第 九
ベートーヴェン最大の交響曲の神話
著者/中川右介
出版/幻冬舎 幻冬舎新書
この曲が世界史を変えた!!
祝祭で、追悼式で、ヒトラー誕生祝賀で……。人類の遺産となった名曲200年史。
クラシック音楽において「第九」といえば、ブルックナーでもマーラーでもなく〝ベートーヴェン”の交響曲第九番のこと。日本の年末の風物詩であるこの曲は、欧米では神聖視され、ヒトラーの誕生祝賀、ベルリンの壁崩壊記念など、歴史的意義の深い日に演奏されてきた。また昨今は、メータ指揮のN響で東日本大震災の犠牲者追悼の演奏がなされた。ある時は祝祭、ある時は鎮魂――そんな曲は他にない。演奏時間は約70分と長く、混声合唱付きで、初演当時は人気のなかったこの異質で巨大な作品が「人類の遺産」となった謎を追う。---データベース---
この本は,「第九」すなわち「ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調,合唱つき」に関する歴史をまとめたもので,通常の音楽書のような曲自体の構成や内容に関する解説は全くありません。まあ、こういう取り組みは最近読んだ本では、「世界史で深まるクラシックの名曲」が作曲家がその時代にどのように関わっていたかを論じていましたが、ここでは、一つの曲がその誕生以降歴史とどういう関わり方をしてきたかを論じています。
話は有名ですが、作曲者の死後この曲がどのような局面で演奏され続けてきたのか、この作品が辿った歴史が論じられていて興味はつきません。この本の章立てです。
目次
第1章 「第九」の誕生―ベートーヴェンと美人歌手
第2章 継承―若きロマン派たちと「第九」
第3章 「第九」指揮者の系譜―ワーグナーからビューロー、マーラーへ
第4章 拡散と変質―大陸と階級を超えていく「第九」
第5章 翻弄―ヒトラーと「第九」
第6章 昇華―過去との決着
掴みの第1章からして、ちょっと興味をそそられます。実は第九の初演で独唱を歌った女性歌手は一人が18歳、もう一人が21歳という若さでした。ソプラノがヘンリエッテ・ゾンタークで18歳、アルトがカロリーネ・ウンガーで21歳でした。そして、第九の初演で、耳が聞こえないのに指揮をしたベートーヴェンが大喝采に気付かなかったのを無理向かせたのはこのウンガーだったのです。そして、テノールのアントン・ハイツィンガーも28歳、もう一人のバスのヨーゼフ・ザイペルトは不詳です。まあ、総じて若者が初演に関わったということで、昨今のように妙齢の女性が歌うことはなかったわけです。
ヘンリエッテ・ゾンターク
カロリーネ・ウンガー
この初演も結果的には大成功だったわけですが、初演に至るまでの紆余曲折は大変なことがあったようでそういう経緯についてもこの本には詳しく書かれています。
第2章以降は「第九」がいかにして当時の時代に演奏されていったかが、タイムライン的に記載されています。ベートーヴェンの時代はナポレオンの時代でもあり、フランスは大革命を経験していくわけですが、その中でパリの音楽院のオーケストラはベートーヴェンの交響曲の全曲演奏を1928年から5年かけて成し遂げています。当時の指揮者はフランソワ=アントワープ・アヴネックという人物で、彼の指揮する演奏でベルリオーズなどは感銘を受け、とりわけ第6番の「田園」を聞いて代表作の「幻想交響曲」を書いたほどです。
さて、この本では第九の演奏史としてメンデルスゾーン、リヒャルト・ワーグナー、ハンス・フォン・ビューローと続くのですが、歴史の記録の中にはリストが編曲した2台のピアノ版の第九をクララ・シューマンとブラームスが演奏したことがあるようです。ブラームスの誕生日の1855年5月7日で、きしくもこの日は第九の初演日でもあります。
この本では第九の日本初演についての記載もあります。それによると日本初演は徳島県の鳴門市にあった「板東俘虜収容所」で1918年6月1日ということです。当時は日本には第1次世界大戦によるドイツ兵の捕虜が多数いたのですな。小生も2017年に「大塚国際美術館」を訪問した時に、この鳴門市のドイツ館による計画を立てていたのですが、当日は台風の直撃を受けていて、とても行ける状態ではなかったのが残念でなりません。この日本初演については大正13年の上野での演奏としたい人がいるようでこのあたりについてはwikiの記事の方が詳しいようです。
ま、この本も端折るところはあるようで、外国のオーケストラによる日本初演は1961年のコンビチュニー/ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団なのですが、合唱は日本人だったので、全員外国人による演奏は、カール・ベーム指揮のベルリン・ドイツ・オペラにより1963年(昭和38年)11月7日、日生劇場にて行われたもののようです。意外と近しい過去ですな。
第5、第6章は現在に結びつく第九の演奏史になっています。興味のある人には面白いかもしれませんが、第九が政治や経済に利用された側面が浮き彫りにされます。そういう意味ではこの本は、「ひ」というよりは、「第九 ベートーヴェン最大の交響曲の変遷」とした方がより相応しいものだったような気がします。少なくとも、神話ではありません。