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つぎはぎプラネット

 

著者/星新一

出版/新潮社 新潮文庫

 

 

 同人誌、PR誌に書かれて以来、書籍に収録されないままとなっていた知られざる名ショートショート。日本人火星へ行けば火星人…「笑兎」の雅号で作られた、奇想天外でシニカルなSF川柳・都々逸。子供のために書かれた、理系出身ならではのセンスが光る短編。入手困難な作品や書籍、文庫未収録の作品を集めた、ショートショートの神様のすべてが分かる、幻の作品集。---データベース---

 

 内容は、SF川柳・都々逸101から児童向け作品、落語など多岐にわたります。中には、SF大会の冊子に寄せられた祝辞など、ショートショートとは違った星新一作品もあります。

 星新一氏の玄人向けという印象です。一通りショートショートを読み尽くした人へのご褒美的作品です。マニア向けというのは巻末には「星新一全作品読破証」が付属していることからもわかります。目次は以下のようになっています。

 

SF川柳・都々逸 101句
知恵の実

ミラー・ボール

狐の嫁入り
タイム・マシン
太ったネズミ
見なれぬ家
文明の証拠
食後のまほう
黒幕
犯人はだれ?
未来都市
ねずみとりにかかったねこ
白い怪物
悪人たちの手ぬかり
夜のへやのなぞ
地球の文化
宇宙をかける100年後の夢
オイル博士地底を行く
あばれロボットのなぞ
被害
宝の地図
インタビュー
お正月
白い粉
夢みたい
正確な答
ゼリー時代
万一の場合
妙な生物
空想御先祖さま それはST・AR博士
オリンピック二〇六四
景気のいい香り
ある未来の生活
二〇〇〇年の優雅なお正月
ビデオコーダーがいっぱい ちょっと未来の話
味の極致
ラフラの食べ方
魔法のランプ
上品な応対
ある未来の生活 すばらしき三十年後
屋上での出来事
おとぎの電子生活
夢への歌
最後の大工事
ケラ星人
ほほえみ
ある星で
円盤
不安
太陽開発計画
魅力的な噴霧器
命名
習慣
L博士の装置
ふしぎなおくりもの
お化けの出る池

通常の作品集とは毛色が違い、最後の高井信氏による、未収録作品の発掘こぼれ話が興味深い記事になっています。

 

 星新一氏と言えば、個人的にはSFというものを知らしめてくれた人であり、自分が意識して読むようになった大人の作家だったので、今でも私の中ではある種特別な存在であります。ちようど中学、高校の学生時代に文庫本としてたくさんの作品が発売され、これがショートショートという形で書かれていたので、通学のバスの中で読むにはうってつけの作品だったということもあってまとめて読破したのを覚えています。この日本のショーししょー氏の第1人者と、アメリカのフレドリック・ブラウンというショートショートの作家が小生のお気に入りでした。このフレデリック・ブラウンはこのブログのタイトルの「geezenstac」名前の由来にもなっています。


 ただ、星新一氏は1997年に亡くなっているので今ではちょっと忘れられているのかもしれません。そんな彼のこれまで書籍に未収録だった作品を集めた「幻の作品集」となると、手に入れないわけにはいかないし、読まないわけにはいかないということで入手したものです。


 で、読んでみたけれど、ちょっと何と言っていいものか分からないところがあります。まず巻頭に収められている「SF川柳・都々逸 101句」と題されているものですが、当時のSF専門雑誌に掲載されたものですが、今となってはちょっとなんだかなぁというものも含まれています。これはSFという分野の宿命みたいなもので、文明が進んだ今では電子計算機やビデオコーダー、スイッチ式テレビ、有線電話などが登場しているのですが、陳腐化しているので違和感を覚えてしまいます。

 

 落穂拾いの作品集なので、主に1950年代後半から60年代にかけて子ども向け雑誌や企業PR誌などに載ったショート・ショートや短編が沢山集められています。子ども向けのものはSFというより、若干科学啓蒙的でもあり、謎解き風であり、一般に知られている星ショート・ショートとは趣が違うところを感じます。企業PR誌に載ったものは、ある意味あからさまに企業の製品を絶賛しているかのような内容の短編になっていて、これもなんだか星新一氏らしくない違和感を感じます。


 多分、総じてこの本に収められている作品は、星新一氏らしくありません。それを星氏自身がわかっていたから、これまで書籍化しなかったのではないのでしょう。星新一氏と言えば、日本SFの創成期を代表する作家であり、ショート・ショートを1001編作り出した作家であり、今や思春期頃に誰もが一度は目にすることのある有名な作家なのでしょう。そういう作家だからこそ、この世に出た作品をすべて陽の目が当たるようにすることにはそれなりの意味もあるのでしょうが、それは星新一研究家とでもいう人たちが目を通すことができればいいのであり、単なる読者は敢えて読む必然性はないようにも思います。何とも残念な「幻の作品集」であすが、逆にここから、今までに文庫収録されてきた作品を改めて評価する視点を得ることができるのでしょう。その意味では本書にも意味があるともいえます。 

 

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