CLASSIC INN 8
ギレリスの皇帝と
プレヴィンのモーツァルト
曲目
ベートーヴェン /ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」
1.第1楽章 20:13
2.第2楽章 08:58
3.第1楽章 10:25
指揮/ジョージ・セル
演奏/クリーヴランド管弦楽団
ピアノ/エミール・ギレリス
録音/1968/04/28,30、05/01,04 セヴァランスホール、クリーヴランド
P:ポール・マイヤーズ
E:バディ・グラハム、フランク・ブルーノ
モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番ニ短調 K.466*
4.第1楽章13:59
5.第2楽章10:18
6.第3楽章 07:32
ピアノ、指揮/アンドレ・プレヴィン
演奏/ロンドン交響楽団
録音/1976年7月、ロンドン、キングズ・ウェイ・ホール*
EMI 小学館 SGK-90107
このCDは一般市販では実現しそうもない組み合わせに寄る一枚です。書店でしか扱わなかったのでこういうトリッキーな組み合わせは見逃していたのかも知れません。ギレリスによる「皇帝」は1960年代末に録音された録音なのですが今ひとつ録音がクリアでないと思っていました。ネットで検索しているとこの録音に関わる詳細な記述がありました。これでくだんの疑問も消えました。なるほど、上記のプロデューサーとエンジニアの表記にコロンビアのスタッフの名前が記されている訳がこれで氷解しました。CBSへはセルは既にフライシャーとベートーヴェンピアノ協奏曲全集を録音(1961)していましたから同一レーベルへは普通はあり得ません。ここではギレリスの提案で所属レーベルをこえてセルとクリーヴランド管を指名したということですが、その成果は出ています。それにしても、CBSのスタッフによる録音ということで、クリーヴランド管弦楽団の響きはいつも通りのものです。EMIの録音ならもう少し音場に幅があったのではと残念でなりません。当時は巷にはバックハウス/イッセルシュテットの名演が圧倒的な存在感でしたからこの団子状の響きは損していました。
音は不満ですが、演奏は充実したものです。この収録の前にコンサートで共演していたこともあり、僅かのセッションで一気に収録したとのことでなるほど、音楽の流れはスムーズです。完璧な録音を臨むセッション録音ではフリッチャイやクレンペラーはほとんどつぎはぎだらけの細切れの録音をしたということを読んだことがありますが、セルは通し録音をするだけでほとんど細かい修正しかしなかったようです。まあ、それだけオーケストラが優秀だったということでしょう。
第1楽章はアレグロ。冒頭のトゥッティが見事で素晴らしいこと!この「ジャーン」を聴いただけで、この演奏のなみなみならぬことがわかります。堂々とした音楽であり、演奏です。ただ、デッカの録音に比べると低域が明らかに不足しています。スペアナで確認すると63Hz付近はほとんど音のエネルギーがありません。多分にセルのCBSの録音はハイ上がりの低域不足のものが多いので冷たい印象があるのですが、この録音もその例に漏れません。残念です。
第2楽章、アダージョ・ウン・ポコ・モッソ。静かに始まる管弦楽のゆったりした深い呼吸。ギレリスのピアノもまた、正確にリズムを守りながら、しかし深い呼吸で歌います。時にギレリスは鋼鉄のピアニストと呼ばれましたが、ここではそういう表現はそぐいません。リリシズム溢れる美しい演奏で、セル/クリーブランドの室内楽的な響きと相まって見事な小宇宙を形成しています。
第3楽章、ロンド:アレグロ~ピゥ・アレグロ。ピアノとオーケストラが正面からぶつかり合うきわめて純度の高い楽章でギレリスの技巧ととセルの鉄壁のアンサンブルがそれを昇華させています。正確、厳格でありながら、なお力強さを併せ持った演奏です。これにスケール感が加われば文句の無いところですがそれは無い物ねだりのようです。
演奏者 | 第1楽章 | 第2楽章 | 第3楽章 |
フライシャー盤 | 19:22 | 8:25 | 9:37 |
ギレリス盤 | 20:13 | 8:58 | 10:25 |
さて、この名演にあわせて収録されているのは、これは多分国内ではCD化されていないプレヴィンによるモーツァルトのピアノ協奏曲第20番です。LPで発売された時は、この曲と2台のピアノのための協奏曲K.365とのカップリングでしたが、CDで再発された時はなぜかこの20番は外されていました。ですからここで聴かれる演奏は初CD化の演奏と言えます。このEMI原盤で「クラシック・イン」を企画した担当者は相当の通なんでしょう。ただ、今年になってヨーロッパではCD化されたようで、
プレヴィン自身もピアニストとしての腕前はたいしたものです。この同時期に録音された2台のピアノための協奏曲K.365ではもちろんもう一台のピアノパートを受け持っています。いろんな解説を検索しても、この20番の録音に触れたものはほとんど皆無です。さて、この演奏は録音も含めて意外な掘り出し物です。
第1楽章はモーツァルトにしては短調という極めて珍しい出だしで、弱音の何とも不安げな弦のアンサンブルは不気味ですらありますが、ブレヴィンはフルオーケストラの中にも極めて透明感の高いアンサンブルで暗闇のなから一条の光をかざしているような演奏です。弾き振りですが、ピアノはあまり華美にならず、オーケストラの中に溶け込むような音色で柔らかいタッチで音が紡ぎだされていきます。先入観無しで聴いているとまるで女流奏者が弾いているような慎ましい響きです。たまたま、バレンボイムがイギリス室内管弦楽団と録音したものと聴き比べながら聴いたのですが、演奏の奥行きとかスケール感、テンポ設定とかを比較すると明らかにこのプレヴィン盤に軍配が上がりました。バレンボイム盤は録音が一回り古い68年というのもありますが全体に音が痩せ過ぎてぎすぎすしているのがマイナスなんでしょう。プレヴィンの演奏はいいバランスの録音で左右の広がりも充分で聴いていて心地よい響きがします。
第2楽章はミロシュ・フォアマン監督の映画『アマデウス』のエンディングに使われていてので21番の第2楽章とともに良く知られているところです。このCDでは第1楽章から絶妙のタイミングで第2楽章が始まります。曲間は4秒とってありました。通常は2秒ですからこの間は考えてあるのでしょうか。そんな訳で、いい雰囲気ですんなりと第2楽章に入り込めます。ここでも、プレヴィンのピアノは押さえ気味にぽろんぽろんとこぼれるような美しい音で旋律を紡いでいます。あまりに心地よいので眠ってしまいそうになる時があります。多分α波がわんさか出ているんでしょう。まさに夢見心地の10分間です。
第3楽章は一転変わって激しい曲想でピアノの分散和音のソロから始まります。今までの女性的な響きから急に変わりますから、ややビックリしますが、最初のアタックだけで後はまたしっとりとした響きの演奏に戻ります。プレヴィンの指揮もどちらかというとこの曲を華美に鳴らすというよりは気品を前面に押し出した落ち着きのある演奏を心がけているようでどちらかというとソフトムードで全体を構築しています。こういうアプローチは最近では受けないのかも知れませんが、心に染み入る演奏です。
このシリーズ、思いがけない演奏の組み合わせでなかなか楽しめます。