フィルハーモニー雑記
その1
著者:近衛秀麿
出版社:音楽之友社 音楽文庫
音楽之友社が1954年に発行した音楽文庫理一冊です。その昔、名古屋の納屋橋にあるヤマハがそれこそレコードを扱っていて、輸入盤セールを実施していたころ中2階の一角で古書セールを実施したことがありました。その時に購入した書籍でした。帯もあり、本はこの当時はパラフィン紙でカバーされていました。定価が120円でそのままの値段で購入したと思います。いろいろなタイトルが売られていたのですが、タイトルだけ見て面白そうだなということでこの一冊を買い求めました。多分5−六冊並んでいたという記憶です。長らく本棚に眠っていて、先般入院した時にこの本を引っ張り出して病室に持って行ったのですが、どうしたことか退院した時には、紛失していました。すぐに病院に問い合わせたのですがついに出てきませんでした。ネットで検索すると、この本1冊13,000円ほどします。
入院した時に少しはスマホに興味深い箇所・をメモしていたのですが、ほんとにメモ程度でキーワードとページ数ぐらいしか記録してありませんでした。どこかの図書館に架蔵されていないかと探したのですがどこにも無くあきらめていました。最近、コンサートの打ち合わせでブログつながりのyositakaさんとその話になり探している旨を話したら早速、国立国会図書館にあることがわかりました。そんなことで、早速利用登録し、データを閲覧しています。この本は単行本と文庫本があるのですが、内容は少し違いがあります。まぁ、小生は文庫本で読んでいましたのでそちらを利用しました。その内容が以下のようになっています。
- 目次
- フィルハーモニー雑記/p7
- シューベルトの百年祭(一九二八)/p8
- マーラーとブルックナー(一九二八)/p12
- 素人と玄人(一九二九)/p16
- ビューローの年(一九三〇)/p20
- 音楽の聴き方に就て(一九三六)/p29
- 楽のパルナス――ベートーヴェン(一九三四)/p34
- シュトラウス翁と新作「祝典音楽」(一九四〇)/p37
- 「未完成交響曲」(一九四六)/p44
- 思い起すことなど(一九四六)/p45
- タンホイザーの演出にあたりて(一九四七)/p47
- 歌劇運動十五年(一九四八)/p49
- 音楽オリンピックのこと其他(一九五〇)/p51
- 指揮者随感/p53
- 指揮者の横顔/p59
- カール・ムックI(一九二三)/p60
- カール・ムックII――会見記(一九三三)/p64
- ウィルヘルム・フルトヴェングラー(一九三一)/p75
- エーリヒ・クライバー(一九三二)/p82
- トカスニーニとワインガルトナー(一九三七)/p89
- スレコフスキーの印象(一九三六)/p93
- 音楽縦横談/p115
- シベリウスとラジオ――附フィンランドの思い出話/p116
- 音楽縦続談(一九四七)/p132
- ベートーヴェン交響曲の楽譜のこと(一九四七)/p149
- レコード音楽雑誌(一九四八)/p164
- 音楽茶話/p169
- ニキッシュの記念帳より/p170
- リストの弟子達を中心として(一九二九)/p182
- ホルン――近代音楽―― スクリアビン(一九二八)/p186
- 暗記で指揮をすること(一九二七)/p189
- 旅の塵/p193
- モスコー日記抄(一九三〇―一九三一)/p194
- 滞欧日記抄(一九三三)/p199
- 旅の塵(一九三七)/p206
- 車中三題(一九四六)/p221
- 新聞時評/p235
- 東京の不幸/p246
- 思いやりと忠言/p247
興味深いタイトルがぞろぞろと並んでいますが、この時代の本はすべて旧仮名遣いで読みにくいわ読みにくいわで遅々として読書ははかどりません。しかし、内容は興味深いものばかりです。
