのユダヤ人弾圧の嵐の中で、多くのユダヤ人たちを国外に脱出させ命を救っていたというのだ。---データベース---

 

 この本はMHKのBS1スペシャル『戦火のマエストロ・近衛秀麿~ユダヤ人の命を救った音楽家~』を出版化したものです。近衛秀麿については、最近取り上げた彼の著作「フィルハーモニー雑記」を読んでいて色々な点で、すごい指揮者だということは理解していました。何しろ小澤征爾が1960年第二ヨーロッパ各地のオーケストラを不利に回った先で、「お前は2理目の日本人だ」とよく言われたと言います。つまり、近衛秀麿は昭和初期にすでにヨーロッパ各地で膨大なオーケストラを指揮して名声を博していたのです。フルトヴェングラー然り、クナッパーツブッシュ然り、エーリッヒ・クライバー、ストコフスキー、トスカニーニ、オーマンディ、作曲家ではラフマニノフ、シベリウスなどとも面識があり日本人として、最初にベルリンフィルを指揮したのも近衛秀麿です。そんな彼のもう一つの側面にスポットを当てたのが本書と言えるでしょう。章立ては次のようになっています。

 

目次

第1章 ベルリン・フィルを初めて指揮した日本人(留学生が成し遂げた快挙;ベルリン・フィルの番人 ほか)
第2章 ナチス政権下の音楽家たち(三一名の署名;「暗黙の了解」 ほか)
第3章 亡命トライアングル(新響の労働争議;秀麿、アメリカへ ほか)
第4章 「近衛オーケストラ」の秘密(フルトヴェングラーの秘書からの依頼;フルトヴェングラー、アメリカ入国を拒否される ほか)
第5章 最後の謎―米軍中尉ネルソンとの対話(「コンセール・コノエ」の演奏会評;秀麿、楽譜を隠す ほか)

 

 

 この著作は、時代に翻弄された音楽家、近衛秀麿の半生を綴ったドキュメンタリーで、一つ一つ資料に当たり、事実を紡いでいく説得力のある力作です。 内閣総理大臣を経験した近衛文麿の実弟である彼は、日本が戦争に没頭した時代に、自分の音楽の素質を見極めるべくにドイツに渡りました。

 交流のあった音楽家にはビッグネームが並びます・・・
・山田耕筰から作曲を学ぶ
・エーリッヒ・クライバー(おそらに指揮を学ぶ
・ゲオルグ・シューマンに作曲を学ぶ
・自曲の演奏を聞いたリヒャルト・シュトラウスに絶賛される

・シベリウスが彼の編曲版の演奏を聴き、自分もそういう編成で曲を書きたかったのだと絶賛
・レオポルド・ストコフスキーから客演の要請があり、まずアメリカに向かい、ストコフスキーのほかユージン・オーマンディやアルトゥーロ・トスカニーニと面会する

・NBC交響楽団とは新世界を演奏し指揮者団の一因に認められるも戦争の影響で実現せず

 貴族出身かつ内閣総理大臣の実弟という立場があってこそなしえたユダヤ人の亡命援助が彼の隠れた功績です。杉浦千畝は大使館員という立場をフルに活用しましたが、近衛秀麿は、戦場のヨーロッパにあって音楽家、指揮者という立場で優秀なユダヤ系の演奏家をその人脈を使って海外へ脱出する手助けをしていたんですなぁ。こちらはドイツ国内で活動していましたから、大っぴらに活動することはできません。しかし、兄は首相を務めた近衛文麿です。指揮者でありながら外交官の資格を持つ立場でベルリンフィルの指揮台に立ちます。1933年10月3日のプログラムは、

・シューベルト/第交響曲ハ長調(秀麿編曲の弦楽五重奏曲ハ長調のオーケストラ版)

・近衛秀麿/雅楽「越天楽」オーケストラ版

・リヒャルト・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」

・マクス・レーガー/序曲「祖国」

というもので、この演奏会にはシュトラウス本人も列席し、大賛辞を送っています。これで、ドイツでの活躍は保証されました。その地位を活用して様々な演奏家を、日本へ送り込みます。ピアニストのレオニード・クロイツァー、ヴァイオリニストのコンラート・リープレヒト、指揮者のマンフレート・グルリットなどを手助けしています。


 最初は仲間の音楽家、その後はそれを聞きつけた運動家が持ちかけたユダヤ人達の財産を海外へ送る援助もしていたことがわかります。現地でのプロモーターも協力してくれますが、彼の人脈を生かした行動は当局からは睨まれることになり、最終的にはナチスやドイツ大使が嗅ぎつけて活動を止められてしまいました。しかし、協力者の援助でポーランドに移動し、そこで上記の番組でも取り上げられた「未完成」の演奏会などが実現されていきます。ドイツ将校のカール・レーマンは秀麿に協力しドイツが敗れる直前にはパリで、コンセール・コノエ」というオーケストラを組織し、レーマンの域のかかったフランス北部やベルギーで講演を重ねます。主目的は演奏会の開催ですが、優秀な音楽家を国境地方で公演することで、わずかづつ公演終了後に亡命させる算段だったようです。このオーケストラにはその後フランスで中心となって活躍するオーボエのピエール・ピエルロ、クラリネットのジャック・ランスロ、ファゴットのポール・オンニュ、ヴァイオリンのジャック・パレナンという錚々たるメンバーが参加しています。これらは残されたサイン帳に彼らの名前があり確認できます。記述によると、サインはないが、エキストラとしてフルートのジャン・ピエール・ランパルも参加していたと言います。

 

 そして、いよいよ戦況が悪化した時点でスイスで兄の文麿からの特命をもらい、アメリカとの和平工作を任され自らベルリンからゲヴァントハウス近郊へ移動しアメリカ軍に投降します。外交官という地位での活動を試みるのですが、時は1945年の7月です。うまくは運びません。こういう秘話はここでしか語られていませんからどこまでが真実か歴史の検証を待つ必要がありますが、彼の交渉は終戦までには間に合いませんでした。


 秀麿が日本に帰国した時、兄の文麿はA級戦犯として裁判の対象となったその日、面会した時「お前は音楽の道に進んでよかったなあ」とこぼし、その夜に文麿は服毒自殺したのでした。
 

 まあ、ここまでがこの本のドキュメントと指摘されていることです。これ以上のことはウィキの記事をご覧になった方がいいでしょう。先の「フィルハーモニー雑記」とこの本を読めば近衛秀麿という人物が如何にスケールの大きな指揮者であったかが分かります。戦後の活躍はほとんどそれらの事実を語らなかったこともあり、矮小化されていたのが残念です。

 

 

 彼は音楽を独自に学んでいます。子供の子はベートーヴェンの交響曲を全て写譜して自分のものにしていました。もちろん指揮も独学です。作曲も少なからずしていますが、むしろ編曲の方が多いです。下の「越天楽」も雅楽の編曲作品です。

 

 

 この本に関連するテーマでの対談です。

 

 NHK交響楽団の生みの親とも言える近衛秀麿ですが、戦後の録音はそれほど多くありません。

 

 

 そして、読売日本交響楽団を指揮した「運命」です。