名コンサートマスター
キュッヘルの音楽手帳
ウィーン・フィルとともに45年間
著者名: ライナー・キュッヒル、野村三郎
出版社: 音楽之友社
2016年8月末、45年間務めたウィーン・フィルのコンサートマスターを退任するライナー・キュッヒルの魅力を1冊にまとめた退任記念本刊行! 同氏が語る生い立ち、学生時代、プライドと自負心、夫人との出会い、指揮者について――『音楽の友』誌で2008年4月号~2010年3月の2年間にわたって連載、自らの人生と音楽論テーマごとに語り大人気を博した「キュッヒルの音楽手帳」からの抜粋記事のほか、同氏がウィーンやザルツブルクの街を案内する特集記事、本書発行のために楽友協会で新たに撮影した最新の同氏写真、連載後に新たに見つかった秘蔵写真なども収載する。---データベース---
生い立ちからの秘蔵写真は滅多に見られるものではなくなかなか興味深く見ることができました。てっきり、もう80代に差し掛かっていたと思い込んでいましたから、氏は1950年生まれということで小生とあまり年齢が違わないことにもびっくりです。それにしても弱冠20歳でウィーンフィルのコンサートマスターに就任しているのですからまず、そのことにびっくりです。紐解けばあのウァイオリンの弾き振りでニューイヤー・コンサートにたち続けたウィリー・ボスコフスキーの引退で、その後釜に座ったのがこのキュッヘルさんだったのですなぁ。ただし、この時点では第2コンサートマスターでした。そして、1992年、、第1コンサートマスターであったゲルハルト・ヘッツェルが事故により死去したため、第1コンサートマスターとなと同時にウィーン国立音楽大学教授に就任しています。こちらも師のサモヒルの後釜ですな。
シベリウスの協奏曲を弾くキッヒェル氏
読み物としては活字が大きく、文章量はそれほど多くありません。野村三郎氏は「ウィーン・フィルハーモニー---その栄光と激動の日々」を取り上げていますが、ここではどちらかというとインタビュアー的な立場でこの本をまとめています。この本の章立てです。
目 次
・ヴァイオリンに憑かれた男 その1~4
・コンサートマスターのプライドと自負心
・ザルツブルク音楽祭に思う
【コラム】ライナー・キュッヒルとめぐる
“音楽都市”ザルツブルク
・初めての日本、そして夫人との出会い ・日本をめぐり思う、ヨーロッパとの伝統の違い・その受け継ぎ方
・日本を理解すること、日本の歌で「音楽する」という こと
【コラム】ライナー・キュッヒルとめぐるウィーンの劇場
・キュッヒルと仲間たちがつくるアンサンブル ・オペラ、シンフォニー、室内アンサンブルの違い
・オーケストラによる真の音楽づくりとは
・音楽を演奏する歓びとは
ライナー・キュッヒルはオーストリアのヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス生まれで、何と11歳からヴァイオリンを始めています。遅咲きだったんですなぁ。そのきっかけがスメタナの「モルダウ」だったそうで、この曲に魅せられて父親にヴァイオリンをせがんだそうです。まさに、好きこそ、物の上手なれを地でいったんですなぁ。
ヴァイオリンは父親、ピアノを弾くキッヒェル
アレヨアレヨと頭角を現し、13歳でサモヒルの門下生になり、14歳でウィーン国立音楽アカデミーに入学しています。アカデミーでは内田光子やチェロのハインリッヒ・シフらと同級生でした。ただし、ギナジウムという義務教育を終えずに入学していますから、中学中退という学歴になっているそうです。で、1970年12月22日にウィーンフィルの試験に出向き合格すると翌年1月2日からもう国立歌劇場のピットに入ったそうで、オペラなど演奏したことがないのにいきなり、「リゴレット」を演奏したというから凄いではありませんか。バーンスタイン曰く、世界で最も初見のできる音楽家」と評したそうです。
ジュリーニの元でのキッヒェル氏
ズビン・メータとともに
よく知られたことですが、彼の奥さんは日本人です。それも一目惚れということで数々のインタビューに答えています。その着物姿に惚れたとか・・・・・
これは読み物として読むというよりは氏の写真集という性格の方が強いでしょう。そして、現在進行形の写真では1994年よりオーストリア国立銀行から貸与されている、1725年製ストラディヴァリウス「シャコンヌ」をどこでも携える姿が記録されています。その写真も娘で写真家のヴィニーさんが写しています。
そんなことで、終始穏やかな表情のキュッヒル氏の表情が捉えられています。