ごまかさないクラシック音楽
著者:岡田暁生、片山杜秀
出版:新潮社 新潮選書
バッハ以前はなぜ「クラシック」ではないのか? ハイドンが学んだ「イギリス趣味」とは何か? モーツァルトが20世紀を先取りできた理由とは? ベートーヴェンは「株式会社の創業社長」? ショパンの「3分間」もワーグナーの「3時間」も根は同じ? 古楽から現代音楽まで、「名曲の魔力」を学び直せる最強の入門書。---データベース---
共にサントリー学芸賞や吉田秀和賞を受賞している二人が書き下ろしならぬ語り下ろしで対談した書籍です。クラシック音楽の歴史を、その当時の社会情勢・思想や、それぞれの作曲家がどんな暮らしをしていたかを振り返りながら語り合っています。そして、「ごまかさない」とあるように、クラシック音楽の強い思想性や、当時の人々への影響についても本音で語りあっています。
それぞれの音楽の特徴を巧みに言語化しながら結びつけていますので、とても面白く読めました。
逆に言えば、音楽という切り口から、西洋近現代史の雰囲気をリアルに実感できる本でもありました。まあ、片山氏には「ベートーヴェンを聞けば世界史がわかる」てな著作もありますからこういう切り口はブームなのかもしれません。新書レベルの平易な文章で読みやすいので音楽と世界史に興味のある人なら、読んで損なしです。
端的に要約すると、バッハは戦闘的なキリスト教伝道者。ベートーヴェンは西側民主主義のインフルエンサー。ロマン派は資本主義のイデオロギー装置。そして、ワーグナーはアンチ・グローバリスト。ショスタコーヴィチは軍事オタクということになります。
この本の章立てです。
目次
序章 バッハ以前の一千年はかどこに行ったのか 「クラシック音楽とは何なのか」;冷めた目で音楽史を眺める;世界市民化プロジェクト;クラシックと帝国主義;「バッハ以前」のほうがいい?;環境化する音楽;「ECM」レーベルが象徴するもの
第1章 バッハは「音楽の父」か(「神に奉納される音楽」;「表現する音楽」の始まり;音楽の自由と検閲;なぜバッハは「音楽の父」になった?;バッハと靖國神社?;バッハと占星術?;バッハとプロテスタント;“マタイ受難曲”の異様さ;恐るべし、音楽布教;バッハの本質は「コンポジション」;バッハは「おもしろい」vsショパンは「好き」;グールドと“ゴルトベルク変奏曲”;グールドとランダム再生;ポスト・モダンを先取りしていたバッハ?;『惑星ソラリス』におけるバッハ;バッハが辿り着いた「超近代」)
第2章 ウィーン古典派と音楽の近代 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(ハイドン;モーツァルト;ベートーヴェン)
第3章 ロマン派というブラックホール(ロマン派とは何か;ロマン派と「近代」;ワーグナーのどこがすごいのか)
第4章 クラシック音楽の終焉?(第二次世界大戦までのクラシック音楽;第二次世界大戦後のクラシック音楽)
レコード芸術の毎年の新年号は「レコードイヤーブック」が付録としてついていました。前年に発売されたクラシックのCDやレコード、ビデオなどが分類別に紹介されていました。交響曲、管弦楽曲、協奏曲・・・などと別れていて、バッハの作品はこの並びの中で紹介されていましたが、バッハ以前の作品はヴィヴァルディの「四季」辺りはこの範疇に含まれましたが、それ以外の作品は音楽史として括られ、別セクションになっていました。つまりはバッハ以前と以後という明確なくくりが存在したわけです。序章ではそのことが話題の中心になっています。
そして、バッハの章では「音楽の父」といわれるバッハの本質が「コンポジション(構成)」ととらえています。そして、時代は明治維新になり、西洋思想とともにどっとバッハの音楽が日本に入ってきます。著者の二人もカトリック教徒のようですが、山田耕作がキリスト教伝道師の息子であり、信時潔も牧師の子供、「犬のおまわりさん」「さっちゃん」を書いた大中寅二も教会のオルガニストということで教会音楽、バッハが完成させた対位法やフーガの技法はどこから引き始めようと音楽として纏まっているんですなぁ。これはすごいことです。「音楽の捧げ物」や「フーガの技法」なんてどこからでもはじめることができます。ベートーヴェンでこれをやったら空中分解しますからねぇ。孤独でも成り立つバッハの音楽、相手がいないと成り立たないベートーヴェンの音楽という論調です。
対談形式なので、互いに触発されたり掛け合い風だったり。話があっちに行ったりまた戻ってみたりと自由に進んでいきます。そんな中にいろんな蘊蓄が詰め込まれています。多分ええっ、そうだったの!!的な新しい発見もあるのではないでしょうか。いろいろな人名や世界史の出来事もどんどん出てきますが、そこはちゃんと脚注でフォローしてくれていますからわからないことはないでしょう。ただ、高校程度の世界史の基本的な知識は必要かもしれません。そんなことで、クラシック音楽の表と裏を知るだけでなく、時代の読み方という角度からのテーマに切り込んでいきます。貴重な内容にあります。クラシック好きはもとより、あまり聞かないという人にもこのような西洋史はぜひ知っておきたいですね。
エピソードも散りばめられていて、ただのレコード、CD解説では出てこないへぇ!が満載です。グールドの話とか、面白かったですし、クラシックといえばなんだかんだでロマン派が人気ありますが、いろんな側面を持つロマン派の解説も面白いです。お二方の知識量がすごいので、なんかもうワーグナーの底知れぬ凄さを知らしめられると、ワーグナーはこれでお腹いっぱいな感がしてしまいます。
ロマンはなんか100年の歴史の中で前期、中期、後期ではまるで表情が違い、その中でも、ベルリオーズはやはり、その時代背景がわからないとなぜ彼の作品に大規模なものが多いのか、そして、いろいろな作曲家が書き残している軍隊行進曲風のメロディは西欧とオスマントルコとの対立軸とフランス革命という時代の波の中で市民層の台頭という時代の変化が音楽にも色濃く影響が表れています。この軍隊の音楽が
1948年の「諸国民の春」革命の際に貼り防衛隊部で結成されたファンファーレ隊がルーツの世界最高の軍楽隊、ギャルド・レプュブリケーヌ吹奏楽団に消化していきます。
作曲家はそういう時代に呼吸をしながらクラシック音楽を冷戦下の西側グローバリゼーションによる世界市民化の一環だと言うセリフに、特に岡田氏のホンネがよく現われています。この本はクラシックの終焉までも取り上げていますが、近現代においてクラシックは12音技法とか無調のコンクリート音楽などで武装してその一部のみが形式として一般民衆との間に溝を生んでいきます。ここから派生してジャズやポップス、ロックなどへ波及していきますが、むしろ徴収はそういう音楽に価値観を見出していきます。やがてはこれらの音楽もクラシックという大きな枠組みの中に吸収されるのでしょう。
対談の最後の、岡田氏のそれこそ最後の言葉が、おそらくクラシックのことを言い表しているのと同時に、この本のテーマということになっているでしょう。
『「クラシックを聴く」とは「近代世界の欺瞞と矛盾を理解する」ことにほかならないのかもしれない』そう、クラシック音楽の世界は実に奥深いです。