真清田神社と妙興寺


一ノ宮市の由来の「真清田神社」ですが、現在の建物は昭和32年10月竣工され同年11月1日に本殿遷座祭が斎行されています。ご用材は名古屋営林局より払い下げの木曽檜が充てられています。御本殿内陣中陣の御扉や柱桁などは、特別に伊勢の神宮から下賜された古材を使用していて、この地方の神社は結び付きが強いです。

明治11年10月25日、明治天皇が一宮を巡幸されご昼餐の際、この井戸水を御膳水として陛下に奉られたそうです。

左端は、昭和47年4月斎行の御鎮座2600年記念大祭に際し賜った御歌。翌年4月25日歌碑として建立されています。

「服部社」です。御祭神萬幡豊秋津師比賣命(よろずはた とよ あきつし ひめのみこと)を奉祀しています。一宮七夕まつりにミス七夕・ミス織物が参列し御衣奉献祭が斎行される場所です。




愛鷹社・天神社で、犬飼社を奉祀しています。昭和32年8月社務所南側から当地に遷座した。その横にあるこの「さざれ石」は、小さな石と石が長い年月を経てつながりどんどん大きくなってできるそうです。岐阜県の天然記念物にもなっており、ここのさざれ石は信者さんの寄付で鎮座されたとのことでした。

須佐之男社・秋葉社は、明治期・昭和期に市内人形町・本町4丁目からそれぞれ移転遷座したもの。愛宕社は江戸期寛文年間の棟札があります。




妙興寺は、名鉄名古屋本線妙興寺駅の南東にある臨済宗妙心寺派の修行道場になる寺院です。今は南側の敷地に「一宮市博物館」が開設されています。ここは一宮市きっての名刹であり、尾張地方でも最大の寺の一つと言っていいでしょう。京都の妙心寺の末寺になりますが、広大な境内は雑木林になっており、林の中に耕雲院、種玉院、太陽院、清寥院、来薫院の5か院があり、ひっそりと建ち並んでいます。


本殿の三座像

この本殿の天井図の蟠龍図は、西洋画家の山喜多次郎太(1897~1965)画伯によるものです。多くの寺院の法堂、仏殿、三門などに龍図あれども、西洋画家の描いた蟠龍図は、全国でここだけだそうです。また、須弥壇下部の獅子の画がなんとも言えずユーモラスです。



本殿は裏側にも回ることが出来、仁王像なども鑑賞出来ます。

ルンビニーの唐です。釈迦誕生の地の石柱を模して建てられています。

境内の放生池

開山堂の前にある梅の木、熱田神宮より寄進されたものです。





本坊の前に飾られている鬼瓦です。この鬼瓦にはシンボルの角が生えていました。


本坊の座敷です。この玄関の天井には駕篭が吊るされていました。

この本坊で御朱印が頂けます。ただし、積極的には対応していないようで、運が良かったら書いていただけるようです。


一番西に配置されている「耕雲院」です。