中でも一番興味を引いたのが「スレコフスキーの印象」でしょうか。当時は毎週日曜日、ストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団の全米放送が行われていたこともあり、大統領のルーズベルト、自動車のフォードと共にストコフスキーの名前は音楽界の代名詞となっていました。このストコフスキーにアポをとり、近衛秀麿は1936年にアメリカに渡っています。この1936年は2.26事件があった年です。8月には第11回オリンピックが開催(ベルリン,49か国参加,~8.16)され、ナチス=ドイツの威容を誇示した大会で、日本選手179人参加しました。三段跳で田島直人,マラソンで孫基禎,水泳で葉室鉄夫らが金メダルをとっています。また、河西三省アナの「前畑ガンバレ」の実況は有名ですな。
さて、フィラデルフィアのホテルの部屋はストコフスキーが予約してくれていて、なおかつ彼の部屋へ自ら訪問してきています。もともとフィラデルフィアはドイツ人の開いた街で、オーストリア生まれのストコフスキーがこの地に落ち着いたのもそんなところに理由がありそうです。で、このホテルの目の前がストコフスキーの住居だったようで、リッテンハウス・スクェアーの近くに住んでいました。近衛氏の英語が怪しいのでストコフスキーはドイツ語でやりとりをしています。そんなことで、ホテルで食事後はストコフスキーの自宅へ招かれています。ストコフスキーは禅にも虚ぅみがあったようで鈴木大拙の本の「達磨」について質問をぶつけてきたと書かれています。そして、深夜には映画館に出かけて英国映画の歴史物の長編を見せられ、明け方に9時からリハーサルがあるから待っていると言って別れます。いゃあもうタフです。この時ストコフスキーは54歳です。
ストコフスキー
でわずかの仮眠の後、いそいそとストコフスキー邸へ出かけるのですが、そこで手紙の束を受け取ります。ストコフスキーが北米のオーケストラに手紙を書いた返事で、キンドラーのワシントン・ナショナルフィル、クーセヴィツキーのボストン響の承諾の返事脱たのです。他にも、ロスフィル、シアトル、カナダのトロント、メキシコなどの返信も混ざっていたそうです。翌年は全米ツァーが実現しそうな流れですが、世界情勢はそれを可能にはしていませんでしたねぇ。
コーヒーを飲んだ後はタクシーで「アカデミー・オブ・ミュージック」へ向かいます。この時のリハーサル曲は最初がストコフスキーの編曲した「ボリス・ゴドノフ」の抜粋が演奏され、わずかの音程のずれを指摘して5-6回繰り返させていたのには驚いたことが書かれています。続いて、チャスコフスキーの「ロメオとジュリエット」をさらって一旦休憩です。当時のフィラデルフィアのコンサートマスターはヒルスベルクです。この絵師とは旧知であったようです。このリハーサルでは後半はラフマニノフの交響曲第2番が演奏されます。それはこの曲の初演となるものでした。その時近衛氏は暗弓の中に一人の老人を見つけます。そう、この人物こそまさにラフマニノフその人だつたのです。しかし、その総譜を見るとあちこち間違いが散見されます。写譜間違いでチェロの本位記号が落ちていたり、バスクラリネットの店長の書き損じを見つけます。それ以外にも8分音符の間違いやホルンの音程ミスなんかを指摘するとラフマニノフは不機嫌になり、横の弟子に癇癪を起こしていた様が描かれています。
近衛秀麿
さて、この本の中では近衛氏はラフマニノフの濃さ作品を交響曲第2番と記していますが、調べるとどうも交響曲第3番のようです。第3番は確かに1936年11月6日にストコフスキーが初演しています。近衛氏がストコフスキーにあったのは1936年10月ですからそのリハーサルならどう考えても交響曲第3番でしょう。なぉ、この曲に関してはこの本には、
{{ラフマニノフの新作は旧式な楽器編成法による、極めて空爆とした内容をもった一曲にすぎない。恐らくアメリカの聴衆も、これを傑作とは受け入れないだろう。しかもそれがストコフスキーの指揮下では、少なくともその第1楽章は東洋人としての僕に、ある種の内政的な美しさのあることを感じさせた。}}
このストコフスキーのエッセイだけでも歴史の生き証人のとしてのドキュメントが伝わってくるのではないでしょうか。下はストコフスキーではありませんが、ラフマニノフがフィラデルフィア管弦楽団と録音した交響曲第3番です。
つづきます。