一宮博物館常設展 | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

一宮博物館常設展

 

 特別展も良かったのですが、常設展も興味深いものがありました。

 

 

箱階段
井戸と濾過甕
おむつ干し
しんしばり
昔の生活道具---火のしや霧吹きなども展示されています。
「おかもち」や「ゆきひらなべ」、「こねばち」など
氷で冷やす冷蔵庫
洗濯板
 
長持と油単
 
 さて、ここからは一宮の古墳時代の出土品です。最初にどーんと土器棺が展示してありました。大昔は埋葬者をこの中に収めたんですなぁ。
 
 
 一宮は木曽川の縁に位置しますから肥沃な土地でした。土器類も豊富に出土します。
 
 
 下は発掘された「岩塚古墳の石棺」です。当時の発掘されたままの様子を再現しています。
 
 
人骨の様子も形どりがなされていました。
 
 
 高速道路建設の折に 、出土した西上免遺跡からは「前方後方墳」が発掘されています。
 
 

 尾張地方の豪族葉栗臣人麿の墓も出土しています。また、この地には日本武尊が伊吹山への道すがら剣城を砥いだという伝説があり、戸塚(砥塚)という地名も残っています。

 

 
 時代は下って室町後期の一宮市域の浮野地区での「浮野合戦」で織田信長の尾張統一を決定づけています。
 
 
 一宮は尾張藩に編入され128の村が代官によって支配下におかれました。
 
 
 尾張藩には北方代官所が設置され、尾張、美濃の12郡171か村を支配しました。管轄内には木曽川両岸も含み木曽川を使って降る木曽檜の筏を監視する川並奉行も兼ねていました。
 
 中央高台の上が北方代官所で全体が陣屋を構成していました。
 
 
 
 
 
 
 一宮のあった付近には近隣の村で位置が立つようになります。その中でも、「真清田神社」の門前には三と八の日に市が立ち今でも続く「三八市」が開催されています。
 
 
 
 一宮は中山道とつながる「美濃路」、「岐阜街道」、「巡見街道」、そして古代からの「鎌倉街道」が通る要衝でした。
 
 
 
実際に使われていた水車船の写真
 
 
 一宮は繊維産業で栄えますが、江戸時代にもその萌芽がありました。
 
 
 真清田神社古絵図
 
 
 そして、こちらはジオラマです。上の図の春に行われる「桃花祭」を再現しています。残念ながら左右の塔頭は現在はありません。
 
 
 そして、こちらは博物館に隣接する「妙興寺」のジオラマです。
 
 
 この妙香寺についてはこちらのブログで取り上げています