古くて素敵なクラシックレコードたち
著者:村上春樹
出版:文藝春秋
昨今のレコードブームを先取りしたような本です。2021年6月24日の発売です。村上春樹氏がクラシックにも造詣が深いことは小澤征爾氏との対談本を出していることでも窺い知れますし、彼の作品のいたるところにクラシックの名曲が顔を出します。そういえば少し前の作品になりますが、「1Q84」ではヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が登場して話題になり、小澤征爾/シカゴ交響楽団の演奏がベストセラーになったことがありますなぁ。でも、この本にはヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は含まれていません。
この本には全100章で 486枚のレコードが紹介されています。そのトップはストラヴィンスキーの「ペトルーシカ」で、5枚のLP レコードジャケットがフルカラーで紹介され、次にそのレコードに対する村上氏のコメントが続くという形で紹介されていきます。ただし、音楽評論家による専門的な解説ではなく、そのレコードを選んだ演奏家の背景や印象を見開き2ページでエッセイ形式で紹介しています。
登場するレコードはタイトル通り、「古くて素敵なクラシックレコード」たちです。ということはスタンダートなクラシック愛好家や若い村上春樹の読者には多分ピンとこないでしょう。レコード時代の演奏ですから上限は1980年ごろまで、SPレコードからの復刻も含む1920年台頃までの録音のオンパレードです。
また、内容も少し偏っていて、まえがきにもありますが、かなり村上さんの好みが強く出た選曲で、演奏家とも好みが強く出ています。例えば、ヴェートーベンでいえば、Syn.3、7、9,ブラームスではSyn.1、4、またブルックナー、そしてオペラの類は、1曲も収録されていません。しかも、フルトヴェングラーやカリスマのカルロス・クライバーのいわゆる名盤は一枚も登場しません。
一般のクラシックファンは戸惑いますわな。ただ、小生のような元々のレコードコレクターは友人たちを差し置いて、未知の“名盤”を探し出すことに生き甲斐を感じるもののようです。つまりコレクター同士で“情報”はもちろんのこと、それ以上に“趣味の良さ”を競い合うものなのです。小生なんかは、この村上氏の文章からは、そうした“コレクター気質”が感じられます。この本を読んでいると、村上さんというヴェテランのコレクターの知人ができて、「こんな面白いレコードがあるんだよ」「こんなにいいい演奏があるんだよ」と親しく教えてもらっているような気分になります。
小生にとってはそんな気分にさせてくれる本です。これは、取り上げているレコードのほとんどが輸入盤というところや、かなり、レアな音源をピックアップしています。これも小生のコレクションと傾向が同じです。たとえば、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」などは、
パウル・クレツキ/フランス国立放送O---日コンサートホール
カール・ベーム/ウィーンフィル---DGG
エーリッヒ・クライバー/コンセルトヘボウO---デッカ
ブルーノ・ワルター/コロムビアO---日コロムビア
の4枚が取り上げられています。すべて小生のコレクションと一致します。特にクレツキがチョイスされているあたり、思わずニンマリはました。ただ村上氏はモノラルの録音を取り上げているようですが、掲載されているジャケットはステレオ盤でちょっと矛盾しますけどね。小生はクレツキの田園はものもステレオも所有しています。
この本、最後に4人のアーティストがとりあげらていて、その名盤を紹介しています。
トマス・ビーチャム
ジョン・オグドン
イーゴリ・マルケヴィッチ
小澤征爾
が、その人ですが、日本人ということもあるのでしょうが、この本でも小沢のレコードはかなり取り上げられています。また、一時期イギリスで生活していたことも影響して、イギリスの演奏家のレコードも意識して取り上げられています。マルケヴィッチはマルケヴィッチも今はマルケヴィチという表記が一般的ですが、マルケヴィッチとして取り上げているところはレコード時代の人だなぁとつくづく感じ入ってしまいます。また、ピアニストとしては唯一、ジョン・オグドンが取り上げられているのにもニンマリです。1962年のチャイコフスキーコンクールで、アシュケナージと1位を分け合った実力者です。小生も注目していて、レコードはアシュケナージよりも先に購入しています。目の付け所が近しいものを感じます。
そんなことで、クラシックをちょっと斜めからコレクションしている人には絶好の読み物でしょう。しかし、フルトヴェングラーやカラヤンの信奉者からはブーイングの嵐でしょうなぁ。