巨匠たちの録音現場
カラヤン、グールドとレコード・プロデューサー
著者:井阪 紘
出版:白水社
レコード制作の裏も表も知りつくしたプロデューサーが語る、カラヤン、チェリビダッケ、グールド論。レコーディングと独特の付き合い方をして一時代を画したアーティストたちに焦点をあて、彼らのレコード哲学がどのように醸成されていったのか、その間のレコード・プロデューサーとの創造的な協働作業と、愛憎と利害の激しい葛藤を描く。---データベース---
井阪氏の著書は過去に2回取り上げています。
井阪氏は以前は日本ビクターに14年間在籍してプロデューサー業を中心に活動していました。そんな氏ですから、世界的なプロデューサーであるウォルター・レッグとかジョン・カルショウとかとの付き合いも当然あり、そういう個人的な付き合いの話が本の中にもぽんぽん出て来ます。
この本では実際に井阪氏が録音に携わってはいないけれど、レコード芸術史に大きな足跡を残したカラヤンとチェリビダッケ、そしてコンサートを放棄したグレン・グールドにスポットを当てて彼らが作り出す音楽にどういうアプローチをしていたかをプロデユーサーという視点で書き上げた書になっています。
目次 :
1.カラヤン 帝王を支えたプロデューサーたち
2.チェリビダッケ 巨匠が録音を拒んだ本当の理由
3.グールド スタジオにこもった天才ピアニスト
4.あるプロデューサーの軌跡 カルショウ
第1章のカラヤンにはページの半分以上が割かれています。プロデューサー達と複数形で書かれている最初にはEMIのワルター・レッグが登場します。第2次大戦後干されてコンサート活動ができないカラヤンに手を差し伸べたのがこのレッグです。人前では演奏できないことを逆手にとって、せっせとカラヤンに録音させます。しかし、ウィーンフィルはデッカと専属契約を結び、ベルリンフィルはグラモフォンの専属となります。そんなことで自前でフィルハーモニア管を組織して、盛んにフィルハーモニアと録音させます。この時期、フルトヴェングラーもフィルハーモニアと録音しています。
しかし、カラヤンがベルリンフィルの終身監督になるとレッグはEMIを去り、さらにカラヤンを失います。で、録音の主体はグラモフォンのオットー・ゲルデスに移ります。彼は指揮者でもあり、カラヤンの音楽を理解し、レパートリーを充実させていきます。カラヤンのレコードはベートーヴェンの交響曲全集を始め世界中で売れまくります。まさに50年代末期から60年代はカラヤンの黄金時代と言っていいでしょう。ステレオ時代が功を奏したのでしょうなぁ。カラヤンは映像がビジネスになることを考え、70年代になると4チャンネル録音で2回目のベートーヴェンの交響曲全集を録音します。70年代はDGGはハンス・ヒルシュがゲルデスに替わり、EMIにはミシェル・グロッツがプロデューサーとしてカラヤンの録音にあたります。このグロッツは自らも音楽事務所を経営しており、カラヤンの録音には次第にこのグロッツに所属するアーティストが使われていきます。なんと、16歳でカラヤンと共演したムターも彼の事務所のアーティストでした。
こんなことでグロッツの存在が増していき、80年代になるとなぜかDGGの録音にも関わっていきます。カラヤンがこういうお膳立てをしたのですな。最後の方の録音など、帝王のお気に召すままで、ほとんどプロデューサーの意見など聞くことなく録音を進めて言ったさまがうかがえます。第3章のグレン・グールドもそうですが、プロデューサーはいるのですが、グールドが自分で編集までしてしまいますからプロデューサーは飾りでしかなかったようです。
第2章に登場するチェリビダッケはちょっと意外な気もするのですが、井阪氏によるとその音楽づくりには驚嘆するものがあったということです。タラネバですがもし、チェリビダッケが信用できるプロデューサーの元で正規のセッション録音を残したら、それらはカラヤンやバーンスタインなど足元のも及ばない至高の名盤が残されたであろうと語っています。如何せん残されているのは放送用の音源だけで、十全なマイクセッティングや空間が確保されていないのが残念だといいます。
さて、最後にデッカのプロデューサーだったカールショウに一章咲いています。彼のデッカに残した名演の数々は映像を伴わない純粋な音楽芸術の極みだと位置付けています。映像があればその映像に音楽は固定されてしまいますが、音によるイメージは無限に利き手の世界を膨らませることができます。デッカのオペラで実践したソニックステージの技法はプロデューサーにとっての理想形なんでしょうなぁ。