小椋佳 生前葬コンサート
著者 小椋佳
出版 朝日新聞出版
歌手・小椋佳が70歳を迎えて書き下ろす人生の総まとめ。 自作の「シクラメンのかほり」など100曲を選び、その曲が生まれた経緯や意外な事実のすべてが明かされる。来秋(2014/09)
4日間にわたる大々的な「生前葬コンサート」でその100曲を歌う。そのテキストでもある。---データベース---
この本は2014年に開催した4日間のコンサートで披露した100曲を1曲ずつ解説した、言ってみればプログラムノートのような内容です。小椋氏の場合はそのほとんどの曲が自作自演ですから、この本に登場する歌詞は通常の本なら記載のあるⒸの引用記号はありません。それもあり、100曲の歌詞が引用され、それについての本人だけが知る思いが裏話的に綴られています。
個人的には「小椋佳大全集」なる10枚組のボックスセットを所有しています。これは1987年に発売されもので、今となっては全然大全集ではありませんがね。この本に登場する100曲、当然半分以上は知らない曲です。そして、本の最後には日本の童話を題材にした小説、『お伽噺「家具屋の浦島モモタロウ」』が掲載されています。かぐや姫、浦島太郎、桃太郎の登場するこのパロディめっちや面白いです。
目次
はじめに
第一日第一部
しおさいの詩
秋の一日
流行電車
よじれた魂
思い込み
飛べない蝙蝠
愛しき日々
身辺抄
電話ボックス
ギャラクシーパーフェクション〔ほか〕
第一夜のトップは「しおさいの詩」です。裏話で、この曲は海で生まれたのではなく山中湖畔で生まれたというのは驚愕でした。また、第二日の第二部の最初は「シクラメンのかほり」なんですが、この曲のエピソードはよく知られたものです。作者の奥さんは幼ななじみで、名前は「佳保里」さん。そのかほりさんを歌ったのかこの詩でした。またペンネームの佳は、その「かほり」さんの一字をとったのでした。そして、この曲は北原白秋の詩集からとった言葉がちりばめられていて、さらに冒頭はエルビス・プレスリーの「Mary in the Morning」の中のフレーズを使っているということでできのいい曲ではなく、本来はB面用の曲だったそうです。また、この曲には後日談があり、この歌のヒット後、ないはずの紫色のシクラメンが作出され、さらには本来無臭のシクラメンに香りがついてしまったというのです。架空の花が実現してしまったというのです。
作者の歌詞には格調の高さを感じるものが多いのですが、遊び心で韻をふんでいる作品も多数あります。ただ、コヒういう遊びは歌作りに膿んでいる時の心のリフレッシュを目論んだものなんだそうです。その中の一つ、「夢芝居」はイ音の遊びを織り込んでいたそうです。夢芝居、花舞台、影は見えない、素顔かわいい
などとフレーズの終わりはイ音になっています。
「旅ひととせ」は美空ひばりさんの芸能生活40周年の記念アルバムで全曲小椋佳作詞作曲です。ただし、本来はこれらの曲、三橋美智也さんからの依頼で作ったものなんだそうです。ところが等の三橋さんはもう、これらの歌を歌える音域は保持できていなかったということで企画がおじゃんになったというのです。12曲は一人の男が全国を旅して巡る詩なのですが、それをひばりさんが歌うということで落ち着いたというのです。
作者は、小学校低学年のとき、信じられないことに劣等生だったそうです。目立たず、人にほめられることが何ひとつなかったのですが、ある日、隣のクラスの女の先生から、「きみ、お歌、とっても上手ね」とほめられたのでした。この一言が、その後の人生を決定づけたきっかけになったというのです。
様々な歌のエピソードとともに、作者は二度死にかけたことを告白しています。最初は57歳のとき、胃がんの手術を受け、胃の4分の3を切り取っています。ところが、その結果、糖尿病が完治してしまったというのです。おかげで元気に長生きできているのです。人生、何が幸いするのか分かりませんな。そして、二度目は69歳の時、劇症肝炎を発症し車椅子生活を経験しています。
49歳の時に役員候補と言われながら銀行をリタイヤしています。まあ、サラリーマンとして一生を終えるより、シンガー・ソングライターとしての生活の方が良かったとはいえます。第二日目の第一部は「少しは私に愛をください」で始まります。この曲、当時勤めていた第一勧業銀行のシンボル「バラ」が登場し、この曲は日本では映画の主題歌としてヒットしたのですが、本当は恋歌ではなく、仕事場としての銀行が合併で消えていくことを皮肉った歌だということを告白しています。
さらには、「揺れるまなざし」は作者が作った初めてのCMソングだったそうです。仕事で資生堂の専任担当になって断ることができなかったという業務上の流れの中でできた作品で、きしくもそれがヒットしてしまったということでCMソングからヒット曲が生まれるという先駆けになった作品です。ちなみにこの2年後には堀内孝雄が「君の瞳は一万ボルト」をヒットさせています。これも資生堂のCMでした。
著者の生涯について、なんと、「挑み」と「挫折」の連鎖だったと本人が語っているのには驚きました。私と小生とちがって成功の連鎖とばかり思っていました。だって、毎年50曲もの歌をつくりつづけ、総計2000曲もつくったのですよ。そして、毎年、50回から100回ものステージ公演を全国各地で敢行しているのです。そのタフネスぶりには圧倒されますよね。そんな作者にも、「挫折」があったというのです。人生とは、こんなにも複雑怪奇なのですね・・・。
下はその生前葬コンサートの顛末を語っている記事です。
そして、こちらは最近のコンサートを巡る記事です。