ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる
著者 片山 杜秀
出版 文藝春秋 文春新書

19世紀に質量ともにピークに達したクラシック音楽は、大都市の市民階級という新しい消費者に向けられた最新の文化商品でもあった。誰が注文し、いかにして作られ、どのように演奏され、どこで消費されたか。クラシック音楽を知れば世界史がわかる! といっても過言ではない。最高の音楽とともに、歴史の流れを明快に解き明かす画期的音楽史。
大学時代は史学科に籍を置いていましたから、歴史は好きです。歴史は現在まで綿々と続いているのですから、歴史を学べば今がわかるはずです。そして、この本はその歴史を音楽史の面から世の中の流れと結びつけて解説しているわけです。
なぜモーツァルトは就活で苦しんだ? ベートーヴェンが「市民」をつくった? ワーグナー「勝利の方程式」とは?ベートーヴェン「第九」が起こした革命とは?グローバリズムに牙をむいた怪物ワーグナー、自作の讃美歌で宗教改革を広めたルター、「音楽の父」バッハは時代から浮いていた、就職活動で苦しんだモーツァルト、ロンドン市民の居眠りをやめさせたハイドンの秘策、シェーンベルクは妻の不倫に悩んで、メロディを破壊した!?など、様々な視点で第作曲家の置かれた立場を歴史的側面から分析しています。まあ、専門の学術書ではありませんから気楽に読めて、大作曲家たちの意外な素顔から解き明かされる斜め読みの世界史といえるでしょう。
個人的には、毎週土曜日に放送されているNHK-FMの「片山杜秀のクラシック迷宮」を毎回聞いていますから、その課外授業的な気持ちで読んでみました。この本の章立てです。
【目次】
序章 クラシックを知れば世界史がわかる
第一章 グレゴリオ聖歌と「神の秩序」
第二章 宗教改革が音楽を変えた
第三章 大都市と巨匠たち
第四章 ベートーヴェンの時代
第五章 ロマン派と新時代の市民
第六章 “怪物”ワーグナーとナショナリズム
第七章 二十世紀音楽と壊れた世界
おわりに
こんな形で組み立てられています。歴史という学問は教科書的には政治の流れを追っているものですが、そこには付随的に芸術なり音楽が絡んでいることがわかります。多分音楽史と西洋史を結びつけるとより時代の変化が明瞭に見えてくるのではないでしょうか。ベートーベンが「市民」をつくった?ということでは交響曲第3番はナポレオンに捧げられるはずだったのに彼が皇帝になったことで、検定は取りやめになり、ただの英雄の思い出のためにとされたことは有名ですが、ということはベートーヴェンはナポレオンと同時代の音楽家であるということがわかりますし、モーツァルトがマリー・アントワネットをお嫁さんにしてあげると言ったとなればモーツァルトはそれよりちょいと先の塁16世の時代の人物であることがわかります。
「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、これは流行歌だけに限った話ではありません。一般大衆から遊離したハイカルチャーに思えるクラシック音楽も、実は社会、経済と深いつながりがあるのです。
19世紀に質量ともにピークを迎えたクラシック音楽は、大都市の市民階級という新しい消費者に向けられた最新の文化商品でもあったのです。
今ではほとんど演奏される機会がないベートーヴェンの最大のヒット曲は第9ではなく、それよりも少し先に書かれた「戦争交響曲(ウェリントンの勝利)」という作品でした。1813年6月21日、スペイン・ビトリアにおいてウェリントン公アーサー・ウェルズリー率いるイギリス軍がフランス軍に勝利したことを受けて、ベートーヴェンがウェリントン公を讃える曲として作曲した大規模な編成の、演奏時間が約15分の管弦楽曲です。これはベートーヴェンは、メトロノームの発明者メルツェルに頼まれて作曲し、その年の12月8日に初演されています。ベートーヴェンにしては速書きの作品ですが、これが大ヒットしたんですねぇ。モーツァルトの時代には王妃雨貴族の委嘱での作曲というのは報酬を得る手段だったわけですが、ベートーヴェンは庶民階級からの要求で作曲し、報酬を得ているというのにも時代の違いがわかろうというものです。
つまり、この本は誰が注文し、いかにして作られ、どのように演奏され、どこで消費されたか。そういう作曲の形態の変化が世界史の中で変遷しているということを解説しています。ただ、どうしても視点は音楽にあるということから、歴史との絡みをもう少しうまく説明できていたのなら、歴史の副読本としてかなり利用価値があるのではと思えてしまいます。
この本には出典など詳しい表記はありませんが、岡田暁生氏の『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』と流れはよく似ています。