音楽の生まれるとき | geezenstacの森

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音楽の生まれるとき
作曲と演奏の現場

著者 井阪 紘、西村 朗
発行 春秋社

 

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作曲家の創造が楽譜になり、演奏家が楽譜から音を紡ぎだす。
しかしそれだけでは音楽は聴き手に届かない。

 

音楽が音楽になる瞬間を聴き手に届ける「場」をつくるのが、音楽プロデューサーである。

 

CD制作、コンサート、音楽祭、現代音楽の創造……
そのすべての局面で、黒子役となるプロデューサーが介在している。

 

作曲家と演奏家とプロデューサー、三者三様の音楽への愛と情熱、技術がぶつかりあい、人々の記憶に残る音楽が生まれる――そのありようを語り尽くした稀有の書。--データベース---


 

 前作の「一枚のディスクに―レコード・プロデューサーの仕事
」が面白かったので、続けて読んでしまいました。こちらは作曲家の西村朗との対談の形式になっています。最初はブルックナーの話題で、どうもアイヒホルンのブルックナーの交響曲全集の宣伝の臭いがぷんぷんとするので、ちょいと斜に構えてしまいましたが、読んでみるとその誠実な制作の裏話が分って興味深いです。この部分で特に興味があるのは、アイヒホルンと一緒にブルックナーの遺体と対面する話が出てくるところです。そう、ブルックナーの遺体は火葬されること無く、リンツにあるサンクト・フローリアン教会の地下に埋葬されているのです。勿論ミイラの状態になっているらしいのですが、遺体がそのまま残っている大作曲家はそうそうはいないでしょう。井阪氏はそのブルックナーと対面した希有なプロデューサーでなのであります。

 

 さて、井阪氏と西村氏の繋がりですが、彼の主催するカメラータ・トウキョウが西村氏の作品をほとんどレコーディングしているという事情がありますし、また30年以上続いている「草津音楽祭」のプロデューサーを2010年から西村氏が務めるようになったという関係もあります。もともとこの音楽祭は日本にも、ヨーロッパやアメリカ並みの夏の避暑を兼ねた音楽祭があってもいいという腹案をもっていた井阪氏のところに、初代のこの音楽祭の音楽監督の豊田耕児氏から音楽祭の事務局長を打診され、あれこれと関わっているうちにそのまま30年以上も関わりを持つことになったようです。まあ、この話にはいろいろな人間関係が出て来ますが、「サイトウキネン」のようなスポンサーがらみのひも付きの音楽祭でないことは確かで、井阪氏の人脈を生かして世界の一流どころの音楽かが参加して当初からきちんとセミナーを開催しているのが大きな魅力です。まあ、最初の頃は「草津」といっても滋賀県の草津と間違われたらしく(小生も長らくそう思っていました)、セミナーの受講生が間違えて滋賀県の方の草津へ行ってしまったこともあったようです。

 

 対談にはなっていますが、西村氏が口火を切って井阪氏がその質問に答えていくという形で対談が進んでいきます。勿論プロデューサーとしての井阪氏の仕事が話の中心になりますが、章立ては次ぎのようになっています。

 

はじめに(西村 朗)
1 魂のセッション―聖地リンツで鳴り響いたブルックナー(棺のなかのブルックナー超越の瞬間 ほか)
2 楽都ウィーン―名手たちとの仕事(ムジークフェライン最初の出会い ほか)
〔Interlude〕ジャズ
3 音楽祭をつくる―草津でかかげた理想の音楽(「リ・クリエーションのアカデミーを」アスペン音楽祭の衝撃 ほか)
4 現代の音楽―音として生き続ける(前史『三善晃の音楽』 ほか)
おわりに(井阪 紘)

 

 井阪氏はウィーンにも居を構えてそちらで積極的に録音をこなしていますから、第2章のウィーの名手たちとの仕事はなかなか裏話的なことも覗けて面白いです。ベルリンフィルとウィーンフィルの違いは音符に例えて話が進みます。ベルリンフィルはきっちり音の出だしを揃えて、重厚な響きを作りますが、ウィーフィルは音符の形のように♪の真ん中に重心をもってくる演奏をするそうです。まあ、ウィンナワルツを演奏する時のウィーンフィルが典型的なものでしょう。

 

