哀悼...フランシス・レイ | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

哀悼...フランシス・レイ
 
イメージ 1
 フランシス・レイの死は新聞の片隅に小さく出ていました。こういうものは時代が違うんでしょうか、ヤフーニュースでは取り上げられないんですなぁ。ネットばかり見ていると感覚がずれてくるのがよくわかります。多分、ネットにニュースを拾う人種はパソコンに精通した若者なんでしょう。一世代前の映画音楽の作曲家は彼らの情報網の網には引っかからないのでしょう。その点、まだ新聞は公平にニュースを扱っているようです。
 
 まあ、そんなことで新聞の記事です。朝日新聞デジタル
 
{{{米国映画「ある愛の詩(うた)」(1970年)でアカデミー作曲賞を受賞したフランスの作曲家フランシス・レイさんが死去した。86歳だった。7日、出身地の仏南東部ニース市が発表した。
 
 仏の伝説的シャンソン歌手エディット・ピアフやイブ・モンタンに曲を提供したほか、クロード・ルルーシュ監督の「男と女」(66年)では、「ダバダバダ……」のスキャットで知られる主題歌を作曲。同監督とは「パリのめぐり逢(あ)い」(67年)や「愛と哀(かな)しみのボレロ」(81年)などでタッグを組み、数々の映画音楽の名曲を生んだ。
 
 68年の仏グルノーブル冬季五輪の記録映画「白い恋人たち」の音楽を担当したことでも知られる。2016年の朝日新聞の電話インタビューでは、映画音楽について「音楽と映画の関係は不可欠で、映像にエモーショナルなものをもたらす。一度聞いたら口ずさめるような音楽にしたい」と語っていた。(疋田多揚)}}}
 
他は時事通信や共同の記事をそのまま配信しているだけでしたが、朝日だけは独自の記事を掲載していました。
 
 小生たちの世代ではフランシス・レイやモーリス・ジャール、そしてジョン・バリー、エンリオ・モリコーネ、ニーノ・ロータなどが活躍していたのが黄金時代でした。その中でも、メロディアスな作品を書くことで抜きん出ていたのがフランシス・レイでした。
 
 日本でも抜群の人気を誇っていましたが、元々がアコーディオン奏者だったこともあり、作曲はするが編曲はクリスチヤン・ゴーベールに任せていました。そんなこともあり、1971年に一度だけ来日しているのですが、彼が指揮するわけでもなくステージではお得意のアコーディオンを弾いていただけということもあり、コンサートに詰めかけたファンはがっかりして評判が下がってしまったということもありました。
 
 フランシス・レイの記事は、wikiよりも詳しくこちらに書いています。興味がありましたらクリックしてください。
 まあ、華々しく指揮をするわけでは無かったのでこれは仕方のないことでしょう。しかし、メロディメーカーであったことは確かで、その後も名作を次々と発表しています。代表作は何と言っても1966年の「男と女」でしょうが、それに続く「パリのめぐり逢い」、「個人教授」、グルノーブルオリンピックを描いた「白い恋人たち」や「雨の訪問者」、大ヒットした「ある愛の詩」などヒット曲には枚挙に暇がありません。そんな名曲たちです。
 
男と女

 

 

バリのめぐり逢い

 

 

個人教授

 

 

白い恋人たち

 

 

雨の訪問者

 

 

ある愛の詩

 

 

流れ者

 

 

 上の記事には書いていませんが、「流れ者(1971)のテーマです。この映画では主役はジャン・ルイ・トランティニアンでしたが、脇にはクロード・ルルーシュ監督の夫人のクリスティーヌ・ルルーシュ、や監督仲間の「ダイヤモンドに手を出すな」等の監督シャルル・ジェラール、「殺意の瞬間」(1956)のダニエル・ドロルム、ドロルムの夫君で「わんぱく戦争」の監督イヴ・ロベール、「Z」のシャルル・デネール、「女と女と女たち」のジュディット・マーグルなど素人、俳優が入り乱れて出演していました。
 
 さて、小生にとっては映画以外のフランシス・レイも好きで「エモーション」なんか最高です。