ウィーン・フィルハーモニー
―その栄光と激動の日々
著者:野村三郎
出版:中央公論社
崩壊するハプスブルク帝国の残照の中で誕生し、二十世紀激動の歴史に翻弄されながら今なお変わらぬ美しい音楽を奏で続けるウィーン・フィルハーモニー。この世界最高水準の楽団は、伝統の響きを特色とする一方で、時代が求める様々な名指揮者を迎えることによりさらにその音色を磨いてきた。本書は団員自身の貴重な証言や未公開の資料を織り交ぜながら、楽団が歩んできた苦難と栄光の道程を描き出す。巻末にウィーン・フィルハーモニー協会会則、関連年譜を付す。---データベース---
これはちょいとタイトルに偽りがあります。最初の章はレコードメーカーだった「ウェストミンスター」とその周辺のことしかほとんど語られていません。ウィーンフィルハーモニーについても書かれていますが、本の半分位はオーストリアの歴史と言っても過言ではないものです。
目次
- 序章 始まりのはじまり
- 第1章 音楽の都とは何か
- 第2章 古典派の作曲家とオーケストラの誕生
- 第3章 ウィーン・フィルハーモニーの成立
- 第4章 オーストリア共和国の誕生と消滅
- 第5章 よみがえるオーストリア共和国
- 第6章 ウィーン・フィルハーモニーはどこから来たか
- 第7章 ウィーン・フィルハーモニーとは何か
- 第8章 輝ける時代に
ただ、ウィーンフィルについて書いた本は幾多もありますが、ウェストミンスター・レーベルの歴史についてはあまり詳しく知らなかったものにとってはこれは貴重な資料言えるでしょう。それまでの知識では、ウェストミンスターは1949年に設立され、ウィーンで活躍する音楽家を中心にした室内楽の録音で有名なレーベルということぐらいでした。ただし、何度も国内の発売窓口が変わるたびに再発される名盤の数々は、バリリ四重奏団、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団、ウィーン・フィルハーモニー木管グループや、レオポルト・ウラッハ、イエルク・デムス、バドゥラ=スコダなどウィーン・フィルのメンバーで構成されていたグループやウィーンで活躍していた演奏家たちの名演奏の宝庫ともいうべきものでした。いわゆるウィーン風の演奏がそこには展開され、ゆったりとした優雅で情緒たっぷりの室内楽は、かけがえのないものでありました。
ちなみに、レーベルの由来は、創設の中心メンバーであったジェイムズ・グレイソンがイギリス人で、もともとロンドンのウエストミンスターのそばに住んでいたので、「ウエストミンスター」と命名されたということです。
そのウェストミンスターの原盤探しからこの本はスタートしています。初め「日本ビクター音楽産業」に入社した石川英子という女性社員が、「MCAビクター」に出向しのちにユニヴァーサルになりますが、ここで事務仕事からクラシックの営業になり、ウェストミンスターの原盤探しを始めます。そして、ついにアメリカの倉庫でなんの記号もついていないテープの山からこのお宝を見つけ出します。50年以上倉庫に眠っていたお宝は、現存していた当時の演奏者を巻き込み、当時の録音スタッフや状況を探り出す過程まで書かれた「序章」はこれだけで読む価値があります。
第2次世界大戦の戦時下でウィーンフィルを守ったのはフルトヴェングラーでした。ウィーンフィルの団員は兵役を免除される特権があったことで、戦後いち早く演奏を再開できていたのです。このことに目をつけたのがウェストミンスターを設立したジェイムズ・グレイソンでありそれを技術面で支えたのがクルト・リストなるエンジニアでした。そして、焼け残ったコンツェルトハウス、ムジークフェライン、ゾフィエンザールなどを駆使して精力的に録音していったのです、下の写真はそんなコンツェルトハウスに集うウェスタミンスターのスタッフの面々です。前列で楽譜を広げるのがグレイソンで右端がリストです。
録音は演奏者の中央に1本、天井からの鶴居マイク1本というシンプルな構成であったようです。録音機材はアメリカから調達した最新のものを使っていたようで、このシンプルな音作りがあの名盤を残した基本になっています。ただ、録音されたテープはすぐさまアメリカに送られ、演奏者たちもプレイバックもまともに聴いていなかったという時代でした。さらに、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団でベートーヴェンの弦楽四重奏が全曲録音されなかったのは、報酬がまともに支払われなかったからのようで、第1ヴァイオリンのカンパーが拒否したからだそうです。
著者はその当時のウィーンの演奏者と懇意にしていたようで、本書の中でバリリの日記が引用されています。このワルター・バリリの日記を引用している第二次世界大戦最後の辺りのウィーンの描写は一読に値します。こう言うのを読むと、ソ連兵達が婦女子に如何に酷いことをしたかよくわかります。おそらく、ウィーンに限らず、ドイツ、ポーランド、チェコ等でも同様なことが行われたのでしょうね。ウェストミンスターのCDが発売された当初著者は健在であったウィーンフィルの奏者達がしゃべったことが結構書かれていますので、話もかなり正確なのではと思います。惜しいのは1996年の5月から6月にかけてオットー・シュトラッサー、ヒューブナー、ハンス・ベルガーの3人が亡くなってしまったことで、当時の話か゜聞けなくなったことでしょう。特に、指揮者だったヘルマン・シェルヘンはこのレーベルに深く関わっていたようで、1951年からこのレーベルが消えるまでレコーディングをしていたのはこのシェルヘンだったようです。なを、ウェストミンスターの最後の録音はシェル編の編曲したバッハのフーガの技法とハイドン、ダンツィの協奏交響曲でした。1965年のことです。
ウェストミンスターの録音の再発が縁で書き起こされたこの一冊、戦後のウイーン理録音しの一ページを飾る貴重な記録といってもいいでしょう。
ウェストミンスターの録音の再発が縁で書き起こされたこの一冊、戦後のウイーン理録音しの一ページを飾る貴重な記録といってもいいでしょう。