 そういう話とか、戦後の一時期は、カメラータが録音の拠点としている「スタジオ・バウムガルテン」をヴァンガード・レコードはヤニグロやザグレブ合奏団、ハイドン・ソサエティはアーノンクールで、ターンナバウト・ヴォックスはブレンデルとモーツァルトの協奏曲を、アマデオはのちにグルダでベートーヴェンのピアノソナタという具合に、各レコード会社がここに録音基地を構えていて時間単位で録音をしていたようです。戦後の物資の無いときはコッペパンが貰えるということで、録音に参加した音楽家もあったとか。レコード会社も経費が安くついたわけです。

 

 また、井阪氏はウィーン楽友協会の会員向けのCDの制作もしているそうで、楽友協会のアーカイヴに自由に出入りしています。昔はDGGのアルヒーフというセクションが古典時代の作品をこつこつと録音していたのですが、ジーメンスが撤退してユニヴァーサルになり、ドイツ文化の伝統を継承するという姿勢は無くなって、今はカメラータがその役割を担っているようです。そういうスタンスにあるカメラータの録音には注目ですね。

 

 先に書いちゃいましたが、草津音楽祭のためにも1章が割かれています。日本の草分け的な音楽祭で、きっちりとしたレッスンプログラムが組まれている音楽祭はこの音楽祭が日本では最初でしょう。講師陣も常連がほとんどで、クラリネットのカール・ライスターやヴァイオリンのウェルナー・ヒンク、オーボエのトーマス・インデアミューレは音楽祭の顔といってもいい存在のようです。この本でエディット・ピヒト=アクセンフェルトも1996年まで毎年参加していたそうです。知りませんでした。2012年はアンヌ・ケフェレックがピアニストとして参加しています。映画「アマデウス」の中でのピアノ協奏曲はこのケフェレックが演奏していたこと知ってます?この音楽祭、今年は皇后様がワークショップに参加してヴァイオリンのウェルナー・ヒンク、チェロのヴォルフガング・ベッチャーとともにメンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲第1番」を演奏したそうです。

 

 この音楽祭、篤志家がたくさん協力し、元ホンダの副社長の藤沢武夫氏は第1回の開催時ポケットマネーで1000万を寄付したこととか、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊氏なんかはアメリカでの講演料を全額寄付してくれたとか、この音楽祭には最初から遠山一行氏が資金提供などで支え、豊田氏の後を継いで1990年から2009年までは音楽監督としてこの音楽祭を支えていたことは知りませんでした。また、この音楽祭のマスタークラスに参加した庄司紗矢香が世界に羽ばたいたのも見逃せません。

 

 井阪氏の仕事の中でジャズも忘れることが出来ません。龝吉敏子をビクター時代から育て上げたのも氏の仕事です。一般には秋吉敏子の方が分り易いでしょうね。秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドの名で傑作を次々と発表しています。1974年のヒット作「孤軍」から1979年の「すみ絵」までの10作が井阪氏のプロデュースです。

 

 カメラータはウィーンの音楽のは窟とともに日本人作曲家の現代音楽の録音にも体系的に携わっています。小さなレーベルですからオーケストラ作品を頻繁に取り上げることはありませんが、それでも一人の作曲家を集中して取り上げることで基本のコレクションは揃うという仕事をしています。その代表が西村朗の作品群ですし、ユン・イサンの作品であるわけです。またこの章では今はナクソスレーベルのオーナーとして成功しているクラウス・ハイマンとの関わりも書かれています。彼の奥さんとなる西崎崇子をハイマンに紹介したのは何と井阪氏なんてことが分ります。

 

 そういう繋がりがあるのかということで、手元のライブラリーを確認したらありました。HKレーベルの丁善徳の「長征交響曲(HK-1004)」です。1979年8月19日に愛知勤労会館で録音されたものでプロデューサーにはちゃんと井阪?囗、エンジニアは大野正樹と記載されています。林克昌指揮、名古屋フィルハーモニーの演奏ですが、多分CD化はされていないでしょうな。レコードの制作はビクターが請け負っています。余談ですが、この前の録音が大ヒットした"The Butterfly Lovers" というヴァイオリン協奏曲で、西崎崇子がソロを務めています(HK1003)。

 

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 まあ、いろいろと裏話がポンポン飛び出して来ますので、レコーディングに興味のある人は読んでみると良いでしょう。